第29話 モブな薬屋は英雄がご希望です 5
★視点★ 薬屋のディック
私の意識は、どこかへぶっ飛んだ。
カツーン。 カツーン。
天井から滴る地下水が、私の鋼の鎧に当たって音を立てる。人工的な洞窟の中を私は一人で歩いている。
危ない! 暗闇から、モンスターどもが襲い掛かってくるぞ!
その攻撃を、魔力を帯びた盾で跳ね返し、聖なる剣でバッサバッサと薙いで行く。
どうやら私は、メフィストの魔術により予知夢を見ているようだ。
狭い洞窟を地下深へと進んで行くと、そこに突如として地下の宮殿広がる。
雷鳴を轟かせて魔王が現れた! 私は、魔王と死闘を繰り広げる。
幾度か苦戦に追いやられたが、最後は聖なる剣で魔王の首を撥ね、とどめに心臓をえぐり出し、晴れて世界を闇の支配から救うことに成功をした。
私は、魔王の首を持って城へ向かい、国王に魔王成敗の報告をする。
国王から褒美の金銀財宝を山ほどもらい、ついでに美しい姫まで嫁にもらい、民衆から拍手喝采を浴び、その生涯を終えるまで、私は、英雄として称えられた……
――――
「おや、ディックさんのおでこから、目ん玉が消えて無くなったぞ。これがメフィストの魔術か。気色悪ううう」
エフさんの声で、私は、はっと我に返った。
「どう? ディック。しがない薬屋のディック。これが、地獄商事があなたにご提供する来世よ。契約書にサインをすれば、今体感した来世は、あなたのものよ」
メフィストが、私の耳たぶを軽くかじり、耳元でそう囁いた。
「すごい。最高だ。完璧な来世だ」
私は、術が解けたばかりの
「ヤバいよ、先輩! これ、ちょーヤバい展開だよ! ねえ、こちらも奥の手的な、なんかそーいうのないの?!」
アイちゃんが、地団駄を踏んで悔しがっている。
「ある! 僕、奥の手、ある! 来世検索アプリのオプション、僕、使ってみる!」
エフさんは、なぜかインディアン口調でそう叫ぶと、メフィストと同じように私の前に立ちはだかり、首からぶら下げた黒い機械の画面を、こちらに向けた。
「さあ、ディックさん、これから、あなたには、既に決められたあなたの来世を、ほんの少しだけ疑似体験していただきま~す」
「やい、小僧! 貴様、魔法が使えるのかい!」
メフィストが訝し気に凝視する。
「魔法じゃない。科学だ。科学は人類の
黒い機械から、青白い光線が発光され、私はそれを全身に浴びた。
瞬く間に、私の意識は、ふたたび、どこかへぶっ飛んだ。
――――
早朝6時に目を覚ます。
いつものように満員電車に揺られて会社に通勤をする。
それからいつもの研究室に籠って、新しい製薬の研究をする。
10時になったので、缶コーヒーを飲み休憩をする。
休憩を終えると、また研究室に籠って研究をする。
正午になると食堂でカレーライスを食べる。私はこの会社に就職を以来、お昼ご飯はずっと、この食堂のカレーライスと決めている。
午後も同じく研究室に籠る。
19時まで残業をする。
タイムカードを押す。
家に帰って寝る。
早朝6時に目を覚ます。
いつものように満員電車に揺られて会社に通勤をする。
この生活を定年まで続ける。
――――
「なーーーーこれ! なーーーーこの人生! しょっぼっ!」
あまりのつまらなさにあきれ果て、私は自力で仮想現実を解き放ち、我に返って叫んだ。
「ありゃ。お気に召さないっすか?」
エフさんが、きょとんとしてる。
「召しませぬ! 大いにお気に召しませぬ! 何、この来世? 人を馬鹿にするのもいい加減にしたまえ! もう結構、私は、この悪魔と契約をします!」
「おーほっほっほっほー。賢明な判断だわ。さあ、ディック、契約書にサインを!」
「キャー! 駄目よ、ディックさん、早まっては駄目――っ!」
「私は、英雄になるのだ! 民衆から惜しみない拍手喝采を浴びる華やかな英雄に!」
悪魔との契約書に、まさにサインをしようとしたその時だった。
♪♪~♪♪~♪♪~
「……ん? エフさん、何でしょう? どこからか、可愛らしい音楽が流れてきましたが?」
「……ほんとっすね、ディックさん。これは携帯電話の着メロです」
「……え、なに、この曲、ちょ~きゃわゆ~い」
「はい、もしもし」
メフィストっ! 嘘でしょっ! メフィストが、スカートのポケットから携帯型の電話機をしれっと取り出して、応答した。
「……マジかよ。ガラケーじゃん。しかも趣味の悪いデコレーションを施している」
エフさんが言った。
「ださっ。ドクロのストラップて」
アイちゃんが、引いた。
メフィストは、これまでとは悪魔が変わったように、電話口の相手のご機嫌を伺うように話し始めた。
「は~い。どうしたの? え、今? 仕事中よ。え、マジ? 疑ってるの? 馬鹿ね、浮気なんてするわけないじゃん。違うって。本当に仕事なんだってば。ねえ、信じて、ワタシはあなたのもの。あなた以外に抱かれるわけないじゃない。え、今から家に来いって? いやでも、仕事が。ちょうど契約寸前の案件が。……やめて。そうやってすぐに怒鳴らないで。ワタシ、悲しくなっちゃう。行くわよ。行くってば。今すぐあ逢いに行くに決まってんじゃん。じゃあシャワーを浴びて待っていてね」
「さ~てっと……」とか言いながら、やがて、メフィストは、電話を切り、
「……あら、あんたたち、まだいたの?」
などと言って、すっかり存在を忘れていた我々に気付き、慌ててこの場を取り繕うかのように、わざとらしい啖呵を切り始めた。
「くっそ~。あと少しで契約というところで悪運の強いやつめ~。ここぞという時に夜が明けてしまうとは~」
「……あの~、お言葉ですが、メフィストさん。太陽は随分前から昇っていますけど?」
「臭い! 今しゃべったお前の口臭、ちょーにんにく臭い! おのれ~、ワタシの苦手なニンニク攻撃とはな!」
「いや、ドラキュラじゃないんだから!」
「ふん、今日のところは勘弁してやるわ! 憶えていなさい!」
その刹那、凄まじい轟音と爆風。
痛々しい捨て台詞を吐き、メフィストは噴煙の中に消えて行った。
賽の河原に、平穏が訪れた。
「……エフさん、あの悪魔、何だかよく分かりませんけど、勝手に退散しちゃいましたね」
爆風に吹きとばされた私たちは、地面から立ち上がり、会話をした。
「はい、携帯電話に出てから、完全に様子が変でした。ねえ、アイちゃん」
エフさんが、アイちゃんの服の埃をはたいてあげている。
「うん。あれ、絶対、悪い男と付き合っているね」
「うん、可哀そうに。完全に
「はい。さもすると、お金を貢いでいるパターンですね」
そして、私は、河原を蠢く朝靄を見詰めながら、思いの限りをエフさんに伝えた。
「あ~あ、華やかな英雄の来世を手に入れるギリギリのところで、商談が頓挫してしまった。でもね、エフさん。悔しさが無いと言えば嘘になりますが、今は不思議とスッキリとした気持ちです。ふふふ。現世も、来世も、薬屋か。まあ、これが私の運命ならば、甘んじて受け入れるより他ありませんね。
考えてみれば、人々の身体にとって、何が毒で何が薬であるのかを判断し、しゅくしゅくと作業を続ける薬屋のような仕事は、私のように、毒にも薬にもならない人間が適任なのかもしれません。あはははは」
「ディックさん。なれますよ、英雄に」
「え?」
「確かに、あなたは、来世も薬屋です。でも、先ほども言いかけましたが、来世のあなたは、ただの薬屋ではありません。僕のフェリーマンタブレットの情報によれば、来世のあなたは、町の小さな製薬会社に就職をして、定年まで新薬の開発を地道に続けます。そして、定年退職の迫るある日、なんと、ほとんどの癌を完治させる特効薬の開発に成功をするのです」
「マジっすか!」
「マジっす。あなたは、現世の無念を来世で見事に晴らします。そして、あなたが開発した新薬は、多くの癌患者の命を救い、あなたは世界中から称賛を受けます」
「マジっすか!」
「マジなのです。なにも剣で魔王をぶった切るだけが英雄ではない。ディックさん、あなたは、来世で『薬屋の英雄』になるのです」
「信じられない。私のような、毒にも薬にもならない風景のような存在が……」
エフさんとアイちゃんが、渡船場まで私を見送る。濃い朝靄は陽が昇ると共に徐々に晴れて行き、眼前に、広大な三途の川が、その全貌を現した。
「さあ、薬屋のディックさん。ファイナルジャッジです。あなたは、三途の川を渡しますか?」
私は、歳不相応の軽快なジャンプで、渡船場からピョ~ンと渡し舟に飛び乗り、こう言った。
「薬屋の英雄! 悪くないだろう!」
三途の川の遥か向こう岸に、次なる物語が薄っすらと佇んでいる。
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ファイナルジャッジ! あなたは三途の川を渡りますか? Q輔 @73732021
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