第27話 モブな薬屋は英雄がご希望です 3

★視点★ 薬屋のディック


「いらっしゃいませ~。いらっしゃいました~」


 そこには、艶のある長い黒髪をなびかせた、絶世の美女が立っていた。仁王立ちで、腕を組み、背の低い私を、上から見下している。


 この女は誰だ? あちらの世界のOL風のジャケットとスカートを身に着けているが、くびれた腰まわりには、黒いレザーのボンデージコルセット。短いスカートから伸びた長い脚は網タイツで覆われ、地面に突き刺さるようなピンヒールを履いている。体じゅうに手錠や鎖をモチーフにしたアクセサリーを身に着けている。おや、よく見ると、お尻から黒いシッポが生えている。


「ディック。しがない薬屋のディック。あなた、ワンダラーなのですってね。彷徨える魂なのですってね。さぞや現世で辛い思いをしたのでしょう? ねえ、そうでしょう、ディック?」

 女は、いきなり私を抱擁し、美しい顔を頬にすりすりと擦り付けてきた。

「はあ? ちょ、ちょ、ちょっと」

「ちらっと聞こえましたの。いいえ、盗み聞きをしていたわけではないのです。あくまで小耳に挟みましたの。悪魔だけに、あくまで小耳に。おほほほほ」

「突然の爆破。突然のハグ。つまらないジョーク。何が何だか。あの~、あなたは、いったい誰ですか?」

「申し遅れました。あなたに明るい来世をご提供致します。ワタクシ、こういう者です」

 あらためて姿勢を正し、鮮やかな血の色をした名刺を私に差し出した。

「地獄商事株式会社。営業主任。メフィスト……あなた、冗談抜きで、本物の悪魔?」

「は〜い! 冗談抜きで! 本物の! きゃきゃきゃきゃきゃ!」

 メフィストは、今の会話のいったいなにが面白いのか、突然腹を抱えて笑い始めた。やがて、笑いの衝動が収まると、今度は、私の顔をまじまじと見詰めてこう言った。

「ねえ、ディック。あなた今、ワタシの美しさに見惚れていたでしょう?」

「……え。いや、まあ、美しい女性だなあとは思いましたが……」

「ディック。ワタシのこと好き?」

「はあ?」

「ごめんね、ディック。美し過ぎてごめん。許してね、ディック。私が美しいばっかりに」


 メフィストは、懲りずに私を激しく抱擁する。女のいい匂いが鼻孔をくすぐる。なんだろう? 心をグワングワンと揺さぶられるこの感じ。私は、すでにこの女の魔術にはまっているのか?


「さ~て、ディックさん。挨拶はこれぐらいにして、さっそく商談に入りましょう」

 メフィストの話し方が、急にビジネストーク調に変わった。

「商談?」

「はい。うるさい邪魔者が来る前に、速やかにご商談を。時に、ディックさん。あなたは、おのれの人生にいまひとつ納得出来ぬまま、この度その生涯を終えてしまった。そうでしょう?」

「そうですね。いまひとつどころか、全然納得出来ていませんけどね」

「そーですか。そーでしょう。そーだったのね、ディック。ご安心下さい。あなたのような死者のために地獄商事はあるのです。この契約書にサラサラっとサインをいただくだけで、弊社は、あなたにお望みの来世をご提供いたします」

 メフィストは、カバンからどす黒い色をした紙をペラリと一枚取り出した。

「望みの来世?」

「はい。博士。大臣。大富豪。アイドル。ユーチューバー。何でもござれ。現世で果たすことの出来なかった夢の人生を、あなたは、来世で手に入れることが出来るのです」


「こんな紙切れ一枚で、望みの来世が。にわかには信じられないな」

「この契約書には、既に高濃度の魔法をかけています。ここにあなたがサインをしたと同時に、法力が発動する仕組みです。サインをしたら最後、委託者が地の果てまで逃げようが、受託者が契約書を破いて捨てようが、契約内容は、地獄のサタンに誓って覆りません。お疑いなら、試しにサインをしてみてあそばせ。さあ、さあ、さあさあさあ!」


「……ふーん。そういうことなら、この契約書にサインしましょう」

「……え、今なんと!」

「望みの来世を手に入れられるのでしょう? 分かりました。契約します」

「キャー! ディック、決断がはやーい! さすがのディック! 愛しのディック!」

 メフィストは、私を河原に強引に押し倒し、頬にぶちゅぶちゅとキスをする。


「……私を英雄にしてくれ。波乱万丈の大冒険の果てに、闇の魔王をこの手で倒し、世界を救う英雄に」


 河原に仰向けにされた私は、賽の河原の青い空を見上げて、そうメフィストに告げた。


「英雄? キャー、安――い! コスト全然かからないやつー! 言葉ばかり尊大で、生涯にかかる原価は超お値打ち、それが英雄――! お安い御用よ、ディーック! 英雄みたいな来世、なんぼでもくれてやるわ! さあ、ここにサインして! 今すぐここにサインを!」


 私は、立ち上がり、背中の泥をはらい、

「それより、いくら払えばいいの? お金掛かるんでしょう?」

 ズボンのポケットに手を突っ込んで、小銭を探した。

「お金? や~だ~、死者から金を巻き上げるほど、アタシも悪魔じゃないわよ~。お金は一切不要。来世に掛かる金銭は全て弊社が負担しますわ。さあ、気を取り直して、この契約書にサインを!」


 メフィストが、血生臭い朱色のインクに、人骨を削って作ったペンを浸し、それを半ば無理矢理握私に握らせた。


 いよいよサインをする直前になり、私は、念のために、どす黒い紙に白い文字で印刷された契約書に、さっと目を通す。



『売買契約書』


 依頼者『     』を甲とし、地獄商事株式会社を乙とする。

 甲は、乙に対し、望みの来世を提供する業務を委託し、乙はこれを受託する。

 甲は、来世にて望みの生涯を終え、その魂を乙に支払う。

 甲の死亡の時点をもち、魂の所有権は、乙に移行するものとする。



「……ねえ、メフィストさん。これって、要するに、来世の私が死んだら、私の魂は悪魔のものになるってこと?」

「そーともゆー! きゃきゃきゃきゃきゃ!」

「……ただで英雄にしてくれるんじゃないの?」

「おほほほほ。ディック。あんた、悪魔、舐めてんの? どこに世界に、あんたみたいな冴えない男を、ただで英雄にしてくれる悪魔がいるってのよ。金は要らないって言ったけど、ただとは言ってね~だろうがよ。こちとら慈善事業じゃないっちゅ~の。あんたの魂ひとつで、望みの来世が手に入るのよ。安いものでしょう?」


「来世の対価が、自分の魂かあ。う~ん、悪いが、少し考えさせてくれ」

「何言ってんの? あんた馬鹿? ねえ、あんた馬鹿なの? さっき英雄になりたいって言っていたじゃない。話をコロコロと変えてんじゃね~よ。ほら、さっさとサインしやがれ!」

 メフィストが私の右手を掴み、強引に契約書にサインをさせようとする。

「痛い、痛い、痛い。これが地獄商事のやり方か。こんな営業あったものじゃないぞ!」

「うるさい。このしがない薬屋。黙ってサインしろ!」

 私とメフィストは、河原で揉み合いになった。


「やめろ、この悪魔め!」


 その時、見知らぬ青年が、横からメフィストの手をひねり上げ、私の右手から振り払った。その青年は、頭にシルクハットを被り、背中にマントを羽織っている。


「こらー、メフィストー! 性懲りもなくまた賽の河原に現れたわねー! このアイちゃんが、今日こそは退治してやりますからねー!」


 メイドのような格好をした、かわいらしい女の子も一緒だ。

 

 次から次へと、ヘンテコリンな面々が……まったく、今日は、なんて日だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る