第16話 賽の河原は晴天なり
昼下がり。いつものように、河原を巡回している。
春うらら。雲ひとつないのに、白っぽく霞んで見える空。
春の空が白く霞んでいるのは、気温の上昇により、水蒸気を含む空気が上空へ昇るためらしい。また、水蒸気の他にも、花粉やホコリ、黄砂なども一緒に舞い上がるため、より霞んで見えるとか。そうそう、花粉といえば、最近鼻がムズムズする。憂鬱だなあ。今年は少ないといいなあ、花粉。
この美しき河原では、今日もたくさんの死者が、係の者が配布した死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻き、渡し守長の指示のもと、規則正しく列になって船に乗り、静かにあの世へと渡って行く。
美しき河原。そう称したが、実際のところ、三途の川も年々汚れてきている。
川の流れと流れがぶつかる渦の傍らには、淀みのようなポイントがあって、その川縁には、現世から流れ着いたゴミがたくさん打ち上げられている。
ペットボトル、ストロー。発砲スチロール、瓦礫、使用済みの避妊具、これらは、現世の薄汚れたドブ川から混入したゴミだ。
ここは現世とあの世の境目、川だってどこかで現世と繋がっているのだ。
もちろん、あの世とも繋がっているので、あの世で捨てられたゴミも、当然ながら三途の川に流れ着く。
白銀のペットボトル、黄金のストロー、破れた天女の羽衣、折れた鬼の角、点灯しなくなった天使の輪、使用済みの避妊具、等々。
現世もあの世も似たようなものだな。道徳心の無い者はどこにでもいるのだ、まったくもう。
渡船場の見慣れた風景。死者の列を眺めていると、時々考えることがある。
死とは、なんだろう?
なぜ、生きとし生けるものは、やがて死ぬのだろう?
分からない。
考えても考えても答えは出ない。
でも最近は、あるいは、答えなんて、はじめから無いのではないか、と思うこともある。死を問うこと自体が、そもそもナンセンスではないか、なんてね。
そう、死を問うことに意味はない。
なぜなら、僕たちは、死に問われているのだから。
僕たちは、死から投げられた問いかけに答えるために、今を懸命に生きているのだ。
僕は今日まで、この賽の河原で、たくさんの彷徨人(ワンダラー)に出逢った。
安楽死を選択した安楽死反対論者。
あの世に罪を投影して発狂するイジメっ子。
腹が減ったという理由で生き返った中二男子。
自分を虐待死させた父と母の親に生まれ変わりたいと願った五歳児。
言葉の乱れを憂うが故にに言葉を破壊する小説家。
見送った者たちに野辺送りされる人事部長。
娘にプレゼントを贈るため蘇る自称サンタクロース。
百九つめの除夜の鐘を聴くロスジェネ世代のサラリーマン。
飼い主の子供に生まれ変わるため河原を走る迷い犬。
あの世から舞い戻り妻を引っ張って帰った老人。
死刑囚と同じやりかたで自死した死刑執行人。
空席に座って微笑む生まれなかった命。
息子と共にいじめ問題に立ち向かう父親。
三秒後に気が変わり玉砕した神風特攻隊員。
などなど。数えきれない人たちの、最終決断(ファイナルジャッジ)の瞬間に立ち会って来た。
彼らは、迷い、あがき、もがき、決断をした。死から投げられた問いかけに、命懸けで答えを出した。職務ながら、その貴重な瞬間に立ち会えたことに、僕は深く感謝をしている。給料は少ないし、残業は多いし、上司はうるさいけれど、僕は、この仕事が結構好きだ。
現世から、桜吹雪が吹き込んでくる。桜の花びらが、あたり一面を、幻想的に乱舞する。
新しい季節が始まっている。
「おーい、エフ君。ワンダラー、お一人様、ご案内ざんすー。後の対応、ヨロシクざんすー」
おや、渡し守長が、いつものかん高い声で、渡船場から僕を呼んでいる。さあ、行くぞ。彷徨える者たちが、僕を待っている。僕は、フェリーマンタブレットを起動させ、賽の河原を駆け出した。
晴天なり。
賽の河原は、晴天なり。
(現代編 完)
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