第13話 一人無理心中

 ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―



「おい! エフ! 飯なんか喰ってる場合じゃないぜ! 話がある! 今すぐ河原に出ろ!」


 お昼休憩のひと時。慌ただしい業務の最中、唯一ホッと一息つける時間。僕が、ちょうどストーブのヤカンのお湯をカップラーメンにコポコポと注ぎ入れた時、彼はオフィスの扉を乱暴に開けた。


「いや、いや、いや、あのね、僕、今から飯っすよ? 何があったか知りませんが、話は午後の業務が開始してからでお願いします。ねえ、監査官、聞いています? おーーい、ビーさん!」


 結局僕は、彼を追うように、河原に出た。


 彼の名は、渡し守ビー。


 ビーさんの役職は、監査官。職務は、このフェリーマンカンパニーにおける、業務上の不正の防止や、業務の効率化を目的として、内部監査をすること。噛み砕いて言うと、毎日僕らの仕事の粗探しをしている嫌な奴。人の失敗、欠点、不首尾などをあげつらおうと、執拗に詮索する最低の奴。ビーという名から判断するに、入社は僕より早い。一応僕の上司にあたる。


 河原に出ると、同じく上司の渡し守長が、河原にポツリと立たされていた。


「おや、どうしたのですか、渡し守長?」


 まるでイタズラのバレた子供みたいな顔をしている。


「……エフ君、いいざんすか、今からビーさんに何を尋ねられても、しらを切り通すざんす」


 渡し守長は、僕を見るなり、小声で僕に耳打ちした。その声が聞こえているのが、もしくは聞こえていないのか、ビーさんは、何とも読み取れない冷徹な表情で、微かに顎を動かす動作さけで、僕に渡し守長の横に立つように指示をする。


 僕と渡し守長は、昼下がりのひと気のない三途の川の河原で、背筋を伸ばし、指先をピンと伸ばした模範的な「気を付け」の姿勢で立たされている。


「んじゃあ、まあ、単刀直入に言うぜ。我が社に、あの世の機密情報に不正アクセスした不届き者がいる。よお、エフ、お前、心当たりはねえか?」


 やっべ~。つい先日、とある一件で、僕が渡し守長に頼んで、彼のタブレットから半ば強引に不正アクセスをさせたのだ。どうやらそれがバレたらしい。


「い、いったい何の話でごぜえやしょう。こ、こ、心当たりなど、あろうはずがござんせん」


 完全に動揺していた。思わず時代劇の悪代官が奉行所で悪事を問い詰められているような口ぶりになった。


「渡し守長、あんたはどうだ?」


「不正アクセス? いや~初耳ざんす。許せないざんすね。いったい誰がそんなことを。もし犯人捕まったら、そいつは解雇どころじゃ済まないざんすね。きっと地獄の閻魔大王に八つ裂きにされるざんす」


 すると、ビーさんは、もどかし気に渡し守長の左耳に顔を寄せ、歯噛みしながらこっそりと言った。


「なあ、渡し守長。俺は、あんたに幼い頃に世話してもらった恩があるから、これまでだって幾度となくあんたのミスや不正を揉み消してきたんだ。いったいどれだけ俺に隠ぺい工作をさせるつもりだよ。もうぼちぼち限界だぜ。お願いだから、ちゃんと仕事してくれよ。俺、あんたを吊るし上げるようなことだけはしたくねえんだ」


「いや~、君の粋な計らいには、いつも感謝しているざんす。ありがとう、ビーさん」


「おいおい、何度お願いしたら聞き入れてくれるんだよ。あんたは俺の唯一の上司なんだ。その『ビーさん』って呼び方をやめてくれ。頼むぜ、渡し守エー殿」


 へ~。たぶんそうだろうと思ってはいたが、渡し守長の名前は、やはり「エー」だった。


「と、に、か、く、今後は二人とも死者に無駄な温情をかけんじゃねーぜ! あんたらは死者に甘すぎんの! 死者の扱いは事務的に! ほらあああ、返事は!」


「はい!」


「ざんす!」

 

 ビーさんの、生真面目な性格とは似つかわしくないガラの悪い怒鳴り声が、三途の川に響き渡った。その後も、ビーさんの説教はこんこんと続く。ねちっこい説教ではあったが、はっきりと公言はせぬものの、話の端々から、何となく不正アクセスの一件については、ビーさんが揉み消してくれるっぽい。まずは一安心だ。



― ― ― ― ―



「……あのお、エフさん、みなさん、お取込み中すみません。死亡者リストにアップされていない死者が、渡船場をうろうろしていたので、こちらへ案内しました」


 蛇のようにしつこい説教に、いい加減ウンザリしかけた時、ある渡し守が、若い女性のワンダラーを僕たちのところへ連れてきた。


 あいあーーい。待ってましたあああ。ぜひとも、お話を伺いましょう。なぜなら、僕は最終決断補助者。おっと、こうしちゃいられない。さあ仕事だ。ほら仕事だ。うひょー! ラッキー! これを口実に、僕はビーさんの説教から逃れることが出来るう!


 葉山楓はやまかえで


 25歳。


 存在意義=OL。


 長い黒髪の、目ぢからの強い、スラリとした美人だった。


「葉山さん、僕のフェリーマンタブレットの情報によれば、あなたは不倫相手である会社の若社長が、一度は結婚を約束するも、最終的にあなたではなく、配偶者とその家族を選んだことに失望し、自殺した。間違いありませんか?」


「ええ、一人ぼっちで真冬の海に身を投げました。でも後悔はしてしません。覚悟の死です」


「であるならば、妙ですね。あなたの名前が弊社の死亡者リストに上がって来ないのです。通常であれば、現世に未練のない魂は、速やかに死亡者リストにアップされるのですがね。おかしいなあ、何故だろう?」


「機器の不具合かもしれないぜ。おい、エフ、一応、あれ、聞いとけ」


 横にいるビーさんが、僕に指摘をする。はいはい、言われなくても分かっていますよーだ。


「葉山さん、ファイナルジャッジです。あなたは三途の川の渡りますか?」


「はい、もちろん。もう現世に未練はありません。私は一刻も早くあの世へ行きたい」


 返事と同時に、死亡者リストに葉山さんの名前が、じんわりと浮かび上がった。うーん、妙だな。


 その後、渡し守長が、葉山さんを渡船場に案内する。葉山さんは、そそくさと死装束に着替え、死者の列に並ぶ。


 残り二席で満席になる出発間際の渡し舟に、葉山さんは乗り込んだ。


 そして、渡し守長が、残りの一席を埋める為、葉山さんの後ろに並んでいた死者を渡し舟に案内しかけた時、またもや、ビーさんが指摘をした。


「おいおい、渡し守長、あんた、何年渡し守をやってんだよ」


「え? 今の私の行動のどこに問題があるざんす?」


「問題、大有りだぜ。渡し舟の定員は厳守しろよ。その船はもうとっくに定員オーバーなのさ」


「ふえ? ねえねえ、ビーさん、どういうことですか? 明らかに最後に空席がありますけど?」


 ビーさんの指摘の意味が理解出来ず、二人の会話に割り込むように僕は尋ねた。


「エフよ、お前もまだまだだな。ほら、もう一度タブレットをよーく確認してみやがれ」


 僕は、どやされるがまま、自分のタブレットの死亡者リストを再確認した。


 おや? 何だ、この空行は? 僕は、みっちりと並んだ死亡者一覧の、葉山さんの名前の行の下に、謎の空行発見した。


「名前もない。年齢もない。存在意義もない。生まれずに死んだ命。でも命は命。立派なひとつの命だ。席は与えるべきだぜ」


 ビーさんは、そう言って葉山さんのお腹を指さした。


「彼女は、一人で死んでなんかいない。自らのお腹に宿した、不倫相手との望まれない命を道連れに死んだのさ。つまり、これは母子無理心中」


 そういうことか、彼女のお腹にいる、生きたいと願う命が、タブレットを混乱させたのだ。



― ― ― ― ―



「たくさんお金を積まれて、絶対に産むな、頼むからおろしてくれと。それで私はやけになってしまった。でも、これで良かったのよ。私の為にも、彼の為にも、彼の家族の為にも」


 舟上にいる葉山さんが、崩れ落ちるように涙を流す。


「私は、ただ愛に生きた。悔いはない」


 その時、僕の心の奥底から、正体不明の怒りが突如として湧き上がった。


「冗談じゃない! それはあなたの都合だろう! あんたが死ぬのはあんたの勝手だ! でも、お腹の子の意思はどうなる!」


 気が付くと僕は葉山さんに、罵声を浴びせていた。


「愛に生きただと! 綺麗ごと言ってんじゃねーよ! 避妊をしろ、避妊を! だらしのないセックスしやがって! 覚悟なき妊娠をしやがって!」


 僕は何故こんなに腹を立てているのだろう。分からない。この抑えきれない衝動の理由を、逆に誰かに教えて欲しい。


 おい、いったいどうした、エフ! エフ君、落ち着くざんす! 今にも葉山さんに飛び掛かりそうな僕を見かねて、二人の上司が僕を取り押さえる。


 渡し舟が、まるで逃げるように渡船場を離れた。


 深呼吸。僕は徐々に気を取り直す。


 それから、渡し守エー、ビー、エフの三人で、河原に佇み、渡し舟を見送る。


「……なあ、エフ。お前、あの空席に、何か声を掛けてやらねーのかよ」


 川べりから遠ざかる渡し舟の、ぽっかりと空いた一席を見ながら、ビーさんが呟く。


「はい?」


「あの空席に座っている命に、声援を送ってやれよ。お前、そういうの得意だろ?」


「べ、別に得意じゃないですよ。でもついさっき、あなたに『死者に温情をかけるべからず』って指導されたばかりですし~」


「今日のところは、聞かなかったことにしてやる。俺は青臭いセリフは口が裂けても言えない性格なのさ。だからお前に、こうして頼んでいるんだぜ」


 困り果てた僕は、渡し守長に視線で判断を委ねた。渡し守長は何も言わず、ただ優しく頷く。


 僕は三途の川の空気を思いっきり吸い込み、


「おーい、名もなき君よ! あの世は広いと聞く、迷子にならないように、お母さんの側を離れるんじゃないぞおおおお!」


 あの世へ渡り行く空席の命に向かって、喉が潰れるほどの大声で叫んだ。


「名もなき君よ! 泣くんじゃないぞ! くじけるんじゃないぞ! そして、 次はきっと元気に生まれて来るんだぞおおお!」


 僕たち三人は、空席に向かい、微笑みながら手を振った。


 霞に巻かれ、消えゆく時、空席が、僕たちに微笑み返してくれたような気がした。



― ― ― ― ―



「いや~、今回に限らず、お腹に命を宿した女性の死者は、扱いが大変ざんす」


 肩の関節をコキコキ鳴らしながら、渡し守長が言う。


「ああ、臨月の妊婦の自殺者なんて、特に大変だぜ」


 アキレス腱を伸ばしながら、ビーさんが言う。


 へ―、そうなのですね。何がどう大変なのですか。


「臨月の妊婦の自殺者のなかには、極稀にこの賽の河原で、赤ん坊を産み落とす者がいるのさ」


 えええええ! 上司たちの貴重な体験談に僕は興味津々だ。


「まあ、母が産み落とすと言うより、赤ん坊のほうが自らの力で誕生すると表現した方が、適正ざんすね」


「そうさ。死にたくない、自分は生きたいのだと、赤ん坊が、母の子宮から這い出てくるのさ」


 そ、壮絶ですね。で、でも、その赤ん坊も、結局はあの世へ渡って行くのでしょう?


「まさか。あの世とこの世の境目で生まれた、生きているのか死んでいるのか定かでない、そんな得体のしれない命を、あの世へ渡すわけにはいかねえ。だから母親は我が子を、この河原に捨てて行く。つまり『賽の河原の捨て子』ってことさ」


 なるほど、『賽の河原の捨て子』ですか。とても悲しいお話ですね。あ、ちなみに、あの世へ渡れなかった『賽の河原の捨て子』たちは、その後どうなるのですか?


 すると、僕の二人の上司は、何故か突然口をつぐんでしまった。


 ねえ、渡し守長、賽の河原の捨て子はどうなるのですか?


 どうしたのだろう、渡し守長が、泣きそうな顔で、僕から目をそらし続ける。


 ねえねえ、ビーさん、賽の河原の捨て子はどうなるのですか? 


 ビーさんの肩を掴んで揺すり、しつこく答えをせかす。


「……ったく、うるせーなあ」


 そして、いよいよ根負けしたビーさんが、悲しみに暮れた面持ちで僕の腕を払い除け、


「……そりゃあ、まあ、あれだ」


 半ばやけっぱちな口調で、こう告げた。




「三途の川で、渡し守でもやってんじゃねーの」






 ……え?






 


「……な~んてな」


「……ざ~んす」


 午後の仕事に向かう、渡し守エーとビーの背中を、僕はしばらく、ただ茫然と見ていた。



 

 オフィスに戻り、ぶよぶよに伸びきった、冷たいカップラーメンをすすった。


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