第12話 私は死刑執行人、またの名を、人殺し殺し

 ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―



 真夜中に、電話の音に叩き起こされた。夜間見廻りの者がワンダラーを一人保護したので対応して欲しいとのこと。僕は、しぶしぶ緊急で会社に出勤し、いやいやタイムカードを押した。


 日本の刑務官が、自宅で自殺を図ったらしい。


 死にきれず賽の河原を彷徨っているところを保護され、僕のところへやって来たのだ。


 いつものようにいつものごとく、僕は専用のタブレットを起動させ、ワンダラーの基本情報を入力する。


 お名前を教えていただけますか?


谷口淳たにぐちじゅん


 年は、おいくつですか?


「36歳」


 最後に、あなたの存在意義を教えて下さい。あなたは何者ですか?


「私は死刑執行人、またの名を、人殺し殺し」



 長い夜の始まりだった。



 ― ― ― ― ―



「フェリーマンタブレットの情報によれば、谷口さん、あなたは自宅の浴室でリストカットしましたね。業務用の大きなカッターナイフで手首を切った。幸いにして死には至っていません。リストカットによる致死率は極めて低いのです。生きたいという強い気持ちがあれば、あなたは現世に戻れます。さて、先ずは自殺の動機を教えて下さい」


 自分の名刺を差し出した後、僕は谷口さんに尋ねた。


「あの世に、人を待たせているのです」


 谷口さんはパジャン姿。腕や胸板の隆起からとても筋肉質な男性だと分かる。あの世に人を待たせている? いったいどいうことですか?


「つい先日、私は初めて死刑を執行したのです。その時の死刑囚が、あの世で私のことを待っている。人を待たすのは良くないことです。なるべくはやく行ってあげるべきです」


 健康的な肉体に反して、その顔は仮面を被っているかのように無表情。目はうつろ。発言の意図もまるで掴めない。


「谷口さん、僕でよろしければ、詳しくお話を聞かせて頂けますか? あなたはまだ死ぬべき人間ではない。一緒に考えましょう。一緒によい答えを出しましょう」


 僅かに頷き、かすかに震える小さな声で、谷口さんは話し始めた。


 薄暗い彷徨人課さまよいびとかの接客机に、谷口さんの悲痛な告白が漏れ広がっていく。



 ― ― ― ― ―



 私のようなノンキャリアの刑務官でも、十年以上在職していれば死刑執行の任務はいつ来てもおかしくない、そう上司から聞かされてはいました。

 それにしたって突然だった。その朝、いつものように出勤したら、入口でその上司が私を待っていましてね、開口一番「執行係を命ずる」と告げられましたよ。

「いきなりですか?」思わず上司に溢しました。事前に告げると、当日に仮病で休む者や、本当に精神をおかしくする者がいるので、その配慮だそうです。


 この国の死刑は絞首刑です。死刑執行といっても一人の刑務官が行えるものではありません。刑場にて死刑囚に目隠しの布を被せる者、手錠をかける者、足を縄で縛る者、落下するボタンを押す者が3人~5人、それから落下した死刑囚の揺れを押さえる者などなど。これも全て執行にかかわる自責の念を分散する為の配慮です。


 私は、その死刑囚を直接担当したことはありません。ゆえに目隠しの布を被せる役を命じられました。死刑囚の担当を長くした者は、やはりい幾ばくかの情が湧くそうです。したがって一番関係の薄い私が、一番嫌な役を命じられたのです。


 その死刑囚は、8人の女性を性暴行した後殺害したという殺人鬼でした。彼に執行の日が告げられたのも当日です。本人も驚いていましたよ。「いきなりですか?」私とまったく同じ台詞を溢していましたね。


 執行の時。死刑囚は他の者に大人しく手錠をかけられ、足を縛られました。それから、いよいよ私が顔に布を被せようとした瞬間、


「ねえ、刑務官さん。俺が人殺しなら、あんたは、人殺し殺しだ」


 その死刑囚が突如私に話しかけてきたのです。


「なあ、聞いてる? 刑務官さんよお。俺さ、もうこの世に未練なんてこれっぽっちもないけどさ。でもさ、ただこのまま死んでいくのもなんか癪じゃん? だから俺、たった今決めたんだ。俺、あんたのことを恨むことにする。たまたま目の前にいる刑務官のあんたのことを、徹底的に恨んで死んでやるよ。あんたも、あんたの家族も、末代まで祟ってやるよ」


「黙れ!」


反射的に叫んだ。頭の中が真っ白になった。


「俺が8人の女の命を奪ったように、あんたが今から俺の命を奪うんだ。いいかい? 俺たちは、もう他人じゃない。理解者だ」


「うるさい!」


「俺、先に行って待ってるから。あんたのこと、待ってるから。我が理解者よ、この話の続きはあの世でゆっくり話そうぜ」


「頼む! お願いだ! もう何もしゃべるな!」


 私は突如として襲った得も言われぬ恐怖に慄きながら、無我夢中で死刑囚の顔に布を被せた。そして力任せに彼の首に縄をかけた。

 合図と当時に数人が一斉にボタンを押す。誰の押したボタンが作動したのか分からないが、次の瞬間刑場の床が開き、死刑囚は落下した。

 お祭りの屋台の水風船のように、死刑囚の身体が空中を跳ねまわった。


 私はね、こんなことをするために刑務官になったのではないのです。公務員である自分を、ちょっと鼻にかけて生きたかっただけ。安定した職業に就きたかっただけなのです。上司に媚びへつらい、受刑者どもに偉そうに振舞っていられたら、それでよかったのです。


 死刑囚の首に縄を通すあの瞬間。私はあの時、いったい何様気取りだったのだろう。憲法の化身? 被害者や遺族の代行者? 正義の味方? 私は何様のつもりであの死刑囚を殺したのだろう? 


 あの死刑囚なら、その答えを知っているような気がする。彼はあの世で私を待っている。私は行ってあげなければならない。私たちはもう他人じゃない。人殺しと、人殺し殺し、きっと分かり合える。彼は私の理解者だ。私は彼と話しがしたい。



 ― ― ― ― ―



 長い長い夜だ。


 可哀そうに、この人は、壊れかけている。


「谷口さん、その死刑囚の口車に踊らされてはいけません。相手は殺人鬼です。きっと死に行く腹いせに、あなたを惑わすような発言をして楽しんでいたのです。あなたはからかわれただけです」


「そうでしょうか?」


「それから、自分を人殺し殺しなど呼ぶのはやめましょう。あたなは、ただ刑務官としての任務を遂行した。ただそれだけです。それ以上でも、以下でもない」


「でも、実際に死刑囚の首に縄を通したのはこの私です」


「だから何ですか? あなたが人殺し殺しであるならば、まわりにいた同僚も、上司も、検事も、全員人殺し殺しです。それどころか、絞首刑の縄を製作した会社も、刑場を設計施工した建設業者も、ボタンの作動を点検する機械屋も、受刑者に死刑を言い渡した裁判官も、そして何より死刑制度を容認している民衆が、一人残らず人殺し殺しです」


「エフさん、もう私には、刑務官という仕事を続けて行く自信がありません」


「ならば転職すればいいじゃないですか。転職の何がいけなのです? 簡単に言うなと怒られるかもしれませんが、何事も生きていればこそ。谷口さん、あなたは、この仕事の他にやりたかったお仕事はありませんか?」


「……転職かあ。実は私、昔から雑貨が好きで、雑貨屋さんになるのが密かな夢だったのです。主に輸入雑貨を扱うお店。好みの雑貨を海外から輸入して国内で販売するのです」


「素敵な夢じゃないですか!」


「そうかあ、転職かあ、雑貨屋さんかあ、そうかあ、その手があったかあ」


「さあ、時は来たり。谷口さん、ファイナルジャッジです! あなたは三途の川を渡りますか?」


「私は生きます! 生きて、立派な雑貨屋さんになります!」


 その刹那、僕たちの前に、現世への光の道が出現した。


「了解です! では、この光の道をひたすら歩いて下さい。そうすればあなたはいずれ現世に戻ります」


 エフさん、お話を聞いていただきありがとうございます。谷口さんは椅子から静かに立ち上がった。そして、光の道の入り口のとこで後ろを振り返り、最後にこう言った。


「でも、エフさん、私はとても気がかりです。私が転職したら、今後は誰が私に代わって死刑をするのでしょう? みんな、どこかの誰かが人知れず悪を闇に葬ってくれると勝手に思い込んでいますが、そのどこかの誰かがいなくなったら、いったい誰が死刑囚を殺すのでしょう? 社会悪を憎む民衆が、挙って死刑囚の首に縄をかけてくれるのでしょうか? ねえ、あなた、あなたに私の代わりが出来ますか?」


 僕はその問いかけに、答えることが出来なかった。


 谷口さんは、光の中へ消えた。


 途端にどっと疲れが出た。完全に寝不足だ。それでも、死ななくてよい命を救うことが出来たのだ。結果オーライ。僕はほっと胸を撫でおろした。


 気が付くと、夜空が白みはじめていた。



 ― ― ― ― ―



 七日後。


 いつものように、三途の川の渡船場を巡回していた僕は、自分の目を疑った。


 あの日確かに現世に戻ったはずの谷口さんが、死装束を着て、他の多くの死者と一緒に、渡し舟に乗る列に並んでいたのだ。


「谷口さん!」


 僕は慌てその列に駆け寄る。


「やあ、エフさん。今度は死にぞこなわないように、しっかりと深く手首を切りましたよ。お陰様で、ごらんの通り、ちゃんと死ぬことが出来ました」


 白い三角頭巾を巻いた谷口さんが、青白い笑顔を見せる。


「なぜだ! なぜ戻って来た!」


「あれから色々と考えたのですけどね、やはり私は、どうしてもあの死刑囚と話がしたい」


「雑貨屋さんの夢はどうなったのですか!」


「死刑囚があの世で私を待っている。私は行ってあげなければならない」


「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! あなたは死ぬべき人ではないんだ!」


「私とあの死刑囚は、もう他人じゃない。人殺しと、人殺し殺し、きっと分かり合える」


「何度言ったら分かるんだ! 死刑囚を殺したのはあなたではない! 民意だ! 人殺しを殺すのは、民衆の意思なんだ!」


「彼は私の理解者だ。彼は私の理解者だ。彼は私の理解者だ……」


 谷口さんは、取り憑かれたように渡し舟に乗った。駄目だ。この人は完全に崩壊している。以前と同じことをうわ言のよに繰り返している。


「馬鹿野郎! 谷口淳たにぐちじゅんの大馬鹿野郎!」


 渡し舟が渡船場から静かに離れる。力なく指の曲がった手をゆっくりと振りながら、谷口さんはあの世へと消えて行った。


 人の命を無慈悲に奪った殺人鬼は、自らの命をもって償うべき。

 

 なるほど、正論だ。


 死刑制度に反対をする者は、被害者やその遺族の気持ちになったことがあるか?


 なるほど、正論だ。


 ならば問う。


 死刑制度に賛成をする者は、死刑を執行する者の気持ちになったことがあるか?


 死刑囚に手錠をかけ、足を縛り、顔に布を被せ、首を縄にかけ、自らが絞首刑執行のボタンを押すことを想像したことがあるか?


「馬鹿野郎おおおおおお!」


 誰もいなくなった三途の川の水面に向かって、声を枯らして叫ぶ。


 叫び声が、頭の中で耳鳴りとなって、いつまでも鳴りやまない。


 やり場のない怒りに、僕は、ただ耳を塞ぐ。

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