第10話 渡し舟に乗ってあの世から舞い戻った男

 ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―



「お久しぶりです」


 三途の川の向こう岸から、戻りの舟が渡船場に着いた。通常であれば船頭たち以外誰も乗っていない戻りの舟に、萎れた老人が一人乗っている。僕は、渡船場から現世側の河原に降り立つ老人に、笑顔で挨拶をする。富田富蔵とみたとみぞう、80歳。この老人は、ある目的の為、再度三途の川を渡り、あの世から舞い戻った。


「これはこれは、三途の川の渡し守、エフ殿。お久しぶりです」


 富田さんをお世話するのは、これで二度目だ。現世時間で言うところの、今から半年程前、富田さんは、心筋梗塞で命を落とした。突然の出来事に、自分が死んだという事実を受け入れられなかった富田さんは、現世とあの世の境目であるこの三途の川の河原を、ふらふらと彷徨っていた。そこを係りの者に保護され、最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーである僕のところへ案内されて来たのだ。


 富田さんは、現世に残した認知症の奥様のことを最後まで気にかけていた。しかし「あなたは天寿を全うした。この運命は、抗うことなく受け入れるべきではないか」という僕の説得に応じ、最終的に三途の川を渡ることを決断したのだった。


「いやあ、エフさん、聞いて下さいよ。あの世でのんびりと毎日を過ごしていたら、昨日向こうのお役人が私のところにやって来ましてね。速やかに準備をして、もう一度渡し舟に乗れと。もう一度こちらのあなたを訪ねろと。そう急き立てるのです」


「はい、私も、今日あなたが来ることは、あの世から伺っています。さあさあ、富田さん、申し訳ありませんが、長旅の疲れを癒している時間はないのです。では、さっそく参りましょう」


「え? 行くってどこへ?」


 渡船場では、戻ったばかりの渡し舟に、さっそく新たな死者が一人、二人と順番に乗り込んで行く。今日も沢山の死者がこの美しき河原で、係りの者が配布した死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻き、静かに静かにあの世へと渡って行く。


 見慣れた三途の川の風景を後にして、僕は、曲がった腰でヨタヨタと歩く富田さんと一緒に、時空のトンネルを歩き、現世へと急ぐ。



 ― ― ― ― ―



「おおおお、懐かしい。ここは、私が生まれ育った故郷ではないですか」


 現世に到着をした。周囲を山や丘に囲まれた濃密な盆地に佇む寒村。目の前には、深緑色の大自然が広がっている。


「うわあああ、何だか知らないけれど、異常な数の風車かざぐるまですね」


 村のいたるところに風車が飾ってある。赤、青、緑、黄色、ピンク、百個、二百個、恐らく幾千の多彩な風車が、集落の家々に飾られ、路傍に突き立てられ、野山の樹々に縛り付けられている。


「ああ、これはね、この村の民族風習です。ここは深い盆地で一年を通してほぼ無風。風を乞う村人の感情が文化として形を成したのです。相変わらず、綺麗だなあ。私は、この故郷の景色が大好きです。生前は村役場に勤めていましたので、この民族風習を観光事業の促進に利用したいと考えましてね。私の一存で、村の名前を変えちゃいましたよ」


「そう言えば富田さんは、生前のご自分の存在意義を『村役場の職員』であるとお答えでしたね。ちなみに、この村の名前は何というのですか?」


風車村かざぐるまむらです」


「そ、そのままっすね!」


「はい。良いセンスでしょう? あはは」


 僕たちは、低空飛行で移動をして、かつて富田さんが生活した家に着いた。


 古い日本家屋。縁側の襖は開けっ放し。その奥に八畳の寝室が見える。柱、鴨居、天井、箪笥、化粧鏡、仏壇の端々にいたるまで、無数の風車(かざぐるま)が所狭しと飾られている。そして、低い軒下には、鉄製の錆びた風鈴がひとつ、これ見よがしにぶら下がっている。これらの室内装飾も富田さんの良いセンス? であろう。


 室内に三つの人影。認知症の奥様、それから長男の嫁と、孫娘。「おお、結婚してこの村を離れた孫のナツミが里帰りしているではないか!」富田さんが、歓喜の声を上げる。

 介護用ベッドに横たわる奥様が、嫁にオムツを替えてもらっている。その様子を、孫のナツミが、苦悩の表情で眺めている。僕は、渡し守だけが持てる特殊な末端「フェリーマンタブレット」を起動させて、富田家の近況を調べた。


「富田さん、僕のフェリーマンタブレットの情報によれば、あなたは認知症の奥様を献身的に介護していましたね。二歳年下の奥様の認知症は、3年程前から急激に酷くなった。日を追って記憶障害や言語障害が進行し、やがて歩行にまで障害が出た。あなたが心筋梗塞で急死してからは、長男の嫁が、あなたに代わって奥様の介護をしている」


「はい。昔から本当によく出来た嫁です。外国で単身赴任中の長男も安心していることでしょう。しかしまあ、お嫁さん、随分と老けた。体はやつれ果て、顔には精気が無い。介護疲れかな」


「それでは富田さん、あなたが神から与えられた目的を果たす為、室内へと参りましょう。おっと、その前に幾つか注意点があります。何となくお察しとは思いますが、我々が現世の物に触れることは出来ます。しかし、生きている者に、我々の姿は見えません。声も聞こえません。とにかく物音には注意して下さいね。生きている者たちが、やれ超常現象だ、やれラップ音だと怖がりますので」


 僕は、後方の富田さんに話しかけながら、縁側から室内に入る。その時、言っている自分が軒下の鉄風鈴に頭をぶつけてしまった。情けない。

 

更には、よそ見をして歩く富田さんも「あ、そこに風鈴がありますから、気を付けて」という僕の注意も虚しく、風鈴に頭をぶつけてしまう。あちゃちゃちゃちゃ。



 チーーーン。 チーーーン。



 風車の回らぬ室内に、かん高い鉄風鈴の音が二つ、続けざまに響いた。


 おや、認知症の奥様に向かい、孫のナツミさんが、介護用ベッドの柵から顔を覗かせて話しかけている。


「おばあちゃ~ん、元気~。私だよ~。ナツミだよ~」


「……おたく、どちら様ですか? 私に気安く話しかけないでちょうだい。警察を呼びますよ」


「う、嘘でしょう、おばあちゃん。ほら、私のこと忘れたの? ナツミ! 孫のナツミだよ!」


「ナツミ? ……あ、思い出した。そんな駄目な孫がいたっけ。あれは、本当に馬鹿で、グズで、手の施しようのない愚物だった」


「やめて、おばあちゃん! このままじゃ私、おばあちゃんのこと、嫌いになっちゃうよ!」


「えーん。えーん。お嫁さ~ん、助けて~。この女がいじめる。この女がいじめるよおおお。お嫁さん、早く来て~、お嫁さん、どこにいるの~」


「私なら、さっきからずっとここにいますよ」


「おい、鬼嫁、おじいちゃんはどこだ! おじいちゃんをどこに隠した!」


「何度も言っているでしょう。おじいちゃんはね、半年前に死んだの」


……ナツミさん、かなり辛そうですね。僕たちは、室内の天井付近に浮遊して、現世の地獄絵図を見下ろしている。


「ナツミは、昔から利発な子でね。考え過ぎるところが玉に瑕かな。私はナツミにメロメロでしたよ。笑っている時も、怒っている時も、何から何まで可愛くてね。ナツミの前では、つい照れてしまうのです。私は結局彼女の目をまともに見ることが出来なかったな。


 あれはナツミが短大生の頃。妻は、私が目を離した隙に近所を徘徊するようになった。私は妻を探し回る。まあ、大抵は隣の息子夫婦の家の縁側にいましてね。縁側で孫のナツミの腕の中で泣いている。ナツミは私の顔を見るなり『おじいちゃん、帰ってよ! もうおばあちゃんを迎えに来ないで!』と私を罵る。妻に何を吹き込まれたのか知らないが、憎悪の目で私を見るのだ。ふふふ、その怒った顔も、これがまた可愛かったなあ。


 それから妻の手を引いて家に帰るとね、妻が私に「ナツミがいじめる。ナツミがいじめるよおおお」と泣き喚くのです。勿論、ナツミに限って、あり得ないことだから、私は妻の戯言には一切取り合わなかったがね。

 今思うと、あの頃から妻の認知症は始まっていたのかなあ……」


「富田さん、ご覧の通り、お嫁さんもお孫さんもとっくに限界です。教えて下さい。あなたは奥様の介護が辛くなかったのですか?」


「辛い? あはは、まさか。私は孫にメロメロでしたが、その何十倍も何百倍も、妻にメロメロでしたよ。妻と出逢った時も、妻と結婚した時も、妻が認知症を患ってからも、ずっとずっと彼女にメロメロだったのです」


「あなたと奥様は、本当に仲の良いご夫婦だったのですね」


「勿論です。周りがどう見ていたかは別としてね。ははは」


 そんな会話をしていた時だ。現世では、思い詰めたナツミさんが、突如として仏壇に駆けより、正座をして、両手を合わせ、黒縁の写真の中で微笑む富田さんに、天空に轟けとばかりに叫けんだ。


「助けて、おじいちゃん! お願い、おばあちゃんを迎えに来て!」


「おいおい、ナツミときたら、迎えに来るなと言ったり、迎えに来いと言ったり、まったく困った子だよ。へへへ。でもそこがまた可愛い」久しぶりに孫が自分を呼ぶ声を聞いた富田さんが、空中で鼻の下を伸ばしている。


 その刹那、俗に「神」と呼ばれる者の「粋な計らい」が、いよいよ幕を明けた。


「……な、な、ナツミ、み、み、見て、おばあちゃんが立った」


 嫁が驚きの声を上げる。見ると、寝たきりの奥様が、介護用ベッドの上で直立をしている。嫁も孫も、気が動転し、腰が抜けて動けない。

 ユラユラと不安定な仁王立ち。目はうつろ。ぼんやりと虚空を眺めている。いや、違う、どうやら部屋の天井付近の、ある一点を凝視している。


「え、え、エフさん、我々の姿は、生きている者には見えないのですよね! 何かの間違いでしょうか、妻が明らかに私を見ている!」


「あれ、おかしいっすね。こちらは見えない筈ですけどね。富田さん、すみません、実は、私が神から指示されたのは、あなたをここに連れてくるところまで。この先の展開は、私も詳しくは聞かされていないのです」


 奥様が、富田さんに吸い寄せられるように歩き出す。ベッドの柵を跨ぎ、畳の上に激しく落下をする。左足が、あらぬ方向へ曲がっている。折れた足などお構いなしで、畳の上を這いずり這いずり、富田さんに向かって前進をする。


「……わわわ、妻が来ます! どんどんこちらへ向かってきます!」


 それから奥様は、部屋の中央辺りで、生まれたての子馬が立ち上がるように四つん這いになり、細くシワだらけの右手を天に高く掲げ、絞り出すように言葉を漏らした。


「……あ、な、た」


 救いを求める奥様の声を聞いた途端、先程まで怯えて空中で後ずさりをしていた富田さんが、冷静さを取り戻した。何かを悟ったように、静かに畳の上に舞い降りる。そして、天高く掲げた奥様の右手を、自分の右手でしっかりと握った。


「成程ね。私がここに導かれた目的がやっと分かりましたよ。後で叱られたくないので、念の為あらかじめ聞いておきます。エフさん、私、行動を起こしますよ。本当によいのですか?」


「はい。富田さんの思うままに。あなたがこれから行う事、それこそが、神の意思です」


 富田さんは、笑顔で僕にコクリと頷き、


「寂しい思いをさせてゴメンね。迎えに来たよ」


 そう奥様に囁き、それから、握った右手を力いっぱい手前に引いた。


 奇跡が、起きた。


 奥様の体から、魂が、すーーっと引き抜かれる。僕にはそれが、肉体という殻を破って、魂が脱皮しているように見えた。


「あなた、会いたかったわ!」


 肉体を捨てた奥様が、富田さんに激しく抱きつく。老婆が老爺の頬に熱烈キッスを連発している。認知症は肉体に置いてきたようだ。


「こらこら~、エフさんが見ている~、場をわきまえないか~」


「ははは、お気になさらず。奥様、突然の出来事で、あなたの魂は、僕のフェリーマンタブレットの死亡者リストにアップされていません。奥様、ファイナルジャッジです。あなたは、三途の川を渡りますか?」


「勿論、渡るわ! もう二度と、愛する人から離れたくはない!」


 奥様が富田さんの腕に手をまわして、腰をクネクネさせてのろけた。その瞬間、奥様の名前が死亡者リストに上がった。


 それでは、三途の川に向かいましょう。そう後方の二人に話しかけながら、室内から縁側へ出る。その時、また軒下の鉄風鈴に頭をぶつけてしまった。

 案の定、イチャイチャしながら歩く老夫婦も「あ、そこ風鈴! 今度こそ気を付けて!」という僕の注意も虚しく、揃って風鈴に頭をぶつけてしまう。



 チーーーン。 チーーーン。 チーーーン。 



 風鈴の音が三つ鳴った。


 風車は回らなかった。



 ― ― ― ― ―



 時空のトンネルを戻って、三途の川に到着をする。後ろから付いて来る二人を振り返り、僕は驚いた。なんと二人の外見が、二十代前半ぐらいの青年と女子に若返っている。よくよく考えたら、もう魂だけなのだから、いつまでも老いた肉体の残像を保つ必要もない。若返りも自由だ。「うふふ。ペアルックね」奥様が死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻く。


 渡船場に並ぶ死者の列の最後尾に、二人を案内する。


「エフさん、この度もまた、大変お世話になりました。今日からこの最愛の妻と、あの世でまた新婚からやり直します」


「それは御馳走さまです。せっかくなので新婚祝いを贈りましょう。しがない渡し守なので、物品は無理ですが、僕に出来る事であれば、何かさせて下さい」


「それなら、私と妻が生きたあの村に、風を吹かせて欲しい。あの村は、もう何十年も無風なのです」


「了解しました。風神様に手続きを取ります。徹夜をして申請書類を作成すれば、何とかなるでしょう。恐らく奥様の葬儀が終わる頃には、風は吹く。村を取り囲む山々の山頂から、豪快な大風を吹かせ、村じゅうの風車を一斉に回して御覧に入れますよ」


「まあ、素敵! エフさん、ありがとう! ちゅ」


 若返った奥様が、僕の頬にいきなりキスをした。欧米スタイルの奥様の振舞に、僕は照れた。


「こらこら~、旦那の私が見ているぞ~、場をわきまえないか~」


「あら、嫌だ、妬いているの?」


 二人が、キャピキャピと雑談をしながら渡し舟に乗る。


「きゃ~、お舟に乗るのなんて何十年ぶりかしら~、楽しみ~」


「向こう岸に着くまでに、絶景ポイントが数カ所あるのだ。私が案内するから任せなさい。何たって私は、三途の川の渡し舟に乗るのは、これで三度目なのだ」


「きゃ~、富蔵さん、かっこいい~」


 うわあ、もう僕のことなど眼中にない。すっかり二人だけの世界に浸りきっている。恐るべき愛の魔力。


 現世において、最愛の伴侶に先立たれた者が、まるで後を追うように死ぬ事例が往々にしてある。それらは全て、今回のような「あの世の粋な計らい」が裏にあるのだ。

 現世の者たちが「神」と呼ぶ三途の川の向こう岸の者たちが、なぜ時折このような粋な計らいをするのか、それは僕にもよく分からない。

 どうせ、ただの気まぐれだ。僕は秘かにそう睨んでいる。神だって、計らい事のひとつやふたつ、気まぐれに施したくなるのだ。うん、きっとそうだ。


 渡船場から渡し舟が出る。富田さんと奥様が、仲睦まじくあの世へと渡って行く。三途の川は、晴天なり。


 兎にも角にも、神さんよ。そんな気まぐれなら、大歓迎っす。








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次回は、番外編として、本作に登場したナツミの視点で、アナザーストーリーを書きます。お楽しみに。


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