第9話 走れ! 三途の川の迷い犬

 ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―



三途の川も、すっかり冬だねえ。


 全開にしたオフィスの窓に肘を掛け、冬ざれた河原の景色を見る。今日も、沢山の死者が、係りの者が配布した死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻き、列になって順番に船に乗り、静かに静かにあの世へと渡って行く。

 

 室内の空気を入れ替えると、書類疲れでぼーっとした頭がスッキリする。現世から吹きすさぶ寒風が頬に刺さる。


「ぎゃーーー! 誰かあああ、助けてざんすーー!」


 おや? どこからか上司の渡し守長の声がする。声の行方を捜す。あや? 渡船場で渡し守長が一匹の犬に追いかけ回されている。あはは、なにやってんだか。よし、犬、行け、そこだ、噛め、噛みちぎるほどに。あ、やべえ。渡し守長が、窓から様子を見下げる僕に気が付いた。


「こらーーっ! エフ君ーー! 何をボーッと見ているざんすー! さっさとこの犬をどうにかするざんすー! 私、犬が大の苦手ざんすー!」


 三途の川の迷い犬。人間たちの渡船場より遥か上流に、死んだ動物たちの渡船場がある。稀にこの犬のように、生涯を終えた動物が間違って人間の渡船場に迷い込むことがあるのだ。


 渡し守長を渡船場の先端まで追い詰めた犬が、彼のお尻に漫画みたいにガブッと噛みついた。期待通り! おっと、訂正。不測の事態だ!


「ガブッ。ガブッ。フガガッ」


「うんぎゃーーー! 痛いーーー!」


 ぼちぼちと河原に出た僕は、渡し守長のでん部に嚙みついて離れない犬に話しかける。


「はいはーい、そこの君ぃー、いったん落ち着こうかー」


 賽の河原では、動物とだって普通に会話が出来る。タブレットを起動させて、犬に質問をする。


「えーっと、君、お名前は?」


 犬が答える。


「ガブッ。ガブッ。フガガッ」


 次の質問。


「君、歳は? おいくつ?」


 犬が答える。


「ガブッ。ガブッ。フガガッ」


 次の質問――


「こらー! おま、正気かー! 先ずは、私のお尻に噛みついているこれをどうにかしてから質問するざんすー!」


 ちっ。面白いからこのまま質問を続けようと思ったのだが、やはり注意されてしまった。


 興奮した犬に川の水を飲ませ、落ち着いたところで、再度質問を始める。


「あたしの名前は、モモ。歳は16」


「へえ~、16歳? 君の犬種にしては、長生きしたね」


「犬種?」


「そうだよ、モモちゃん。君は、フレンチブルドックという犬種のメスだよ。フレンチブルドックは平均寿命が10歳というから、大往生だったね」


 ブリンドルという、光沢のある黒毛のところどころに虎模様のある毛並みが可愛らしい。


「あたしは犬じゃない! 人間よ! さっきコイツもあたしを犬扱いしたから噛みついてやった! あんたも噛んでやろうか! ガルルルルル!」


 そう言ってモモちゃんは、実に犬らしい唸り声を上げた。ひいい。渡し守長が歯形のついたズボンのお尻を隠して怯える。


「違うよ。君は犬だよ。フェリーマンタブレットの情報によれば、君は藤井さんというご夫婦に飼われていたペットだ」


「ペットじゃない! 家族よ!」


 よーし、よーし、分かった、分かった、いい子、いい子。僕はモモちゃんの頭を優しく撫でる。犬の習性で、反射的にコロンと寝転がってお腹を見せてしまうモモちゃん。


「か、勘違いしないでよね! あんたに気を許した訳じゃないからね! あたし、そんな安い女じゃないから!」


「しゃー、しゃー、しゃー、いい子、いい子。モモちゃんは、自分のことを人間だと信じているから、間違って人間の渡船場に来ちゃったみたいだね。これからお兄ちゃんと一緒に現世の飼い主のとこへ行って、いろいろ確かめてみよう」


 僕はモモちゃんの柔らかなお腹を撫でながら言った。ブヒー、ブヒー。恍惚とした表情のモモちゃんは、短頭種特有の豚のような鼻息を漏らして頷いた。



 ― ― ― ― ―



 モモちゃんの葬儀が行われている斎場に着いた。


『ペット葬』


 動物霊園内の斎場には、そう書かれた大きな看板が掲げられらている。その文字の脇に自分と同じ犬種の絵が描かれているのを見て、モモちゃんが愕然としている。


「……う、嘘でしょう? あたし、ペットなの? あたし、パパとママと同じ人間だと思っていた。ママのお腹から産まれた子供だと思っていた。だって普通に家族の一員として生活をしていたから」


 僕は、しょげるモモちゃんを抱っこして、葬儀会場に向かって歩いて行く。


「何を言っているの。ペットだって家族だよ。立派な家族」


「でも、あたし、ママのお腹から産まれていないのでしょう?」


「モモちゃんとパパとママは、魂の家族さ。本当の本当はね、あんまり関係ないんだ。チの繋がりだとか、イデンだとか、セイベツ、ネンレイ、ジンシュだとか。そんでもって、ニンゲンだとか、イヌだとか、シュゾクだとか。魂の家族にとって大きな問題ではない。そんなしょぼくれたことは」


「たまたま、あたしが犬のカタチであっても、家族は家族?」


「そうさ、たまたまパパやママが人間のカタチであっても、家族は家族」


 会場に入った。小さな会場。遺体の上にモモちゃんの写真が飾らている。その前にパパが一人で椅子に座っている。


「あれ? ママは? ママがいない!」


「タブレットの情報によれば、君を失ったショックで体調を崩して病院に入院してしまったらしい。重度のペットロス。なおかつ、君の最期を決めたという罪の意識に苛まれている。とてもここへ来るような元気はないよ」


「あたしの最期を決めたって、どういうこと?」


「君に、晩年の自分の記憶はないのかもしれないね。君の晩年はね、目も見えず、頭もすっかりボケてしまって、食事も排泄も自分で出来ない状態だった。それでも、パパやママは、献身的に君のお世話を続けたそうだよ。そして最期の時、君は老衰し、激しい痙攣を繰り返すようないなった。そんな可哀そうな君をママは見ていられなかたんだ」


「ママは、あたしをどうしたの?」


「病院の先生と相談して、君がもう苦しまなくてよい方法を施した。安楽死さ」


「まさか、ママが、あたしを殺したの?」


「苦渋の決断だ。君を愛すればこそだ」


「な、何が家族よ、馬鹿々々しい! あたしなんてただのペットよ! しょせん犬畜生なのよ!」


「二度とそんな言い方をするな! 君は、16年生きた! 犬として十分長生きした! パパとママに深く愛されていた証拠だよ! 家族として大切に育ててもらったんだ!」


 その時だった。


 祭壇の前に一人で座っていたパパが、モモちゃんの写真に向かい、ぽつりぽつりと話始めた。



 ― ― ― ― ―



 モモちゃん、聞こえるかい? 


 モモちゃん、そっちは、どうだい?


 急に遠いところに行っちゃたから、パパにはもう、モモちゃんが見えやしないよ。


 モモちゃん、パパは寂しいよ。


 モモちゃんには、パパが見えているのかな? ずるいや。



 モモちゃん、最期までがんばったって、病院の先生に聞いたよ。


 立派だね。パパ、近くにいてやれなくて、ごめんね。本当にごめんなさい。


 モモちゃん、お疲れだね。もう、痛くない。もう、つらくない。


 もう、なにも心配することはないから、ゆっくり休んでおくれ。


 えっ? ママ? そりゃあ、悲しんでるさ~。 も~大変よ。ははは。


 でも、大丈夫。心配すんな。ママには、パパがついてっからね。パパに、まかせとけっつーの。



 いやぁ~、楽しかったね~、この16年。怒涛のように楽しかった~。


 今日までの君との思い出に、悲しい思い出なんて微塵もないよ。


 それは、君が地上から消え去った、今日という日を除けばのことなのだけど。



 そうそう、不思議なことがあったなあ。


 実はね、16年前、パパとママがモモちゃんをお店ではじめて見た時、


 モモちゃんと、今出会ったばかりなのに、パパもママも、


「どこ行ってたの! 探したじゃん!」って思ったよ。


 そんで、気が付いたら、うちの子になってた。


 おかしいね。何だろね。


 たしか、パパがママとはじめて出会った時もそんな感じだったなあ。


「どこ行ってたの! 探したじゃん!」つって、そんで、気が付いたら結婚してた。



 だからね、モモちゃん、パパは思うんだ。


 僕たち家族は、たとえ死に別れてしまっても、また必ず生まれ変わって、


 いつか、また巡り会うんだよ。


 これまでだって、きっとそうだったんだ。


 モモちゃんに出会った時の、あの「不思議な懐かしさ」は、きっとそういうことなんだ。


 僕たちは、これまでも、これからも、何度も生まれ変わって、何度も巡り会って、


 永遠に家族を繰り返すんだよ。


 今回僕たちは、たまたま人間と犬で出会ったけど。次は何だろう。楽しみだね。


 ほら、そう思えば少しだけ、ほんの少しだけ、悲しくなくなるね。ははは。


 さっさと生まれ変わって、はやく近くに来て下さい。


 パパもママも待ってるから。


 ずーっと待ってるからね。


 モモちゃん、この16年間、本当にありがとうね。



 ― ― ― ― ―

 


 モモちゃんの遺体は、荼毘に付され、骨になった。


 モモちゃんが、どうしても自分の体が骨になるところを見届けたいと言うので、僕たちはパパがモモちゃんの骨を拾い終わるまで現世にいた。


 やがて、僕たちは賽の河原に戻った。


「ねえ、お兄ちゃん。あたしとパパとママ、本当に前世でも家族だったのかな?」


「うん、きっとそうだよ」


「前世の繋がりを証明出来る? さっきからお兄ちゃんが得意げにいじっているそのタブレットとやらで」


「うーん、僕程度の役職のタブレットに、そこまでの機能はないよ。もう少し上の役職の者なら、前世の情報を得る権限ぐらいはあるかもしれないけどね」


「もう少し上の役職の者って、例えば?」


「例えば、そう、渡し守長」


 僕たちは猛ダッシュで、渡船場で死者をテキパキと捌いている渡し守長のところへ戻った。


「な、な、何ざんすか! このクソ忙しい時に! んもおおお、この忌々しい犬ッころ! 特別ざんすからね!」


 渡し守長は自分のタブレットを起動させ、モモちゃんとパパとママの前世の繋がりを調べてくれた。根は、心優しい方なのだ。瞬く間に渡し守長のタブレットに二人と一匹の情報がヒットした。


「えー何々、前々々世では、モモとパパが、人間の夫婦。前々世では、モモとママが、姉妹。前世では、モモは、二人のいとこ。以上、これが繋がりざんす」


「ちょっとー、何よそれー! 夫婦が、姉妹になって、いとこになって、現世はペットって! 明らかに関係性が薄くなってるじゃないの! これって、来世は絶対他人のパターンでしょう!」


 モモちゃんが、悲し気な顔で僕に吠える。


「あの~、渡し守長、よろしければモモちゃんの来世を調べていただけませんか?」


「エフ君、残念だけど、来世の検索は、私には、無理ざんす。それらのデータは全てあの世が厳重に管理しているざんすからね」


「そこを何とか。もうこうなった以上、来世を知らねば、ぶっちゃけこの子も納得しないと思うんすよね」


「しつこい! 無理だってば! まあ、不正アクセスでもすれば別ざんすが……」


「出来るんですか、渡し守長殿!」


「まあ、人間の来世に関する情報管理に比べて、動物のそれはガードが緩いとも聞くし、やってやれないこともないざんすが……。って、ダメダメダメ! もし不正アクセスがバレたら、その時はもう解雇どころじゃ済まないざんす!」


 ガルルルルル! モモちゃんの、けたたましい唸り声。


「ねえ、お兄ちゃん、あたし、コイツのことまた嚙んでいい? すっごく噛みたいんですけど!」


「あれ~、変だな~、見えてな~い。僕ちゃん何も見えてな~い」


 僕は、わざとらしく口笛を吹きながらそっぽを向いた。


「わ、わ、わ、わ、わ、分かったざんす! やってみるざんす! まったくこの忌々しい犬っころめえええ!」


 根は、心優しい方なのだ。


 渡し守長は、小一時間タブレットの画面と格闘していた。そして、いよいよ歓喜の声を上げた。


「うっひょーー! アクセス成功ざんすーー! さあ、これを見るざんすーー!」


 渡し守長が、僕とモモちゃんに、タブレットの画面を見せる。


 そこには、モモちゃんのパパとママが病院で抱き合って喜んでいる動画が映し出されていた。


『し、信じられない! お前、よくやった! よくやったよ!』


『私こそ信じられないわ! 16年授からなかったのに、突然このタイミングでなんて!』


パパとママ、何を喜んでいるの? モモちゃんが渡し守長に尋ねた。


「これは、三日後の二人の様子さんず。この日、ママのお腹に新しい命がいることが判明する。パパとママには、16年間授からなかった赤ちゃんが出来たざんす」


「さ、さ、さ、最悪じゃん! もう100パーあたしの出る幕ないじゃん!」


「やい、犬っころ。話は、最後まで聞くざんす」


 渡し守長は、モモちゃんの前にしゃがんで、モモちゃんの頭を撫でながら、まるで自分のことのように嬉しそうに伝えた。


「モモよ。私のタブレットの情報によれば、君の魂は、あのママのお腹の子に宿る」


「ほ、本当!?」


「ほ、ほ、ほ、本当ざんすか、渡し守長おおおお!」僕は、思わず渡し守長の口癖で叫んだ。


「ああ。私が危険を冒して得た情報ざんす。間違いない。君の来世は、あのパパとママの子供ざんす」


「バウバウバウ! きゃー、嬉しい! ありがとう、渡し守長! ぺろぺろぺろぺろ……」


 モモちゃんが、渡し守長に飛びつき、顔中をヨダレまみれにして、舐めまくっている。やめるざんす~。くすぐったいざんす~。久しぶりに渡し守長の笑顔を見た。いや、初めて見たかも。


「よーし、そうと決まったら、モモちゃん、急いで川上に向かって走れ!」


「そうね、こうしちゃいられないわ! あたし、急いで動物の渡船場に行かなくちゃ! だってあたしは犬だから! 藤井家のパパとママに愛された、誇り高きペットだから!」


「うおおおお、モモちゃん、走れ! 動物の渡船場はここから遥か上流だ!」


 興奮した僕は、意味もなく腕をぐるんぐるん回しながら叫んだ。


「ざんすー!」


 渡し守長も、つられて腕をぐるんぐるん。


「バウバウバウ! ありがとう、お兄ちゃん! ありがとう、渡し守長!」


「走れ、モモちゃん!」 ぐるんぐるん。


「ざんすー!」 ぐるんぐるん。


 三途の川の迷い犬は、河原の石をじゃりじゃり鳴らして、疾風のように上流に向かって走り出した。


 現世から吹きすさぶ寒風が、僕の頬に刺さる。

 

「それにつけても、すっかり冬だねえ」


 大空を見上げてそう呟いて、ふたたび川上の方に視線を戻すと、


 迷い犬の姿は、もう遥か遠くに消えていた。

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