第8話 ロスジェネ世代、人生の折り返し地点のところで

 ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―



古橋和義ふるはしかずよし、47歳、存在意義=無職。


 大晦日の夜。山登ウエアに身を包んだ中年男が、三途の川に迷い込んだ。弊社の死亡者リストに、彼の名前は上がっていない。僕は、年末ぎりぎりに駆け込んだワンダラーの対応をすることになった。


「古橋さん、あなたは、あの世とこの世の境目に迷い込んでしまったのです。ひょっとして○○山に年越し登山をして、山頂で新年の御来光を拝むつもりでしたか?」


「……まあ、そんなところです」


 粗茶ですが、よろしければ。あ、とても熱いので気を付けて下さいね。僕はオフィスにある石油ストーブの上のヤカンから急須にお湯を注ぎ、ぼこぼこと煮えたぎるお茶を彼に出した。


「しかし、あなた、私が登った山の名前までよく分かりましたね」


 あちち。本当に熱い。熱いにも程ほどがある。古橋さんは、湯呑を持った指を耳たぶで冷やす。僕は、彼に名刺を渡して自己紹介をする。フェリーマンカンパニーの最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーで、エフと申します。


「古橋さん、ここだけの話、あの山はね、この国に点在する、隠れ霊山のひとつなのです。あの山の中腹には、あの世とこの世の境目が開かれている場所があります。あなたは、その時空の切れ目から、たまたまこちらの世界に迷い込んでしまったのでしょう。毎年この時期になると、そんな登山者が数名現れるのです。さて、フェリーマンタブレットの情報によれば、あなたは、まだ死者になるべき人ではない。さあ、地元が神隠しだ何だと騒ぎ出す前に、僕が、あなたを現世までお送りしましょう」


「あれ、おかしいな、そうでしたか、私は、まだ死ぬ予定ではなかったですか」


 お茶を飲み終わった古橋さんは、意味深げな薄笑いを浮かべながら、傍らのリュックサックを背負おうとした。その時、どうやらリュックのチャックを閉める忘れていたらしく、リュックの中身をドサッと床にぶちまけてしまった。


 僕は、言葉を失った。


 古橋さんが、気まずそうな顔で、自らの頬のあたりをポリポリと搔いている。


 オフィスの床に、首吊りロープと、遺書が転がった。



 ― ― ― ― ―



「お願いです、エフさん。ちょうど死のうと思っていたところなのです。せっかくですから、このまま死なせて下さい」


 古橋さんは、何度もそう僕に嘆願した。


「要件は道すがら! お悩みは道すがら! とにかく現世に向かって歩きましょう!」


 僕は、現世に戻りたがらない彼の背中を、後からぐいぐい押しながら、彼を現世に導く。


「わーお、ほらー、古橋さん、綺麗な星空ですね」


 僕たちは、現世に辿り着いた。


 彼が登山をしていた隠れ霊山の中腹の、うねるような樹々の隙間から、幾千の星が輝いている。


「本当だ、とても星が近い。手を伸ばせば届きそうだ。ほら」


 そう言って彼は、実際に夜空に手を伸ばして星を掴もうとした。ちょっとしたおふざけだろう。でも、僕には、彼が本当に星屑を鷲掴みにしているように見えた。指の隙間からこぼれた星は流星になって儚く消えた。


「長年勤めていた会社がね、昨今の新型コロナの影響で、倒産したのです」


 満天の星空に魅了され、気持ちが落ち着いたのか、彼は静かに語り始めた。



 ― ― ― ― ―



 再就職先を探したのですが、どこも不景気で、四十半ばを過ぎた中年を雇ってくれるところなんて、そうそうないのです。


 挙句の果てに、そんなダメ亭主に愛想を尽かせた妻が、私に離婚を申し出ました。まあ、何年も前から醒めきった関係でしたから、別段ショックではありませんでしたけどね。つい先日、妻は、子供と一緒に実家に帰りましたよ。


 望む就職先がなければ、例えばネット世代の今の若者であれば、いっそ独立起業を考えるのかもしれませんが、私には、その選択肢は微塵もありませんでした。恐らく世代的なものかもしれません。会社組織を軸としてしか、仕事というものを捉えられないのです。


 私には、仕事が全てだった。私は、あの会社が好きだった。私は、生きる目的をすっかり見失ってしまった。そんな時に、ふと大学時代に山岳部でよく登ったこの山に、また登ってみたくなったのです。いっそこの山で死んでしまおう、なんてね。いや~、この山が隠れた霊山だとは知りませんでしたよ。なるほど、死の世界が、生への欲望が希薄になった私を呼び寄せたのかもしれませんね。


 私ぐらいの四十代半ばの世代のことを、世間では「失われた世代」とか「ロスジェネ世代」とか「就職氷河期世代」とか言うそうです。


 私たちが、しがない学生だった頃、大人たちはバブル景気に浮かれ呆けて騒ぎまくっていた。多くの学生たちは「明るい未来行き」の片道切符を握りしめ、決められたレールの上を、文句も言わず着実に進んでいた。


 そして、大学を卒業し、さあ、いよいよ大人の仲間入り! 世は好景気! 一流企業に就職して、浮かれ、はしゃいで、楽しもう! と安堵した矢先、目の前でパチンと音をたて、バブルがはじけてしまった。

 

 未曾有の就職難が到来した。この頃、ニートという言葉が生まれた。私たちの世代は、ニートに溢れた。今だ氷河期を引きずってマトモに働けない「高齢者ニート」が社会的に深刻な問題になっている。


 その反面、その氷河期を逆手に取り、団塊の世代やバブル世代との競争を勝ち抜き、その道のプロフェッショナルと成り得た、堂々たる者たちも多くいる。


 いわゆる「勝ち組」「負け組」の色合いがはっきりしているのも、私たちの世代の特徴だ。


 私はといえば、自分の仕事に対するポリシーを他人に押しつけがましく、団塊の世代やバブル世代に拭い去れない嫌悪感があり、つい反射的に反抗してしまうという、ロスジェネ世代の悪い所ばかりを懲り固めたような、典型的な「ロスジェネ人間」でした。


 時代を逆恨みするかのように、意地になって、ヤケになって、無茶をして、働きましたよ。


 まあ、どれだけ頑張ったって、会社が倒産してしまえば、元も子もありませんけどね。ははは。


 でね、今日ね、この山を登りながら、ずっと考えていたのです。


 そもそも、我々「失われた世代」の「失われた」ものとは、何だったのでしょう?


 望んだ就職先を失われた?


 バブル景気を失われた?


 人のせい、景気のせい、時代のせい。


「失われた」という被害者意識むき出しの語感が、それをよく表している。


 本当は、私には、時代に「失われた」ものなど何もないのです。


 ただ、自ら「失った」ものがあるような気はしている。


 無我夢中で働き続けたサラリーマン人生において、私は確かに大切な何かを失った。


 この喪失感の正体は何だろう。


 47歳という、人生の折り返し地点を過ぎた辺りに突っ立ちながら、今更ながら、考えていたのです。


 寒波吹きすさぶ不景気のなか、氷河の道で滑って転んで、


 力尽き、立てなくなっても、なお、はいずり、はいずり、前進して、


 かろうじて辿り着いた、この折り返し地点のところで、


 失ったものが何なのか、今更ながら、考えていたのです。



 ― ― ― ― ―



 しばらくの沈黙の後。


「……髪の毛かなあ」


 そう言って、古橋さんは、自分の薄くなった後頭部を撫でながら笑った。ふふふ。突然のおやじギャグに僕も思わずつられて笑ってしまった。


 ごーーーーん。


 山のふもとのお寺から、除夜の鐘が鳴る。何とも切ない鐘の音が、遥か山の中腹にいる僕たちのところまで、微かに聞こえてくる。


「……ひとつ、……ふたつ、……みっつ」


 僕の横で星空を見上げていた古橋さんが、おもむろに鐘の音を数え始めた。


「いやね、本当に百八つ打っているのか確かめてやとうと思ってね」


 それからは、僕も面白がって、古橋さんと一緒に除夜の鐘の数を数え続けた。


 ……ごーーーーん。


「ひゃく、むっつ」


 ごーーーーん。


「ひゃく、ななつ。次が最後の一回です」


 ごーーーーん。


「ひゃく、やっつ!」


 年が明けた。



 ごーーーーん。



「え?」


「あれ?」


「エフさん。除夜の鐘、1回多くなかったですか?」


「はい、古橋さん。確かに、ひゃく九つ鳴りました。あはは、お寺のお坊さん、鐘を突いているうちに、訳が分からなくなったのでしょうね」


「人間の煩悩ってやつも、まったくいい加減なものだ」


 わはははは。あはははは。お互いツボにはまったらしく。僕たちはしばらく腹を抱えて笑った。


「さて、古橋さん、ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」


「いやあ、今さっき、ひゃく九つ目の除夜の鐘を聞いたら、死ぬ気がすっかり失せましたよ。この世とは、まったく奇妙奇天烈な世界です。除夜の鐘だって何の予告なしにひとつ増えたりするのですからね。なあに、僕の人生だって、この先どんな展開が待っているか分からない。とりあえず、ひゃく九つ目の煩悩に従って前進してみますよ」


「ひゃく九つ目の煩悩?」


「そう、『死に物狂いで生きる』という、新しい煩悩です。私が、勝手につくりましたよ」


「素晴らしい煩悩の誕生ですね」


「はい、煩悩、ひとつ儲けちゃいました。それでは、エフさん。それから、この世に生けとし生けるもの。並びに、あの世で生けとし生けるもの。今年も大変お世話になりました。来年もよい年でありますように」


 こうして、古橋和義、47歳、ロスジェネ世代の元サラリーマンは、登山靴の紐をきつく締め直すと、

 

「あれ、もう明けましておめでとうですね、わはははは」


 新年の御来光を拝むべく、山頂に向かい足元を確かめながら、ゆっくりと歩き始めた。


 

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