第7話 八月のサンタクロース

 ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―



 まだ、蝉しぐれが耳をつんざく季節の話だ。


 いつもの風景、いつもの職場、いつものように僕は、三途の川に紛れ込んだワンダラーの対応をしていた。


 この男の現世の身体は、建設現場でビル4階相当の高所での作業中に単管足場から転落し、現在搬送された病院で意識不明の重体となっているようだ。生死の境を彷徨っているうちに、三途の川の河原に足を踏み入れてしまったのであろう。


 大柄の肥満体。伸び放題に伸びだ白髪。同じく白くて長い不潔感漂う無精髭。ひと昔前の建設現場や土木現場でよく見た真っ赤なニッカポッカ。真っ赤な作業着。黒い安全靴。そして頭には、見るからに暑苦しい真っ赤な毛糸の帽子を被っている。

 

 先ずは、いつものように、本人から得た情報を、フェリーマンタブレットに入力する。


 え~っと、名前は、黒臼三太くろうすさんた


 年齢、1750歳。


 存在意義は、「サンタクロース」。


 って、おーーーーーーーーい!


 情報入力後、僕は、思わずいつもと違うリアクションをした。


「サンタクロースって! あ、あ、あ、あのサンタクロース?」


 僕は、怪訝に思い、目の前のワンダラーに精一杯眉間にしわを寄せて尋ねた。


「うん、そうだよ」


 男が、髭の枝毛を抜きながら、この上なく軽々しく答える。


「いや、あのね、再度確認しますけど、サンタクロースって、かの有名なサンタクロース? クリスマスイブの夜に、世界中の子供たちの枕元に、プレゼントを配って回るという、あの?」


「何度も言わすなよ兄ちゃん。だから、そうだってば。皆さんご存知、サンタクロースたあ、俺のことよ」


「え~~~~、サンタさんって、フィンランド在住じゃないのお?」


「そいつは、都市伝説だよ。本物のサンタは、三丁目の駅裏の小便横丁にあるボロアパートで、妻と娘と三人暮らし」


「嫌だあああ、そんな生活感丸出しサンタ! ちなみに、業種は何ですか?」


「とびだよ。とび。建設現場で主に高いところで危険な作業をする、とび職」


「天職見つけたなあ!」


 まゆつば、まゆつば。僕は、慎重に質問を続けた。


「てか、そもそも世界中の子供たちの夢であるサンタさんが、何故この炎天下のもと建設現場で汗水垂らして働いていたのですか?」


「何故って、おまんま喰うためじゃん。せっせと働いて、お上に税金払って、残った金で家族が明日も暮らして行くためじゃん」


「さっきから痛い! リアリティが刺さる!」


「兄ちゃん。それに、勘違いしてもらっちゃ困るけど、俺がクリスマスイブに世界中の子供たちにプレゼントを配っているアレね、あれだって全部ボランティアだからね」


「え、そうなんですか?」


「そうだよ。有志だよ有志。誰ぞに給料貰ってやってるわけじゃねーからね。オモチャ代だって全部自腹だぜ。一年間お金貯めて楽天とかアマゾンで購入してんだからね。ポイントだって全部オモチャ代に消えるんだぜ。まったく、昔のガキはブリキのオモチャひとつで半狂乱になって喜んでくれたもんだが、最近のガキは、やれプレステだ、やれDSだっつって、高価なものばかり頼みやがってよ。物価もどんどん上がってるしさ。北海道の牧場に預けてるトナカイの費用も馬鹿にならねーし。毎月カツカツだよ。晩酌のぶどう酒代だってかろううじて捻出してるからね。ちなみに風俗だってもう何年も行ってねーからね」


「うわあああ! サンタさんの口から絶対に聞きたくない言葉が、止めどなく耳に入ってくるううう!」


 現世は、連日の猛暑日で、熱中症による死亡者が続出している。情報によれば、このサンタさんも、現場で熱中症にかかり、意識がもうろしとして、足元がふらつき、誤って単管足場から転落したようだ。


「分かりました。あなたがサンタさんだということは十分に理解しました」


「お、信じてくれたかい」


「兎に角です。速やかに現世にお帰り下さい。あなたがサンタであろうがなかろうが、弊社の死亡者リストに名前がない以上、いつまでもここにいてもらっては困ります」


「だからサンタだってば! まだ信じてねーなコノヤロー!」


 現世の蝉しぐれがこの三途の川の河原まで聞こえてくる。「あー、うるっせえなーもう」サンタさんが鬱陶しそうに耳を塞ぐ。それからしばらく三途の川のせせらぎを見て、物思いに耽っていた。


「なあ、兄ちゃん。この川の向こう岸は、あの世なんだろ? せっかくここまで来たんだ。俺、いっそ死んじゃおうかなあ。オイよお、兄ちゃん、俺のこと、死なせてくんねえかなあ」


 どうやらこのサンタクロースは、生への執着が希薄になっている。かといって肉体は完全に死にきれていない。通常こういった中途半端な魂が、ワンダラーとなる。


「サンタさん、悩みがあれば、僕に相談して下さい」


「兄ちゃん、聞いてくれるか?」


「もちろんです。それが最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーの仕事ですから」


 僕は、八月の炎天下、建設現場で汗水たらしてお金を稼ぐ、ガテン系サンタクロースの打ち明け話を聞いた。



 ― ― ― ― ―




 悩みってのは、娘のことさ。


 俺には、妻との間に、今年15歳になる一人娘がいるんだ。


 ちなみに妻とは、俺がよく通っていたコスプレパブで知り合ったんだ。ミニスカサンタ姿で俺の前に現れた当時の妻に、俺、入れ上げちゃってさあ。えへへ。おっと、そんな話は置いといてえ。


 俺、サンタだから、毎年クリスマスイブの夜に、世界中の子供たちにプレゼントを配るわけだけど。当然、自分の愛娘にも、プレゼントを贈るわけじゃんね。


 その娘がさ。思春期に入ったぐらいからかなあ。だんだんサンタクロースの存在を疑うようになってさ。六年生の時なんか、夜中に俺が枕元にプレゼントを置いている時、あいつ起きているっぽかった。薄目で見ていたんじゃないかなあ。キツいだろ?


 中一とか中二のクリスマスなんて、プレゼントする俺も、朝になってリアクションを取る娘も、お互いがふわっふわしちゃってよお。ヤバいよ。家庭に変な空気が流れてんの。


 んで、今年は、ドカーンと高価なプレゼントを贈って、中三の娘を喜ばせてやろうと思ってさ。夏のうちからお金を貯めとかないといけないじゃん。先日それとなく聞いてみたんだ。「今年のクリスマスは、サンタさんから、どんなプレゼントが欲しい?」ってね。


 そうしたらさ、娘が俺にボソッと言うんだ。


「……サンタクロースとか、そういうの、もういいから」


 うおーーい小娘! もういっぺん言ってみろバカヤロー! 「もういい」って何だコンチキショー! こっちが演じているみたいに言うなヘッポコヤロー! だって俺、サンタじゃん! お前のパパ、本物のサンタクロースじゃん!


 そう喉まで出かかって、まあ、言えるはずもなく。俺が本物のサンタクロースだってことは、妻含め誰一人として知らない秘密だから。


 でよ。さらに悲しいことに。最近娘が妙に大人びてきたから、妻にそれとなく聞いたらさ。案の定、半年ぐらい前から、娘に彼氏がいるらしいんだ。


 でよ。それだけじゃねーんだよ。妻曰く、娘のやつ、恐らくその彼氏と、既に肉体関係を結んでいるっつーんだよ。


 う、嘘だろ? まだ中三だぜ? 


 俺、にわかには信じられなかった。でも妻は女の勘で分かるっつーんだ。自分もそうだったから分かるとか何とか……。


 うおおおお! その彼氏の家どこじゃああ! ソリで轢き殺して、トナカイの餌にしてくれるわああ!


 そんなこんなでヤケになって、毎晩深酒ばかりして。んで、二日酔いで現場に出て、猛暑の中仕事していたら、熱中症になって、足場から転落して、意識不明のこの様さ。


 俺、昔から、子供が大好きだった。世界中の子供たちに喜んで欲しい、その一心で毎年大量のプレゼントを贈った。

 

 そんな俺だから、自分の子供が誕生した時は、飛び上がるほど嬉しかった。マジで天使が舞い降りたと思った。これから先どんな困難が待ち受けていようと、絶対にこの子を守ると心に誓った。


 でも、もういいんだ。


 疲れた。


 俺、疲れちゃったよ。


 サンタクロースとしての自分。父親としての自分。もうどうでもいい。


 子供はいずれ、サンタのことも、親のことも、すっかり忘れて、勝手に大人になる。


 ただ、それだけのことさ。


 なあ、兄ちゃん、頼むよ、俺のこと、死なせてくんねえかなあ。



 ― ― ― ― ―



「シャキッとしろ! 黒臼三太くろうすさんた!」


 職務として彼の相談に乗るはずが、僕は彼の話を聞いているうちに、だんだん腹が立ってきて、思わず叱り飛ばしてしまった。


「な、な、何だよ。兄ちゃん、俺を慰めてくれるんじゃねーのかよ」


「今のあなたの発言を、世界中の子供たちに聞かせられますか? あたなの娘様に聞かせられますか? さあ来なさい! ほら来なさい! 強制連行です! 僕と一緒に現世へ参ります!」


「ちょ! ちょ! ちょ! 痛い! 痛い! 痛い!」


 僕はサンタさんの耳を引っ張って、彼を現世の家族のところに連れ出した。



 ― ― ― ― ―



「だから、痛いって! 分かったから耳を引っ張るなって! ちぎれるって!」


 現世に着いた。


「さあ刮目しろ、サンタクロース! これがあなたの帰りを待ちわびる家族の今だ!」


 サンタさんと僕は、ボロアパートの一室の空中に漂っている。


 サンタさんの娘は、四畳半の自室に彼の妻と一緒にいた。本日、労働災害事故にて意識不明の重体となったサンタさんを終日病院で見守ったが、深夜になってもいまだ意識が戻らないため、仮眠を取りに一旦二人で帰宅したようだ。


 汚れた煎餅布団に寝転がった年頃の娘が、母に話かける。


「ねえ、ママ」


「なあに?」


「パパが、あんな姿になってしまったのは、きっと全部私のせいなんだ。つい最近、パパにサンタクロースの話をされた時に、私、酷い態度を取ってしまったの。それから、パパの様子がおかしくなって……」


「絶対にそうじゃない。二度とそんなこと言わない。意味もなく自分を責めてはいけないよ」


 母と娘の、静かな時間が流れている。


「そうそう、あなた、彼氏とは上手く行っていいるの?」


「うん、まあね。彼ったら、お互い18歳になったら結婚しようって言うのよ。ほんと馬鹿だよね。そんな甘い考え、世間が許さないよね。アハハ」


「そうかしら? 愛があれば、結婚に年齢は関係ないわ。あなたたちが本気なら、ママは必ず応援するよ。ただし、妊娠は結婚してから。避妊は厳守」


「は~い」


 へ~、俺が不在の時って、こんな感じなんだあ。空中から二人の会話を傍聴していたサンタさんが、興味深く呟いた。父の前では見せない、母と娘の女の素顔。


「……ねえ、ママ。変な質問していい?」


「なによもう、この子ったら」


「ママのサンタクロースが来なくなったのはいつから?」


「う~ん、いつからだろう。中学生の頃か。小学五・六年の頃か。いや、もっと早い時期だっけ。う~ん、まったく思い出せないなあ。まず『来なくなった』って言い方には、サンタさんに語弊があるかな。正確にはママが『てか、サンタとか~、マジだるい、ちょ~ウザい』と思ったのだからね。ションボリ悲しげにうつむいたサンタとトナカイを、夜空に引き返させたのは、紛れもなくママなのだからね」


 母が年頃の娘の胸のあたりを、まるで赤子を寝かしつけるようにトントンと優しく叩く。


「心から待ち望む者にだけサンタクロースがやって来るのなら、ママは何かとひきかえにその資格を失ったの。いや違う、自分から捨てたのよ。ママはあなたが羨ましいなあ。あなたにはきっと今年もサンタクロースがやって来る。かつてママがポイと捨ててしまった何かを、あなたはまだ持ってる」


 さあ、疲れたでしょう。今日はもう寝なさい。ママはまた病院に戻るからね。そう言って母は電気を消し、娘の部屋から出て行った。


 母が去ってしばらくの後、娘は、おもむろにタンスから一足の靴下を取り出した。それを、画鋲で壁の薄いベニヤ板に打ち付ける。


 それから、ファンシーな便箋に何かを記入して、壁からぶら下がった靴下に入れる。


「暑い季節は、どこで何をしているのか分かりませんが。八月のサンタクロース様、私の声が届いていますか? どうか私の願いを聞いて下さい」


 靴下に向かい手を合わす。


「すこし早いですが、てゆーか、かなり早いですが、私にプレゼントを下さい。今私が一番欲しいものです。今年のクリスマスは何もいりません。プレゼントの前借りなんて変な話だけど、どうか、どうかお願いします」


 娘が壁の靴下に祈り続ける後ろ姿を、窓から差し込む月明りがしばらく照らしていた。やがて娘は布団で就寝した。


 サンタさんと僕は、部屋に舞い降りる。


「娘様が今一番欲しいプレゼント。確認しますか?」


「当たり前だろ。たって俺、サンタだもん」


 彼は、粛然と靴下の中の便箋を開いた。



 

 パパ




 大きな文字だった。


 僕はサンタさんに歩み寄り、静かに声を掛ける。


黒臼三太くろうすさんたさん。時は来たり。ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」


「馬鹿言うな。俺は、現世に戻る。プレゼントを欲しがっている子供が、ここにいる。この子の願いを、叶えてやらなければならない」


「念のため忠告しておきますが、現世に戻ったからといって、必ずしもあなたの意識が戻るわけではありません。可能性は五分五分です。また、仮に意識が戻ったとしても、事故の状況から判断して、身体に障害が残る可能性が高いようです」


「望むところだ! 信じる子供がいる限り、サンタクロースは死なねーよ!」


「わははは! そうです! その意気です!」


 こうしてサンタさんは、現世へと導く光の道の中へ消えて行った。



 ― ― ― ― ―



 賽の河原に、木枯らしが吹きすさぶ。今年も、すっかり寒くなった。


 現世はすっかりクリスマス気分。街のいたるところで華やかなイルミネーションが輝いている。


 僕は、この夏に出逢ったサンタクロースのことを、ふと思い出した。


 彼の意識は、戻ったのだろうか?


 そもそも、彼は、ホンモノのサンタクロースだったのだろうか?


 てか、ホンモノって何? ニセモノって何?


 もうすぐクリスマスだ。


 イブの夜に、すべて分かるだろう。


 今年も世界中の子供たちの枕元に、夢いっぱいのプレゼントが届きますように。

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