第6話 お見送り部長の野辺送り

  ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―



「ほら、日比野さん、ご覧下さい。ここはあなたの告別式会場。あなたの身体は今棺桶の中。あなたはとっくに死んでいるはずの存在なのです」


 日比野さんと僕は、現世のとある葬儀会場の空中から、日比野さんの告別式の様子を見ていた。


「信じがたきこと。しかし、信じざるを得ないようだ。現に私の葬儀を、こうして私が見下ろしている。君が何度も言うように、どうやら私は今、死の淵にいるようだ」


 日比野幸三ひびのこうぞう


 55歳。


 存在意義は、人事部長。


 三途の川の河原を彷徨っているところを保護され、フェリーマンカンパニーの僕のところへやって来た。


 とある若手社員との会議の途中、意識を失って倒れ、死亡した。死因は過労死。


 とうに三途の川を渡っていてもおかしくない存在なのだが、弊社の死亡者リストに日比野さんの名前は見当たらない。


 死者が、現世によほどの心残りがある場合、時としてこのような現象が生じる。


 彷徨人課さまよいびとかでの簡単な受付の後、僕は、日比野さんに自分の死を受け入れてもらう為、彼を連れて、現世の彼のもとへやって来たのだった。



 ― ― ― ― ―



 時世もあって、葬儀会場は、閑散としている。参列者は、日比野さんの親族と、会社の代表者が数人といったところだ。窓の外から自然豊かな農道が見える。日比野さんは、この街にある農作物を新種開発する大手企業に勤務していた。


「エフさん。私は、徐々に思い出してきた。ほら、今私の祭壇の前で焼香をしている若手社員がいるだろう。彼は、鈴木という、私の部下なのだ。彼は、優秀な部下でね。将来をとても期待していた。それがね、三日前の会議の終わりに、私に退職願を提出してきたのだ。愕然としたよ。私は、目の前が真っ暗になってしまった」


「あなたは、その時会議室で倒れました。ショッキングな出来事と、日頃の過労が相まったのでしょう。その後病院に搬送されましたが、あなたの意識は戻りません。あなたの死は、過労死であると判断されています」


「――で、死んだはずの私が、三途の川を渡れない理由は何だね?」


 祭壇に掲げられた自分の写真を見ながら、日比野さんが、僕に問う。


「お、おかしな質問をしないで下さいよ! それはこっちが聞きたいっすよ! あなたは、現世によほどの心残り、未練、恨みがあって、死にきれていない状態です。 あなたの心残り、それはいったい何ですか?」


「……なるほど。心残りか。山ほどあるよ。エフさん、私が会社で何と呼ばれていたか知りたいかい」


「何と呼ばれていたのですか」


「『お見送り部長』。みんな、陰で私をそう呼んでいた」


「お見送り部長???」


「私の役職は人事部長。立場上、人材の採用、給与計算、保険の手続き、社内組織の構築・再編、人材育成など、人事に係る業務はすべて私の責任で遂行してきた。そして、手前味噌かもしれないが、私はこと若手社員の「人材育成」においては、非力ながらも懸命に力を注いできたつもりだ」


「誇るべきお立場ではありませんか」


「それがね。最近の若手社員は、新規も中途も、長い研修期間を終え、ぼちぼち仕事を覚え、やっと即戦力として活躍してもらえる! という時期になると、およそ半数以上の社員が何故か退職してしまうのだ」


「うーん、辞めて行く人は、辞めて行く。ただそれだけのことではないですか?」


「それはいい加減に仕事をしている奴が言う台詞だよ! 私はそこまで開き直れない! 私は人材育成については、それこそ命懸けで頑張ってきたのだ! 私は社員が辞めてしまう度にとても辛らかった!  多くの若手社員一人一人を見送る度に自責の念に苛まれた! 自分の力不足だったと猛省した! 心が削がれるように痛かった!」


「申し訳ありません、軽率な発言でした」


「挙句の果てに、こいつ! 今焼香をしている鈴木ときたら、退職の理由は、直属の上司の、この私だと宣ったのだ!」


「うーん、上司と部下って、フィーリングっつーか。合う合わないがありますからね」


「フィーリングで仕事されてたまるか! 合わない者同士だからこそ、思わぬ化学反応で、すこぶる良い結果が弾き出る、私は、そのことを、経験上知っている!」


「申し訳ありません。これまた、軽率な発言でした」


「まあ、どれだけ私が考え直してくれと止めたところで、最終的には本人の意思を尊重せねばならぬのだ。退職希望者の手続きは人事部長である私が行い、そしてすべての退職者は、最終日に私が見送る」


「それで『お見送り部長』と」


「そうだ。何が誇るべき立場だ。ひらすら虚しい立場だよ」


「ひー、重ね重ね、軽率な発言、僕はもう、穴があったら入りたい」


 日比野さんは、僕と話しをしているうちに感極まったようで、突然、焼香をしている部下の鈴木氏に向かって声を枯らして叫び始めた。


 もちろん、日比野さんの魂の叫びは、現世の人間には聞こえてはいない。


 彼の悲痛な叫びは、鈴木氏に向けられているようで、これまで日比野さんのもとから去って行った者たち、日比野人事部長が見送った全ての者たちに向けられているようだった。



 ― ― ― ― ―



 おい! 鈴木! よく聞け! 


 なぜに、退職する者は、いつもそんなふうに爽やかなのだ!


 なぜに、見送られる者は、いつだって正しいのだ!


 どいつもこいつも、まるで憑き物が取れたみたいに、すっきりとした顔で!


「退職の理由は?」と尋ねれば、堂々と私の目を見て、知ったようなことを言いやがる!


 世の中を悟ったようなことを言いやがる! 


 社会の真理を喜々として述べやがる!


 私は思う! だったらこの会社から去った者たちで、こぞって起業してみせてくれ! 


 君たちの発言が正しいのであれば、きっと瞬く間に大企業だ! 


 毎年国から表彰される、真っ白ケッケのホワイト企業だ! 


 社員たちはみんな愛社心に溢れ、不正も、派閥も、いじめもない、ユートピアの誕生だ!


 それにひきかえ、見送る者の惨めさ、これは何だ!


 なぜに、見送る者は、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ!


 見送る者は、いつも伏し目がちで、もごもごと、伝えたいことの半分も言えず!


 なぜに、新しい世界へ旅立っていく君たちの後ろ姿を、羨ましく見ているだけなのだ!


 残った者たちは、お前が去ったあとも、同じ会社の同じ机に向かい、変わり映えのしない業務を続けなければならない!


 やりたくない仕事もやらなければならない!


 下げたくない頭も下げなければならない!


 自らの手を汚さねばならない時もある!


 おい! 鈴木! 聞こえるか!


 お前に、残る者の気持ちが分かるか!


 お前に、見送る者の気持ちが分かるか!


 お前は、見送る者を笑うか!


 お前は、そんな私を笑うか!



 ― ― ― ― ―



 葬儀場の床に、日比野さんの涙と鼻水が点々と垂れた。日比野さんは、葬儀会場の空中から、鈴木氏に永遠に届くことのない本当の気持ちを叫んだ。こういった積もり積もった不満が怨念となり、死にきれなかったのであろう。


「はあーー、言いたいこと言ったらすっきりした。エフさん。これでもう思い残すことはない」


 鼻をすすり、僕にそう告げた。


「日比野さん。時は来たり。ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」


「渡るさ。それとも、棺桶の中で蘇生してみせるかい?」


「あはは。賢明なるご判断、感謝します」


 日比野さんの目の前に、三途の川が開けた。


「それにしても、見たまえ。これが多くの社員の人材育成を手掛けてきた私の葬儀かね。いやはや、さすがに参列者が少な過ぎる。寂しい葬儀だよ。たはははは」


 白装束に着替えながら、軽やかに自嘲している。


「こういったご時世ですからね。皆さん密を避けているのです。致し方ありませんよ」


 その時だった。焼香を終えた日比野さんの部下、鈴木氏が、祭壇の日比野さん向かって静かに語りはじめた。


「日比野部長、あの日お伝えしたように、僕の退職の理由は、日比野部長、あなたです。でも誤解しないで下さいね。私は、あなたが嫌いだったのではありません。逆です。私は、あなたが大好きでした。あなたを心から尊敬していました。そして、あなたを尊敬し過ぎるが故に、あなたの部下でいる限り、あなたを超えられないという、答えに至りました。退職の理由はそれだけです。日比野部長、これから何十年たっても、私がどこで何をしようとも、あなたは僕の師です。今日までありがとうございました」


 唐突な鈴木氏の告白に、空中の日比野さんが、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。


「聞きましたか、日比野さん。これがあなたが育てた部下の言葉ですよ」


 僕は嬉しくなって、思わず、後ろから日比野さんの肩をぽんと叩いてしまった。


 呆然とする日比野さんに、更に追い打ちをかけるように、葬儀会場のドアがゆっくりと開いた。会場前のロビーは日比野さんの死を聞きつけた多くの若手社員たちでごった返していた。その中には違う制服を着た若者も大勢いる。かつて日比野さんが育成し、会社を退職していった若者たちが、いてもたっても居られず駆けつけたようだ。


「見て下さい、日比野さん。寂しい葬儀なものですか。みんな、あなたを慕っているのです」


「あちゃちゃちゃちゃ! 馬鹿だね、こいつら、このご時世に密集しやがって! ほらほら、ソーシャルディスタンスしろってのっ! おいおい、エフさん、参列者が多過ぎて収集つかないよ! 大変なことになっちゃったよ!」


「ふふふ。人望があり過ぎるってのも、考えものですね」


「まったく、嬉しくて嬉しくて、困ってしまうよ。たはははは」



 ― ― ― ― ―



 彼は、渡し舟に乗った。


 現世では、大勢の参列者を考慮したご遺族の計らいで、日比野さんの棺は、出棺から火葬場までの道のりを、いにしえの風習である「野辺送のべおくり」で送られることになった。


 日比野さんの棺を担ぎ、遺族が列になって、火葬場までの道のりを、歩いて運ぶのである。


 冬の始まりの午後の日差しのなか、稲刈りの終わったのどかな田舎道を、日比野さんの棺がゆっくりと送られていく。幾千のススキが音もなく揺れている。


 その田舎道の両脇を、かつての日比野さんの部下たちが、等間隔の距離を確保し、両手を合わせて並んでいる。


 路傍に立ち、日比野さんの死を惜しむ部下たちの姿が、どもまでも続いている。


「お見送り部長殿、いかがです? 人生の最期に、こうして大勢の部下に見送られるお気持ちは?」


 僕は、少し意地悪な感じで、日比野さんに尋ねた。


「悪くない。これまで散々人を見送り続けた甲斐があったというものだ」


 渡し舟が渡船場を離れた。日比野さんを乗せた渡し船が、あの世へ送られて行く。


「おーい! 日比野さーん! せっかくですから、見送る者たちに最後の言葉をかけてあげて下さーい!」


 徐々に消えゆく現世の映像に向かい、日比野さんは大きく息を吸い、大きく息を吐いた後、大声でこう叫んだ。


「見送る者たち! 残った者たち! 聞いてくれ! 今日こうして旅立つ私の物語は、一旦ここで終わる! でも残る君たちの物語は、明日もずっと続くのだ! 見送る者たちよ! 私は、君たちの、終わらない顔が大好きだ! 下を向くな! 胸を張って前を向け! これからもずっと、君たちの終わらない顔を、この私に見せてくれ!」


 やがて、日比野さんは、三途の川の向こう岸に静かに消えて行った。


 現世では、お見送り部長の野辺送りが、まだまだ続く。


 路傍に立ち、日比野さんの死を惜しむ部下たちが、長い道を成しているのだ。


 終わらない顔が、どこまでも、どこまでも、続いている。

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