第5話 君は、活字でどう笑う?
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
― ― ― ― ―
では、念のため、復唱します。
四十七歳。
存在意義は、小説家。
自宅の書斎にて、睡眠薬とウォッカをがぶ飲みして、昏睡状態。
何があった知らないが、突発的に自殺してみたものの、潜在意識は、現世に未練タラタラゆえ、生者とも死者ともつかぬワンダラーとなる。
以上で、お間違いありませんか?
「そうだな。およそ、間違いはないだろう。んが、しかし、必ずしもそうとも言い切れない。それは、何とも言いきれない」
男は、何日も洗っていないであろうフケだらけの頭髪を、ボリボリ掻きむしりながら、僕に答えた。
まったく、作家とか、芸術家とか、表現者とか自称する連中は、どうしてこう、いちいち発言が面倒臭いのであろう。彼らが常に回りくどい言い方をしなければならない理由を、僕は、是非知りたい。僕は、こういった類の人間が、どうも苦手だ。
「九段さん。あなたは自宅の書斎にて、今どき流行らない睡眠薬自殺を図った。しかも、アルコールを同時に鯨飲して。おやおや、悪ふざけにしては、薬も酒も量が多過ぎましたね。あなたは今、ギリギリの状態です。あらかじめお伝えしておきます。『生きたい』という強い意志がなければ、あなたは、あの世行です」
「死は、生の対局に位置するものではない」
「はいはい」
「死は、最も洗練された生なのだ」
「それはそれは、おめでとうございます。さて、九段さん。戯言はほどほどにして、事務的に最終決断に向かいましょう」
机の下で、僕は、激しい貧乏揺すりを続けていた。
― ― ― ― ―
「えー、自殺の動機は何ですか?」
「(笑)さ」
「かっこ笑い?」
うわあ、またこの売れない小説家が、面倒臭いことを言い出した。
「エル君と言ったね」
「エフです」
「エフ君。君は、メールや、SNSで、どう笑う?」
「はあ???」
「君は、活字でどう笑う?」
何この人、マジで勘弁して欲しい。
「ちなみに、私は、小説に限らず、コラム、エッセイ、極めてプライベートなSNSに至るまで、これまで一度たりとも、文章に(笑)という記号を使ったことがない。あえて、意図的に、使用していない」
「では、九段さんは、活字で笑いをどのように表現しているのですか?」
「漫画雑誌の笑い声の擬音のように、『あはははは』『だぁ~しゃしゃしゃしゃぁ~』。宝島社の「VOW」の文章のように、『ぎゃはははははは!」『てへへへのへ』といった風に、笑い声を明確に活字にして、読者が【読めるように】表現している」
「心の底からどうでもいい話っすね。ははは」
「はい! 君! 今すごく呆れた時の笑い方したね! そう、今みたいに、笑いを文章の末尾で表現したい時は、笑い声そのものを書いちゃうのだ。
君からすれば、どうでもいいこだわりかもしれないが、私にとっては、徹底的にこだわり抜きたい表現法だ。
そ、そ、それをだな! わ、わ、私の担当編集者ときたらだな! 『先生、いつまでも古臭い表現はやめて、(笑)や、wwwや、絵文字を使ったらいかがですか?』ときやがったあああ!」
「ふふふ。文学小説の作中表現で、さすがに(笑)はないでしょう」
「いやいや、最近はそうでもないんだよこれが。まったくやりきれんよ。スランプだよ。それで、つい自暴自棄になってしまった」
「そんな一時の気の昂りで命を絶つなんて、絶対間違っています!」
僕が、やや厳しめな口調で九段さんを諭すと、彼は、しばらく黙り込んだ。よく見ると目にいっぱい涙を溜めている。悔し気な表情。再度頭髪をボリボリ掻く。容赦なく辺りにフケが舞う。
「……エス君と言ったね」
「エフです」
「エフ君。三途の川の渡し守の君に話すのも何だが、今ここでくたばれば、僕は自分の気持ちを誰にも伝えられぬままだ。どうか、死にぞこないの三流作家の愚痴だと思って、僕の話を聞いていくれるかね」
九段さんは、目を大きく見開き、時折、唾を飛ばしながら、自分の思いの丈を、僕にぶつけた。
― ― ― ― ―
この(笑)という記号が、日本で文章に使われるようになったのは、いつ頃からなのだろう? タイトルは忘れたが、昔読んだ芥川龍之介の戯曲に(一同笑う)とか(笑い出す)というト書きがあった記憶がある。
(笑)という表現ひとつとっても、厳密には様々な(笑)の種類があるのだ。
(爆笑)(微笑)(苦笑)(嘲笑)(冷笑)(含み笑い)(作り笑い)(誘い笑い)(貰い笑い)(思い出し笑い)等々。
それをだな。(笑)のいち記号のみにすべてを託してだな。読み手に前後の文脈から読み取らせるというのは、どうなのだ。はたして、読者に寄り添った文章と言えるのか。
どうしても受け入れられんのだ。しっくりこないのだ。だって、明らかに無理があるだろう?
例えば、
「あなたって、ほんと馬鹿ね」
「だよね(笑)」
という活字の会話があるとして。
この場合の(笑)が、実際はどのような種類の(笑)であるのか、より具体的に表現することによって、読み手への伝わり方がまったく違ってくると、私は思うのだ。
「あなたって、ほんと馬鹿ね」
「だよね(爆笑)」
「あなたって、ほんと馬鹿ね」
「だよね(苦笑)」
「あなたって、ほんと馬鹿ね」
「だよね(思い出し笑い)」
「あなたって、ほんと馬鹿ね」
「だよね(世をはかなみ笑う)」
ね? どうだ? 全然違うだろう?
だったら、いっそのこと、
「あなたって、ほんと馬鹿よね」
「だよね。ぎゃはははははは!」
「あなたって、ほんと馬鹿よね」
「だよね。……たはははは。」
こっちのほうが断然伝わりやすいと思うのだが?
最近では(笑)も進化してきて、wwwとか草とか絵文字で記すらしいね。
「あなたって、ほんと馬鹿よね」
「だよね www」
なーこれ! 私には、皆目理解できん!
「あなたって、ほんと根っからの商売人ね」
「そうさ! 俺様が歩いた跡は、ぺんぺん草も生えないぜ!www」
は、生えとるがな!
まあ、私自身が文章をがんがん壊しながら書く作家なので、美しき日本語の乱れを憂う権利など、これっぽちもないのだがね。
いっそ木っ端微塵にぶっ壊れてしまえばいい。草だの、森だの、大草原だのに大人しく収まっていないで、この際、原型の無いとこまで、ぶっ飛んでしまばいいのだ。
「あなたって、ほんと馬鹿ね」
「だよね(ツンドラ)」
「マジうける(リアス式海岸)」
「不覚にもワロタ(タクラマカン砂漠)」
「この動画面白い(富士の樹海不可避)」
ぎゃははは。サッパリ訳が分からん。逆に面白いぞ。
とういうか、(笑)も、wwwも、絵文字も、すでに古くてダサいのだろうか?
まあ、今時使うとダサい、恥ずかしい、とされるスラングも、かつては大流行したスラングだったわけで。
言い換えれば、今流行りのスラングも、「いずれ、ものすごく恥ずかしくなる表現法」の予備軍である。ただそれだけのことなのだ。
(笑)や、wwwや、絵文字や顔文字、ネットスラングの正しい使い方ぁぁぁ?
知らんがな! ガタガタ抜かすな! そもそもが、ぶっ壊れた表現法だろう!
よーし、こうなったら、私は決めたぞ!
どっちにしろ、ものすごく恥ずかしい言葉なら、私は「ぎゃははは!」と笑い続けてやる!
君は、活字でどう笑う?
私は、「ぎゃははは!」と笑うぞ!
― ― ― ― ―
「はあ~~~~~~~~~」
彼の長い持論を聞き終わった僕は、深い安堵の溜息をついた。
「九段さん。あなた、いつの間にやら創作意欲に満ち満ちているではありませんか」
「おや、そう言われてみれば。ははは。何故だろう、私は今、やる気がみなぎっている」
「時は来たり。ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」
「渡らない! おちおち死んでいる場合じゃない! 実はたった今、新作のアイデアが浮かんだぞ! 一刻も早く書斎に帰って小説を書きたい!」
「承知しました。では三途の川と反対側へ、眩い光のある方へ、ただひらすら歩き続けて下さい。そうすれば、あなたの魂は、いずれ現世のあなたのもとに戻ります」
「君が親身になって話を聞いてくれたおかげだ! ありがとう、エム君!」
「エフです」
「ここだけの話、新作は君をモデルにした作品を書く。主人公は、三途の川の渡し守だ」
「僕のことを書くのは難しいと思いますよ。現世に戻った途端に、あなたは僕との記憶の一切を無くします」
「小説家を見くびってもらっては困る。私の細胞のどこかに、君の記憶のひとっ欠片が残っていれば、私は、そこからありありと君の記憶を蘇らせることが出来る。私は、君を主人公にした作品で、必ず芥川賞を受賞してみせるぞ。楽しみに待っていたまえ、エッチ君」
「エフだってば! わざとだろオッサン!」
「ぎゃははははははは!」
「ぶわははははははは!」
こうして九段九一氏は、現世の光の中へ消えて行った。
― ― ― ― ―
その後、九段さんは僕に宣言した通り、新作で芥川賞を受賞した。
受賞の理由として、笑い声などの感情の擬音表現が従来になく斬新であると、高評価を得たとのこと。
作品のタイトルは「ファイナルジャッジ! あなたは三途の川を渡りますか?」
僕が主人公の物語。
さすがに気になるので、僕は、本をこっそりと購入して読んでみた。
えーっと、なになに。
舞台は、三途の川。
主人公は、三途の川の渡し守、エックス。
……エックス。
ったく、あのオッサン。わざとだったら逆にスゲーよ。
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