第4話 ミミズを救いし者
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
― ― ― ― ―
川藻がへばりついた朽ちた流木かと思った。
近づいてよく見たら、人間の子供だった。
午後の巡回の道すがら出逢ったその子は、川縁で、膝を抱えて座っていた。
「おや、坊や、ここで何をしているの?」
「えへへ。何かね。僕ね。死んじゃったみたい。でも僕は名簿に名前がないから、あのお舟に乗れないのだってさ。さっき、あの人に注意されちゃった」
その子は、百メートル程川上にある渡船場で、あくせく働く僕の上司、渡し守長を指差した。
今日も沢山の死者が、この美しき河原で係りの者が配布した死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻き、渡し守長の指示の元、規則正しく列になって船に乗り、静かにあの世へと渡って行く。
「坊や。それは大変だったね。でも、お兄ちゃんが来たからには、もう安心だよ」
僕は、その場で首からぶら下げたフェリーマンタブレットを起動させる。
「いいかい、坊や。単刀直入に言うね。ここは現世とあの世の境目、賽の河原だよ。君は今、生者にも死者にもなれず、その境目の世界を彷徨っている存在なのだ。お兄ちゃんは、君が生きるか死ぬかの最終判断をする、その補助をさせてもらう係りの者だよ」
「……うーん、話が難しくて、僕にはよく分からないな」
起動したフェリーマンタブレットに基本情報を入力して行く。
これらの情報を、渡し守だけが持つ特殊なタブレット「フェリーマンタブレット」に入力をすると、幾億の人類の中から、瞬く間に個人を特定し、詳細な個人情報をアップしてくれる。
「ごめん、ごめん、確かに坊やには難しい話だったね。ではこれからお兄ちゃんが坊やに簡単な質問をするから答えておくれ。先ず、坊やのお名前は?」
「
「いくつかな?」
「5歳」
「では、最後の質問だよ。君の存在意義は何ですか?」
「ソンザイイギ???」
「分かりやすく言うと、あなたは何者ですか? と言う質問だよ」
「う、うーん」
「あはは。難しく考えることはないよ。何を言ってもいい。決まりはない。自分は、子供です。自分は、幼稚園児です。自分は、将来警察官になりたい者です。僕という人間はこうだ! とハル君が閃いたことを、素直に言ってごらん」
「……分からない。分からないよ。僕は、何者なの? 僕は、何をするために生まれたの?」
『存在意義=ただの人』。
事務的に、そう入力をした。ワンダラーが、自分の存在意義をどうしても答えられない場合、ひとまず僕は記入欄にそう入力をする。相手には失礼かもしれないが、必須項目なのだ。
タブレットが瞬時に個人を特定した。事前情報は不十分であったが、ハル君の身元は、簡単に確定出来た。何故なら、この子は、今朝から全国ニュースに取り上げられている、幼児虐待事件の被害者だったのだ。
最新情報が、次々と画面にアップされる。ハル君が死に至るまでの経緯は、思わず目を覆いたくなるものだった。
昨晩のこと、いつものように両親から殴る蹴るの暴行を受けたハル君は、寒風吹きすさぶ屋外に放り出された。そして今日の未明、裸足で薄いパジャマ姿の彼が、庭の冷たいコンクリートの上に横たわり凍死しているのを、母親が発見した。
母親からの通報で、現地に駆け付けた警察がハル君の遺体を確認する。
ハル君の身体からは数えきれないほどの傷、痣、煙草の火を押し付けた跡が発見され、虐待が長期にわたるものであることが判明した。
ガリガリに痩せこけた5歳児の身体。食事もまともに与えられていなかった。挙げ句、あばら骨を二カ所と、右足首と左の小指を骨折していた。
両親は、その場で逮捕された。
「ハル君、君は、自分が死んでしまったことに少しびっくりしているだけさ。いいかい。これからお兄ちゃんの質問に正直に答えておくれ。答え次第では、君は、あのお舟に乗ることが出来るよ」
「本当?」
ハル君は、ナゾナゾに答えるように楽しそうな表情を見せた。
「ファイナルジャッシだ。君は三途の川を渡るかい?」
「うん! 僕、あのお舟に乗りたい!」
彼の発言と同時に、フェリーマンタブレットの死亡者リストに、海野ハルの名前が挙がった。
「よーし、偉いぞ、ハル君。よく決断をしたね」
「ありがとう」
「それではこれから三途の川を渡ってあの世へ行く君に、お兄ちゃんから一つアドバイスをあげよう」
「アドバイス?」
「お兄ちゃんは、現世とあの世の境目の者なので、あの世のことは、実はよく知らないんだ。でも、噂ではね、あの世へ行くと、もう名前とか年齢とか必要ないから、無くなっちゃうのだって」
「えー。それじゃあ、誰が誰だか分からなくなっちゃうね」
「それが分かるのさ。あの世ではね、魂の色だったり、命が鳴らず音だったり、存在の重さだったりで、他者との違いを判断するらしい」
さあ、お舟のところへ行こう。そう言って僕はハル君を立たせ、河原の石を踏みしめながら、渡船場へ向かい、ゆっくりと歩き始めた。
「――だから、あの世では、僕が君に最初にした質問が特に重要なのだ。『あなたは何者ですか?』。君は、あの世で、神様や仏様、閻魔大王や地獄の鬼に、きっとそう聞かれる。必ず、自分の存在意義を答えなくてはならない」
「……怖い」
地獄の鬼と聞いた途端、ハル君はひどく怯えた。並んで歩く僕の手をぎゅっと掴む。5歳児と手を繋いで川縁を歩く。何とも気恥ずかしい。
「本当に分からないよ。僕は、何をするためにこの世界に生まれてきたのかな?」
「難しく考えることはないさ。誰かのために、何かをしてあげたことはないかい? 例えば、友達を助けてあげたとか?」
「ないよ。僕、幼稚園に行ってない。友達なんていない。ごめんね、お兄ちゃん。ごめんなさい。もうしませんから許してください。僕には、素敵な思い出が何もないんだ」
ハル君は、うつむいて、申し訳なさそうに話し続ける。彼の言葉を聞きながら、僕は、やり場のない憤りを、三途の川の向こう岸にいるお歴々にぶつけていた。
――この川の向こうにおわすという、神様、仏様、閻魔大王、地獄の鬼。あなた方の仕事はいったい何だ。
「僕の思い出は、いつもパパとママに叩かれて。いつも痛くて。いつもお腹がペコペコで」
――偉そうに鎮座して、もっともらしい説教を垂れ、賽銭箱に小銭を投げ入れてもらうことか。
「あの夜も、いきなり真っ暗なお外に投げ飛ばされて。お部屋の中ではクリスマスツリーがピカピカと輝いていて。そこでパパとママがパーティーをして。たくさんお酒を飲んで。そのうちにパパとママは裸になって。パパがママを抱っこして」
――この子を見ろ。なぜ救わない。なぜ報われない。これは、明らかにあなた方の職務怠慢ではないのか。
「僕は、そんな楽しそうなお部屋の中を、窓の外から、寒さに凍えながら、ずっとずっと見ていた。そうしたら僕、何だか急にとても眠くなっちゃって。パパとママの顔すら忘れちゃうぐらい眠くなっちゃって。……で、気が付いたら、この河原にいたんだ」
川の水面に乱反射する無数の光の矢が、勢いよく僕の目に飛び込んでくる。光の矢が目に刺さると、眼球から液体が流れる。どうやら、僕は泣いているようだ。
「別に焦ることはない。あの世へ渡るまでの時間は、まだまだ長い。ゆっくり考えるといいよ。ハル君が生まれてきたことに、必ず意味はある。君の存在は、無駄じゃない。君がこの世に生を受けたことに、きっと大切な使命があった筈さ」
僕たちは、三途の川の渡船場に到着した。
「さあ、着いたよ。君は、これからこのお舟に乗って、あの世へと渡って行く。さてと、ここからは楽しいことだけを考えよう。ハル君。君は、次に生まれ変わったら何になりたい?」
僕は、ハル君の正面にしゃがんで、彼の小さな肩に、両手をポンと乗せる。
「ハル君、君は、何にだってなれる。 大金持、有名人、宇宙飛行士、 ユーチューバー。 現世では、たまたま虐待死をしてしまったけれど、来世ではきっと楽しい人生が、君を待っている。ねえ、来世では何になりたい? ねえ、ねえ、お兄ちゃんにこっそり教えておくれ」
彼を明るく見送りたい。僕は、精一杯道化て陽気に尋ねた。そして5歳児らしい無垢な返事を期待した。ところが、彼の口から出たのは、意外な言葉だった。
「お兄ちゃん。僕ね。次に生まれ変わったら、パパとママの親に生まれたい。僕のパパとママは、優しい子になれなかった、とても悲しい人間なんだ。だから僕はパパとママの親に生まれ変わりたい。そして二人を、優しい子に育てたい」
僕は、ハル君を強く抱きしめた。もうそれしか出来なかった。
可哀そうに。この子は、人を恨むという感情すら知らずに死んで行くのだ。いっそ両親を心の底から恨むことが出来れば、少しは報われただろうに。こんな哀れな一生があってはならない。絶対にあってはならない。
「お兄ちゃん。不思議だね。お兄ちゃんに抱きしめられたら、僕、ポカポカしてきた。生きている時は、とても寒くて。でも死んだら、暑さも寒さも何も感じなくなっていたのにね。えへへ。変だね。急に体がポカポカしてきたよ」
― ― ― ― ―
僕は、ハル君を死装束に着替えさせてあげる。三角頭巾もまだ一人では上手に縛れないので、僕が縛ってあげる。
「ハル君、よくお聞き。もし君があの世で道に迷ったり、閻魔大王や地獄の鬼にいじめられたり、神様や仏様に冷たくされたりしたら、その時は――」
「その時は?」
「その時は、もう一度この三途の川を渡って、お兄ちゃんのところへ来い。お兄ちゃんと一緒に暮らそう。お兄ちゃんの弟になれ」
「お兄ちゃん」
「うん」
「ありがとうね」
「うん、うん」
ハル君が、渡し舟に乗る。
そして、船上でくるりと僕の方を振り返ったハル君が、満面の笑みで僕に告げた。
「お兄ちゃん。僕の、ソ、ン、ザ、イ、イ、ギ、思い出したよ。僕、昨日の夜、ミミズを一匹助けた」
「ミミズ?」
「昨日の夜。お外に放り出され出された時にね。冷たいコンクリートの上に、一匹のミミズが寒さで動けなくなっているのを見つけたよ。僕、可哀そうだったから、そのミミズを摘まんで、花壇の土に戻してあげた。ミミズは、元気を取り戻して、土の中に潜って行ったよ」
「偉い! 偉いぞ、ハル君!」
「お兄ちゃん、そんなに褒めないでよ。ミミズを一匹助けただけだよ」
「違うよ。君は、とても偉大なことをした。確かに、ミミズを一匹助けただけかもしれない。でも、君が助けた一匹のミミズは、きっとこれから多くの子孫を残す。そして、その子孫たちが生き物にとって大切な土壌を作る。その土壌から、たくさんの樹々や農作物が育ち、それを、多くの生き物たちが食料にする。更には、その生き物たちが、新しい生命を未来に残す。分かるかい。君の行いは、実は、この地球を救ったと同等なのさ」
「そ、そうかあ」
「君は、きっと、そのミミズを救うために、この世に生まれてきたんだ。素晴らしいことだよ。ハル君、凄く恰好いいよ。あの世へ行って、神様や仏様に『あなたは何者ですか?』と聞かれたら、堂々とこう答えるんだ。『僕はミミズを救いし者だ!』とね」
「ミミズヲスクイシモノ???」
「そう、君は偉大なる『ミミズを救いし者』だ」
「僕は、ミミズを救いし者」
「そうだ。もっと大きな声で」
「僕は、ミミズを救いし者だ!」
「いいぞ。その調子」
「僕は、ミミズを救いし者だ!」
最後の、最後の、最後に見つけた、小さな、小さな、小さな救いを胸に抱き、ハル君は、歯を食いしばって微笑んだ。
現世から追い風が吹き、三途の川の水面を漂う巨大な霞が、まるでひとつの生命体のように蠢く。
渡船場の渡し守長が目で合図を送ると、船頭が無言で渡し舟を川岸から離す。
こうして
フェリーマンカンパニーは、社則にて、職場での祈願・祈祷を禁じている。職業柄、宗教が混在すると、業務に支障をきたすからであろう。でも、僕はこの時、三途の川の向こう岸に、こっそりと祈りを捧げた。
この川の向こうにおわす、お歴々よ。あの子を、託しましたよ。どうか、来世では、あの子が幸せになりますように。どうか、来世では、クリスマスツリーの光輝く暖かな部屋で、あの子が家族と楽しく過ごせますように。
凍てつく風に乗り、不気味に蠢き続ける霞の向こうに、いつまでも、いつまでも、祈り続けた。
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