第3話 これが大人の世界の温度だね!
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
― ― ― ― ―
本日のワンダラーは、中二男子。
少年は、賽の河原で、立小便をしているところを保護された。僕は、受付で少年の簡単な手続きを終え、さっそく魂の彼と一緒に、現世の彼の肉体のもとへ向かった。
年齢、13歳。
存在意義=中二。
中学入学当初から不登校。以後自宅に引き籠り。
寛太の両親は、彼が幼い頃に離婚。現在は、母と二人で暮らしている。
「おやおや、君、百均のビニール紐で首を吊ったの? ちぎれるに決まってるでしょう。新聞や雑誌を括るのじゃないんだから」
「あれ~、おかしいな~。死ねると思ったんだけどな~」
ぼろアパートの二階の一室に、寛太の肉体は、倒れ伏していた。僕と、寛太の魂は、天井付近から、それを見下ろしている。
寛太は、肥満児だ。部屋の境目にある鴨居にビニール紐を結び付け、首吊り自殺を図ったようだが、安いビニール紐は簡単にちぎれ、その際にテーブルの角で頭を打ち、軽い脳震盪を起こして気を失っている。
「ねえ、お兄さん。えーっと、ファイナルジャッジヘルパーさんだっけ?」
「長いから、呼び方変えてちょうだい。僕は、エフと言います」
「ねえ、エフさん。俺、死んじゃったの?」
「気を失っているだけだよ。軽い脳震盪だから、死にはしない」
「じゃあ、何故、俺は三途の川にいたのさ」
「それはこっちが聞きたいよ。自分は死んだ! 絶対に死んだ! 死んだのだ! と勝手に強く思い込む輩が、ちらほら三途の川に迷い込むので、僕たちは、大変迷惑をしている」
頭をぶつけた拍子にテーブ落ちたのだろう、テーブルの上にあった冷えたメンチカツが、床に散乱している。
「あーあ、もったいないなあ、メンチカツ」
「お母さんが、勤め先のスーパーの総菜屋から、売れ残った商品が廃棄扱いになる寸前のものを貰ってくるのさ。もともとゴミみたいなものだ。俺、冷えたメンチカツは、もうウンザリだよ」
寛太は、床に散乱したメンチカツの一つを、足で蹴った。
「こら! ガキ! 食べ物粗末にしてんじゃないよ!」
突然の僕の怒号に、寛太は首をすくめた。
― ― ― ― ―
「こうなってしまった以上、君の報告書を作成しなければならないから、一応聞きくね。自殺の動機は、何?」
「今日、俺は、見たくはない大人の世界を見てしまったんだ。この世の中に、絶望してしまったんだ」
寛太は、鼻をほじりながら、絶望とは程遠い間抜け面で話し始めた。
「俺、中一の四月にいじめに遭って以来、ずっと不登校の引き籠りなのね。今日も昼過ぎに目が覚めてさ。すんげー腹が減ってたのね。んで、今日に限って、何となく、お母さんが働いているスーパーの総菜屋に行ってみたんだ――」
以下、寛太の話を要約する。
この日、寛太は、ショーケースに、コロッケや、カラアゲや、焼き鳥串などが並んだ総菜屋の店頭で働く母を発見した。
おや、何やらカウンターの隅で、母が、店長らしき男性に、厳しく指導されているようだ。母は、校長室の壺をうっかり割ってしまい、教師に懇々と叱られている生徒のように、下を向いて、立ち尽くしている。寛太は、母に見つからないように店頭に近づき、二人の会話を聞く。
「何度も言ってるけど、声が小さいんだよ。そんな小声じゃあ、お客様に届かないよ。言いたかないけど、覇気がないの。ほら。もっと元気出して。ほら、頑張って」
「……すみません」
見たところ一回りも年下と思われる若い店長に、ガミガミ怒鳴られた後、母は、ショーケースの前に立ち、寛太が聞いたことのないような大声で、
「コロッケ揚げたてでーす! 揚げ出し豆腐特売でーす!」
と、店の前を行き来するお客に叫び続けていた。
店内の他のパートのオバちゃんたちが、和気あいあいと会話している中、母だけが孤立しているようにも見えた。寛太いわく、彼の母も、彼と同じく、集団に上手く馴染めないタイプなのだ。
母のこんな姿を、見たくはなかった。悲しかった。切なかった。かと思えば、だんだん、腹の底から怒りが込み上げてきた。
あの、すみません、俺、この女の息子ですけど。俺のお母さんは、もともと、人前で、こんな客商売を出来る人ではないのです。本当は、家で静かに、本でも読んでいたい人なのです。せめて、厨房でコロッケにパン粉をまぶす係りとか、裏方に回してやってもらえませんか。て言うか、あんた、「適材適所」って言葉知ってます?
よっぽど、そう店長に文句を言ってやりたかった。
まあ、言えるはずもなく。
「――んで、自殺しちゃおうかな、と」
鼻をほじり終わった寛太が、指先についたものを、口でしゃぶりながらそう言った。
……あ、あ、あ、呆れた。
「そんなつまんねえ理由で自殺なんかしてんじゃないよ!」
「でもさ、エフさん。自分の親が、他の大人に怒鳴られてるのを目撃するのって、結構キツいよ。俺がいなくなれば、お母さん、毎日夜遅くまで働かなくてもいいと思うんだ。きっと、俺のせいだよ。俺が悪いんだよ」
「だったら、お前が早く自立して、お母さんを支えてやれ!」
「いやあ、俺、出来れば、このまま死にたいな」
「はあ?」
「俺は、社会に出たくないよ。今日、冷え切った大人の世界を、嫌というほど肌で感じたよ。大人の世界は、冷たいものだよ」
「勝手に決めるな! 君が思うほど、大人の世界も、捨てたものじゃないと思うぞ!」
ぐうーーーーーーー。
その時、床に倒れ伏している寛太の腹から音が鳴った。
「何? 今の音、何?」
「何って、君の身体が空腹なのだろう。死にかけのくせに、悲しいかな、腹は減るようだな」
「そう言えば、朝から何も喰ってない。は、は、腹減ったー」
その時、ぼろアパートの外から、鉄の階段を掛け上げる音がした。寛太の母が帰って来た。やばい。時間がない。母が、この部屋の扉を開ける前に、最終決断をせねばならない。
「おい、寛太君。時は来たり。ファイナルジャッジ! 君は三途の川を渡るかい?」
「エフさん、俺、お腹がペコペコだ。だからいったん現世に戻る。とりあえず、メシを喰ってから考える。やっぱり死にたいなーって思ったら、もう一回自殺をするから、そん時は、ヨロシク!」
「冗談じゃない! 二度と来るな!」
― ― ― ― ―
「おい! 寛太! どこで寝ているのよ! 部屋の中グチャグチャじゃない! 片付けてよ、もう!」
母が、寛太を揺さぶり起こす。
「あ痛たたたたたあ。あれ、ついさっきまで、俺、ここで誰かと一緒にいたような。あれ、変だなあ。思い出せないなあ」
現世に戻った人間は、その瞬間に、僕と過ごした一切の記憶を失くす。もちろん、僕の姿は、二人には見えていない。
「寛太、今日お店に来てくれたんだね。ふふふ、別に隠れなくてもいいのに」
「ち、ばれていたか。てゆーか、今日は、いつもより帰りが早いね」
「パートのみんながね、今日ぐらい早く帰りなさいって、残業を代わってくれたの。それから、店長がね、これ、息子さんに食べさせてあげてって、プレゼントしてくれたの」
母は、揚げ物袋に入ったメンチカツを寛太に見せた。
「一応、ケーキも買ってきたからね」
「ケーキ? あー、そうかー、今日は、俺の誕生日かー」
おいおい、誕生日に自殺なんかしてんじゃないってのっ。
「みんな、優しかった。すごく、うれしかったな。また、明日から頑張ろう。お母さん、そう思ったよ」
母は、そう自らに言い聞かせるように呟き、晩御飯の支度を、ウキウキと始めた。
「……ねえ、お母さん、お仕事、楽しい?」
母の後ろ姿に、寛太が聞いた。
「うん、楽しいよ。もちろん辛いこともあるけどね。辛いときは、寛太の顔が浮かぶんだ。そうしたら、辛さなんて吹き飛んじゃうよ。お母さんが頑張れるのは、寛太のおかげだよ。寛太、ありがとうね」
「……お母さん」
「何?」
「……ごめんなさい」
寛太は、晩御飯の支度をする母の後ろで、激しく嗚咽をしながら泣いた。母は、寛太の泣き声を聞こえないふりをして、晩御飯の支度を続ける。
よく分からないけど、この子にも色々あって、ゆっくりだけど、着実に大人になっている。そっとしておいてあげよう。
母の表情から、そんな包み込むような優しさが溢れていた。
「ほら、触って! まだ温かい!」
しばらくして、いつまでも泣いている寛太に、母が、店長がプレゼントしてくれた揚げ物袋を持って、話しかける。
メンチカツの入った袋を、寛太に触らせる。
「本当だ! まだ温かい! 揚げたてだね! ホカホカしている!」
普段廃棄後の冷たいメンチカツばかり食べている寛太のテンションが、一気に上がった。
「ね、温かいでしょう!」
「温かい! 温かい!」
次の刹那、寛太が、室内の天井付近から二人の様子をずっと見ていた僕の方を向き、明らかに僕の目を見て、こう叫んだ。
「これが大人の世界の温度だね!」
僕は、びっくりしてして、空中で腰を抜かした。
「ちょっと、寛太。あなた、誰と話をしているの」
「あれ、変だなあ。俺、誰に言ったのだろう」
ぐ、偶然、だよね。焦ったあああ。大丈夫。見えてはいないようだ。
食卓には、揚げたてのメンチカツと、ご飯と味噌汁、そして小さなバースデーケーキが並んだ。
年齢、今日から14歳。
存在意義=中二。
この時、彼は、揚げたてのメンチカツにソースをぶっかけけながら、自分の背骨が、ミシミシと鳴る音を聞いた。
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