第2話 すべてのいじめっ子が、三途の川の向こう岸に見るもの

 ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。


 僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。


 今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。


 僕は、エフと呼ばれている。


 どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。


 恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。


 気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。


 ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。


 乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。


 僕は、数年前から最終決断補助者ファイナルジャッジヘルパーという仕事に就いている。


 毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。


 ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。


 ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。


 ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。



 ― ― ― ― ―


 

 お名前は?


小峠純平ことうげじゅんぺい


 年齢は?


「50歳」


 あなたは何者ですか?


「俺は、映像クリエーター」


 彷徨人課さまよいびとかの受付の机に、僕たちは、差し向かいに座っている。事務的な僕の質問に、そのワンダラーは不愛想に答えた。


 日本の着物とイタリアのギャングスタイルを融合させたようなファッション、髪の毛を緑色に染め、コバルトブルーのコンタクトレンズをしている。存在そのものが前衛的な男だ。


 今日の天気は、あいにくの曇天模様。三途の川には、ミルクのような濃霧が立ち込めている。川の向こう岸が見えない。こんな日の渡船は、決まって難航する。船頭たちは、細心の注意を払って、死者をあの世に渡している。


 たった今、この男から得た情報を、三途の川の渡し守だけが所有する特殊なタブレット、「フェリーマンタブレット」に入力をする。瞬時に、男の身元がヒットした。どうやら男は、ついさっき、居眠り運転が原因で、交通事故を起こしたようだ。


「ねえ、兄ちゃん、ここどこ?」


「ここは現世とあの世の境目、賽の河原です。あなたは、突然の事故で、自分の死を受け入れられず、生者とも死者ともつかぬワンダラーとなって、この河原を彷徨っているのです」


「うええ、俺、死んじゃったの? 交通事故? はあああ、つまんねえ死に方しちゃったなあ」


「いや、だからね、こちらの死亡者リストには上がってませんからね。死んだと決めつけるのはまだ早い。正確には、あなたは死の一歩手間といったところです」


 おや? タブレットに、小峠氏の直近の情報が、矢継ぎ早にアップされ続けている。彼は今、現世を賑わす話題の人のようだ。


「へー。小峠さん。あなた、先日、日本で開催された『世界陸上』の開会式の映像を担当する予定だったのですね」


「そうなのよ。それがさあ。土壇場でクビになっちゃって。たまんねえよ、まったく」


「何かトラブルでも?」


「それがさ、90年代。俺がクリエーターとして駆け出しの頃。とあるマイナー雑誌で、俺、つい調子に乗って自分の過去の『いじめ自慢』を派手に語っちゃってさ。あろうことか、この令和の世に、それが蒸し返されちゃったの。まったく。いじめぐらい、みんなやってんだろ。勘弁してくれっっつーの」


「どんないじめをしたのですか?」


「高校の時、同級生の田中っていう、ちょっと頭の弱いヤツを、集中的にいじめていたよ。殴ったり、蹴ったり。あとはエロ本を見せて、自慰行為をさせたり。俺の排泄物を喰わせたり。ぎゃはは!」


「鬼畜道の住人ですら、ヘドを吐く所業ですね」


「そうかなあ。どいつもこいつも、いちいち騒ぎ過ぎなんだよ。この程度のいじめ、当時は普通だったし。今のガキ共も、隠しているだけで、本当は、日常茶飯事だと思うけどなあ」


「あなたが徹底的にいじめ抜いた田中君は、現在、どこで何をしているのですか?」


「んーなもん知るわけねーだろ。田中のやつ、高校二年の時、ある日突然、転校しちゃったんだ」


 タブレットに、小峠氏の騒動の顛末の情報が、ひっきりなしにアップされて行く。


「ふむふむ。実に興味深い。『昔々あるところに、いじめっ子の映像クリエーターがいました』から始まる、まるで夜寝る前の子供に枕元で読み聞かせをするお伽噺のような騒動ですね」


「おうよ! 早く絵本にしろっつーの! ぎゃはは!」


「まあ、その内容が鬼畜の道をひた走っていて、実に胸糞悪い所業であるので、どだい絵本化などは無理でしょうけどね」


「無理じゃねーよ! さっさと俺に印税よこせっつーの! ぎゃはは!」


「それでも、『こうしてそのいじめっ子映像クリエーターは、せっかくの映像担当を辞任してしまいましたとさ。おしまい』で終わる、この小峠さんの一連の騒動は、現世の迷える子供たちに、実に分かりやすい教訓を伝える、最適の教材になったことは間違いないようです」


「この騒動の教訓?」


「いじめをすると必ず天罰が下る。人をいじめたことのある者。または、ひょとしてあれはいじめだったのかもしれない、と思われる行為をしたことのある者。その者達には、天が、いつか必ず、それ相応の罰を下す。まだそれらしき天罰が下っていない者は、これからの人生、いつ下されるとも分からぬ天からの制裁に、毎日恐れ慄きながら生活をするのだ。すべてのいじめっ子は、未来永劫その天罰に戦々恐々として生きるのだ。……という教訓です」


「ふん! 勝手に抜かせ!」


 オフィスの窓から、三途の川が見える。濃い霧が徐々に晴れてきているようだ。


「時は来たり。小峠さん、ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」


「渡るさ。現世に戻たって、どうせバッシング続きだろうし。生きていても、もう楽しいこともなさそうだし」


 小峠氏は、あっさりと自分の死を受け入れた。こういうワンダラーばかりだと、実に仕事が早い。個人的には、有難いことだ。


「承知しました。では、三途の川の渡船場に参りましょう」


「オッケー。なあ、兄ちゃん。あの世には、天使とか天女とか、いい女がごろごろいるんだろう? 俺、生前にいじめの罰は十分受けたぜ。あの世では毎日美女と酒池肉林と洒落込みたいよ」


「まったく、おめでたい人だ。本当の罰はこれからなのに……」


「え? 何? 何か言った?」


「いいえ。こっちの話です」



 ― ― ― ― ―



「おお、エフ君。その方、最終決断を終えたざんすね。ちょうど今、私のタブレットの死亡者リストに上がったざんす。さあ、小峠さん。早く手続きをして渡し舟に乗るざんす」


 河原に下りると、渡船場の先にいる渡し守長が、いつものかん高い声で、僕たちに話しかける。


「うえええ、だっせえ着物。もっと派手なガラのないの? この白い三角の布、絶対に頭に巻かなきゃ駄目?」


「すみません。規則ですので。ご理解下さい」


 小峠さんは、その後も、船が汚いだの、こんなポンコツすぐに沈没するだの、最後までぶつぶつ文句をいいながら、やっとのことで渡し舟に乗った。


 定刻となった。たくさんの死者を乗せた渡し船が、渡船場を離れ、船頭の巧みな棒さばきにて、三途の川の向こう岸に向かって行く。僕は、こちら側の河原から小峠さんを見送った。


 渡し舟が、川の中ほどに達する頃、行く手を阻んでいた濃霧が徐々に晴れ、向こう岸の景色、つまり、あの世の景色がはっきりと見え始めた。


「うわあああああ! あいつだ! 向こう岸に、あいつがいる!」


 突然、船上の小峠さんが、大声を上げた。


「田中だ! 俺が高校の時にいじめ抜いた田中が、三途の川の向こう岸にいる! おーい兄ちゃん! 何故田中があんなところにいるんだ!」


 なるほど、こちら側から、あちら側を、目を凝らしてよく見ると、学生服を着たひ弱そうな男の子が、あの世の河原に突っ立って、渡し舟の到着を、今か今かと待っている。タブレットで調べると、あの人物は、確かに小峠さんの高校時代の同級生の、田中君だった。


「小峠さーん! 僕のフェリーマンタブレットの情報によると、同級生の田中君は転校なんてしていません! 本当は、あなたに受けたいじめを苦に、自殺をしたのです! 当時の学校が、いじめの事実を隠ぺいしたのです! あれから田中君は、あなたがやって来る今日という日を、あの世でずっと待っていたのです!」


「兄ちゃん! 頼む! 船を戻してくれ! 俺は、現世に戻りたい!」


 小峠さんが、狭い船上で暴れまわっている。


「無理でーす! ファイナルジャッジは、覆りませーん!」


 こちら側の河原から、川の中ほどにいる小峠さんに声が届くように大声で叫ぶ。


「おいおいおいおいおいおい! ににに兄ちゃん! 向こう岸の田中が両手に持っているあれ、あれは何だ!」


 おや、本当だ、よく見ると、田中君がm両手に何かを持っている。


「小峠さーん! 田中君は、右手にエロ本、左手に人間の排泄物がてんこ盛りになったバケツを持っていまーす! 恐らく彼は、あなたにエロ本で自慰行為を強制し、バケツ一杯の排泄物を御馳走するつもりでしょう!」


「ぎゃあああああ! た、た、た、助けてくれええええ!」


「小峠さーん! いちいち騒ぎ過ぎでーす! この程度のいじめ、当時は普通だったしー! 隠しているだけで、本当は今も日常茶飯事なんですよねー! あなたが田中君にしたことを、今度はあなたがされるだけでーす! 怖がることは何もありませーん!」


「じょじょじょ冗談じゃねえ! おい! 船頭! 船を戻せ! ぶち殺すぞテメエ! 船を戻せこの野郎!」


 小峠んさんが、無言で船を操縦する船頭に飛び掛かる。船上保安係の者が小峠さんを取り押さえる。


 ずっと無表情だった田中君が、取り乱す小峠さんの姿を見て、ニンマリと笑った。


 渡し舟は、田中君に吸い寄せられるようにして、三途の川を渡って行く。


 はー、まったく、ここに来るいじめっ子は、誰もがみんな、この調子だ。


 自分の犯した罪を、勝手に外部に投影し、勝手に苦しみ、何故か勝手に、自らを罰へ導く。


 人間には、生まれながらにして罪の意識が備わっているという。「原罪」というやつだ。


 どんな悪人にも、罪の意識はある。現世で、自分の内面に潜む罪の意識をはぐらかすことが出来ても、死してなお、自分を騙し続けられる者はいない。生前の罰なんてほんの序の口。いじめっ子の本当の罰は、死んでから、はじまるのだ。


 いじめは、生き物に組み込まれた本能である?


 ふーん。でも天罰は下る。


 人が集団で生きている限り、いじめを根絶することは難しい?


 あっそう。でも天罰は下る。


 いじめられる側にも問題があるのではないか?


 だから? でも天罰は下る。


 学校が、親が、少年法が、いじめの実態を隠蔽してくれる?


 ところがどっこい。天罰は下る。


 鬼畜以下の振る舞いをした過去の過ちなど、すっかり忘れて、別の人生を平然と送っている?


 そいつぁあー良かったね。でも天罰は下る。


 天罰は、下る。


 絶対に、下る。


 下る。


 下るのだ。


「小峠さーん! あなたの罪でーーす! その罰は、あなたが受けましょーーう!」


「うぎゃあああああああああああああああ!」


 こうして映像クリエーターの小峠純平さんは、三途の川の船上で半狂乱になり、辺りを見っともなく這いずり回り、係の者に何度も取り押さえられながら、あの世へと消えて行った。


 その後、小峠さんがどうなったかって?


 僕は、現世とあの世の境目に生きる者。


 渡船会社に勤める、しがない渡し守。




 あの世のことは、管轄外です。


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