第4.5話 あったかもしれない現実
ああ 私の百合よ、不死の百合に憧れてはならぬ、可能なものの百合域を
ユリダロス『ピュティア百合歌第三』
猫足バスタブいっぱいに張られたお湯、足先の爪が綺麗に整えられているところからゆっくりと入れていく。
ふっくらとした足がポカポカとした湯船の中に全て入ったと同時に、勢いをつけて体全部を放り込む。
当然として暖かなお湯は容器から零れ落ち、所々シャンプーの泡がついた床を綺麗にしていく。
すらりとした手が熱さでチリチリと痛み出した。
多少は嫌だが、これも一興であると頭が導き出した。
苦痛をこよなく愛するどこかの悪魔の気持ちを代弁するのであれば、テニス用語でいう所の「この女アンフォースドエラー」だろうか。
薄い橙色の壁と湯船の白い霧が合わさって少しだけ目の前が歪んで見えた。
そして何より、後ろにある大きな窓から見える夜の闇と月の光に染まった自然は素晴らしいものであった。
「やっぱり寒い……」
そう呟いた後、肩まで浸かった状態で体を丸めた。
冷え切った体が少しずつ温まっていく感覚に浸る。
「あぁ~……こんなんじゃなきゃね……」
そんなことを言いながら、お風呂の中で足をバタつかせる。
すると水面が大きく揺れ動き、その振動によって水滴が辺りに飛び散った。
飛び散った水滴の一つが自分の頬に当たる。冷たくも温かいそれは妙に心地よく感じた。
「……もうちょっとだけ、浸かってても大丈夫だよね?」
誰に言うでもなく自分に言い聞かせるための言葉。
「赤信号は車が来なけりゃ怖くはない」これが適切だと思った。
しばらくすると自分の体温とお湯の温度が混ざり合い、体の芯まで温めてくれる。
「このままじゃ寝ちゃうな」
それでも気持ちが良かったので「もう少しだけ」と思った。
私が両腕を猫足バスタブから投げ出して、上を向き、目をつぶっていた時だった。
「あら、貴方ってそんな顔もするのね」
突然の声に驚きながらも目を開くとそこには一人の女性が立っていた。
美しくて艶のある髪、細くてしなやかな手足、美しい曲線美を描く腰回り。
綺麗な肌色、毒婦だ。
「えっと……どちら様ですか?」
私は一種の拒絶反応のように彼女の存在を彼女が何者かを判断できなかった、いや、判断したくなかった。
しかし彼女は私を見つめたまま口を開いた。
「『かわいい胸をしているわね』この言葉では思い出せないかしら? 何とでも言いなさい」
「はは、セクハラしてくるおっさんみたいなこと言うね」
「そうね」
彼女はそう言って私が入っている湯船の中にゆっくりと侵入してきた。
普段の私なら抵抗するのだろうが、なんだかそうする気がしなかった、火照った体は言う事を聞かない、脳みそは「早くそこから逃げろ」と叫んでいるのにどうしても行動に移す気分ではなかった。
「抵抗はしないのね」
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