第3話 付き添いのお手洗い

「脱ぎなさい」


 白い息が出そうなくらいな空の下で、彼女は短く告げた。

 緑のガムテープが十字に張られた窓から、月の淡い光がこの場には差し込んできている。


「え?」

「いいから早くしなさい」

「は、はい」


 思わず返事をしてしまった。

 





「なに固まっているのよ」


 私の目をじっとりと見てくる。

 何かを舐め回すような眼だ。


「えーと」

「ほら、やりなさい」

「は、はひぃっ」


 完全に萎縮している「まるで蛇に睨まれた蛙だな」と心の中で自分のことを馬鹿にするくらいには。


「はぁ、そこに座って」

「……」


 少しざらついたブロック塀の残骸一つ、言われるがままに腰掛ける。

 彼女は無表情のまま私の体へと手を伸ばしてきて、濡れているズボンに触れて「ずいぶんと、まあ」と笑った。


 ……きっと顔が赤い。

 いやだ。


 そのまま彼女は私のズボンに手をかけ、ゆっくりとベルトを外していく。


「あの、やっぱり自分でやります」

「あら、そう? じゃあお願い」


 何度見たかわからない、嗜虐的な笑みを浮かべた彼女が月明りと建物で出来た陰で、なんだか悪魔のように見えた。

 ゆるさねえ。


 こいつの何も隠さず、堂々と性癖を露わするのは、なんていうか……すがすがしい。

 もちろん悪い意味でだけど。

 私は仮面があったらかぶりたいね。


 ほんとにやだ。


 私は意を決して上着を脱いでいく。

 布と布とがこすれる音が妙に鮮明に聞こえる。

 ここには私と彼女の呼吸音しか存在しない(猫とかの「にゃあ!」は聞こえてきたけど)。

 長袖シャツを脱いで下着を脱ぎ、上半身を露わにした。

 冬の夜はとても冷たい。


「……ぬいだよ」


「あなた、なにをやっているの?」


 何度見たかわからない嗜虐的な笑みを浮かべた彼女が月明りと建物で出来た陰で、なんだか大悪魔のように見えた。


「なにって、その、脱げって言われたから」

「だからって全部脱ぐ必要はないんじゃないの? それに下着まで脱ぐ必要はどこにもないと思うんだけど?」

「……」


「ふふっ、ただ、貴方の粗相を片付けようと提案しただけなのにねぇ。どうして上の方も脱いじゃっているのかしら? もしかして誘っているの?」


だって、脱げって言われたから。

そう言う物だと思って。


「いや、これは、ちがくて」


「へえ、あくまで自分は受け身だ! という事かしら? 貴方らしくて好きよ?」


「ハ、ハハ……」



 やばい! このままだと私が生粋のマゾヒズムを抱えている変態ド淫乱というのがばれてしまう!

 それは非常に不味い!

 なんとかして誤解を解かないと!

「そこまでよ!」

「あ、貴方は警察!」

「私が成敗する! てりゃ! とう!」

「うわあ!」

「これが女を踏むという感覚か、鞭のように柔らかく、どこに飛んでいくのかわからないくらい儚い」


 などと絶望のあまり頭の中で一人遊びしていると、そんな事お構いなしに、いや、それをスパイスにしながら、彼女は寄ってくる。




 腕が伸びてきて、私の胸に触れる直前で止まった。


「あら、意外と筋肉質ね」


 彼女はそのまま指先だけで私の体をなぞり始めた。

 ゾクゾクとした感覚が全身を走り抜ける。


 私が目で「何してんの、やめてよ」と訴えかけると「ん~? あなたの体がどれだけ鍛えられているか調べてるの」と笑いながら言ってきた。


 彼女はそういうと今度は私の腹を触ってきた。

 冷たい手が腕や脇腹を這いまわるたびに体が震えた。


 私はこの手の事象に人生で幾度か遭遇したことがある。

 一度目は中学の体育館掃除のときに、二度目は高校の体育の授業中に、前者は女友達とふざけていて、後者は女子生徒からの罰ゲームだった。

 正直どちらも気持ち悪かった。


 今だってそう。


 彼女の手つきには愛撫のような艶やかさがあるけれど、結局のところ不快でしかない。


 そして素晴らしいことに私は経験則的にこれらを終わらせる手段を習得していた。

 つまりは我慢である。


「雨ごいは雨が降るまで」というあれだ。


 もう、くすぐったいって。


「ねえ、どう思う?」

「ど、どうって?」

「私のこの行動に対して、あなたはどう思ったか聞いているのよ」


 このタイミングで聞くとか狂人のソレかよ、いや、それ以前にこんなことする時点でか。


「くすぐったい、寒い、股が特に冷たい」

「そう、ならもっと寒くしてあげるわ」

「ちょ、ちょっと待って! ごめんって!」

「待たないわ。えいっ」


 そう言うと同時に、彼女は私のズボンに手をかけ、一気に引きずり下ろした。

 突然の出来事で頭がパアに。


「ちょっと!!」

「あはは、面白い反応してくれるわねぇ」


 彼女はそう言いつつ、私のズボンを地面に放ると、次は靴下へと手を伸ばした。

 抵抗しようとしたけど、できなかった。

 足がすくんでしまったのだ。


 というかもう面倒だから流れに身を任せて「ぼーっ」としとこ……


 うん、そうしよう。

 考えるの一抜けた。


「ふむ、あなた、案外いいもの持っているじゃない」

「そ、そりゃどうも……」


 いいものってなに!?


 彼女は私の下半身を見て満足げに笑うと、鞄の方を持ってきて中を漁り始めた。

 なんだか恥ずかしいような、悔しいような。




「これを使いなさい」そう言ってタオルを渡してきた。


「……新しいズボンとか持ってるんでしょ?」

「あら、忘れていたわ。気が利かなくて申し訳ないわね」


 核融合炉にでも入れたろか?


 タオルで身体を拭いて、新しい服に着替える。

 さすがに下着までは替えがなかったからノーパンだけど、まあ大丈夫だろう、恥なんてものはこの女に全て持ってかれた。


「じゃ、私は帰るから」

「え? 送ってくれないの?」

「どうして私があなたを送ってあげないといけないのよ」


「……」


「そんな悲しそうな顔しないの、ほら、早く帰りなさい?」


「……わかった」


「それじゃ、また明日。あ、そうそう、貴方の貞操帯に発信器がついているのは、もう知ってるわよね?」


「はは、明日もおま……え?」


 空を見上げると雲一つない星空が広がっていた。

 あの無駄にデカい家まで遠いなぁ。

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