第9話 決着
***
赤髪の少女が、ただぽつりと立っていた。腕の力をなくし、だらりと顔をうつむかせている。そのせいでくしゃくしゃの髪が顔を隠して、どんな表情をしているのかすらもわからない。
「さあ、街長。さっさと盗人の判決をしてくれ。また新たな罪人ができたのだから」
「は……。被告、ルネは、カルーバル氏から宝石を盗み……」
「ねぇ、お待ちなさいな」
カルーバルはきょろりと視線を動かした。静かな、妙に響く若い女の声が街長の言葉を遮ったというのに、一体それが誰なのかわからない。苛立たしく周囲に目を向け、声の主を探した。そのとき、パメラと呼ばれていた、赤髪の少女がまるで射抜くような瞳でじっとこちらを見つめていることに気がついた。
「ねえ、あなた」
そのときやっと街長の言葉を遮ったのは彼女だったのだとカルーバルは理解したが、あまりにも奇妙だ。その場に立っているのは同じ少女。そのはずなのに、まるで別人のようだ。ゆるりと顔を上げた彼女は、表情すらも異なる。先程まで、ほんのわずかなほころびを掴むために必死に叫んでいた少女はどこにもない。ただ優雅に背筋をしゃんと伸ばし自信に溢れた姿だ。カルーバルに不敬な行いをした無礼な少女、そんなことすらも一瞬忘れてしまいそうになる。
ぱちんっと扇が開く音がする。壇上にいるパメラよりもいくつも年が上の大人達は驚き肩をすくませた。が、パメラはもちろん何も持っていない。ただの錯覚だ。
「ねぇ、あなたが一体、何が目的でこの街にいらっしゃったのか、本当のことを教えてくださる?」
「……目的だと? もちろん、宝石の販売に決まっているだろう」
「王都から? この街にわざわざ? こんな地方の街よりも王都の方がより買い手がいるのではなくて?」
「……もとは宝石の街と呼ばれた場所だ。宝石を扱う腕に関しては確かな人間も多い。だから」
「ならばなぜ、ルネのポケットから宝石を取り出す際、素手で握りしめていたの?」
ぴしゃり、と女は会話を叩き切るように告げた。
「宝石を扱う商人としては、まったくありえない行いだわ」
「……それは、宝石がなくなったと気づいて、焦っていたからだろう。よく覚えていない」
「覚えていないのはそちらだけ? なくなった宝石は、ブローチのたった一つなのね? 間違いはない?」
「一体何を言いたい」
「いいえ。そもそも、あなたは“持っている宝石をすべて把握しているのか”。そのことについても、不思議なのよ。ルネが盗み出したとされる石の名はルビーマリー……持ち主を選ぶとされる、とても気性が激しく難しい石よ。持ち主はとても苦労することでしょう」
「気性が激しい、石……?」
「あら、ご理解なさっていない? でしたら、紫の石はご存知かしら? 一つの石の中を幾層にもわかれきらめく様は多くの人間を魅了したパメラフィナートという名の宝石よ。パメラフィナート・エーデルシュタインが自身の名と同じ、一番のお気に入りとしていたネックレス」
まるで一本の糸が解かれるようにするすると女の口がよどみなく動く。先程のように罪人として塞ぐことすらも忘れて、カルーバルは女の言動にただ眉をひそめることしかできず、いつの間にか流暢に流れる言葉に不思議と口を挟むことをはばかられていた。いや、誰一人として、パメラの一挙一動を見逃すことができず、ただただ息を飲み込み少女の仕草を目にしていた。
まるでただ一人の出演者である劇を固唾を呑んで見守っているかのように。
「疑問は、複数! まず一つ。あなたは従者もいない状態で、旅をしている。もとはただの商人だったという理由もあるとするならば、これについては理解してあげてもいいわ。それでも貴族としてはおかしなことにかわりはないけれど。二つ目。あなた、口調があまりにも乱暴ね。俺、私……一人称がずっとバラバラね。まるで、無理に口調を変えているみたい。一体どちらが本当なのかしら」
つん、つん、と立てている指の本数が増えていく。「さらに」 ぴん、と三本目。
「パメラフィナート・エーデルシュタイン。その名を呼ぶことを、一体誰が許したの? たとえ同じ貴族といえど、高貴な人間の名を直接呼ぶことは無礼よ。別に本人はそんなことは気にしていなくとも、パメラフィナート・エーデルシュタイン、いいえ、パメラフィート、と通常の貴族なら呼ぶでしょうね。彼女と直接取引をしていたというわりには、そんなことも知らないのね!」
――パメラフィート様に、本日ぜひともお受け取りいただきたいものがございまして……。
さて、これはこの場の誰もが知らぬ記憶である。
商人を相手にして、泥のように表情をなくしたパメラフィナートはきらびやかな椅子に腰掛け、男を殺すことを命じた。
「ねぇ、あなた……もう一度尋ねますけれども。一体何を目的にこの街にいらっしゃったの? 貴族のふりをした」 ぴたり、と音を止め、さらに強めて男を睨む。「……ただの、野党が」
「なっ……!?」
叫ばれた声はただの一つではない。いくつもの視線が錯綜し、パメラ、いやフィーナの話す言葉に呆気に取られていた。フィーナはその全てを気持ちよく手のひらを広げて受け止め、優雅に説明する。
「本物とその従者は、彼らの旅の途中で殺してしまったのでしょうね。だから貴族のふりをしてわかりもしないダサい服を組み合わせ王都から遠く離れたこの街まで宝石を売りにやってきた。自分が持っている宝石の数も理解していないでしょうに。在庫処分でもするつもりだったのかしら? いえ、そもそも本当に宝石を持っているのか。まったく不思議ね!」
「な、何を、勝手な……!」
「勝手? そんなことが可能であると勘違いした足りない知性ではご存知ないかもしれないけれど、貴族のスキルは国に登録され管理されているのよ。あなたが保有しているスキルが『空間移動』だったとして、カルーバル某様のスキルは、本当に『空間転移』なのかしら? 王都まで鳩を飛ばす必要があるけれど、私がでたらめを述べているか、それともあなたが知性のない猿なのか。すぐにわかることでしょうねぇ」
しかしそんなことをせずとも、膝から崩れ落ちたカルーバルの姿を見ればどちらが正解かは明らかだった。
一瞬にて、十数年の時を経たかのようにやつれたカルーバルは、力強い姿はどこにもなくまるで老人のようにも見えた。
「これが、本当のチェックメイトというのよ」
何も持っていない少女の手から、パチン、と扇を閉じる音がする。
「目が腐るわ。あなた、私の前から姿を消してくださる?」
***
「…………え、あれ」
『どうぞ、あとはお好きになさい』
「か、カルーバル氏を拘束、いや、まずは王都に彼のスキルの確認を……!?」
気がつくと、パメラはぽつりと立っていた。ケビィトは必死に各方面に指示を飛ばし、街長は泡を吹いて倒れている。つまり、何がどうなって、どんな結果になったのか、この場合の判決はどうなるのかと住人達は論を飛ばし合い、それがいつの間にか互いに怒号のような大声に変わっている。
まるで、大きな荒波の中にいるようだ。
「ん、んぐ、パメラァ!」
ぱちくりと瞬いたパメラのもとに、後手をしばられたまま、周囲の拘束から逃れたルネが涙を流して飛び込んできたから、うわあ! と驚きの声を上げながらも受け止めた。「パメラ、パメラ、なんであんな無茶をするの!」「なんで、というか……」 自分だって、何がなんだかわからない。意識は追いやられてはいたが、何が起こったかということは把握している。
今はフィーナはパメラの頭の上でふわりとあくびをしながら伸びをしているが、彼女はルネとテディオの無実を証明するのではなく、カルーバルを悪とすることで文字通りに盤上をひっくり返してしまったのだ。驚きと、困惑。色々な感情が入り混じってルネを抱きしめる手が震える。カルーバルはすでに消沈して、拘束される必要もないほどに力なく座り込み、魂すらも抜けているようにすら見えた。
けれど、やはりわからないことがある。
「なんで、ルネと神父様に罪をかぶせたの……?」
カルーバル――いや、どう呼んでいいのかもわからない野党の男。
彼が自身の罪を隠すためとするにはルネのポケットに入れた宝石はブローチのただ一つ。そしてルネの減刑まで願っていた。目的があまりにも謎だ。
「……このひと、僕達の孤児院に来たときも変だった。べたべた触ってきて、それを神父様が止めてくださって」
「そうだったの?」と、パメラは瞬きルネの顔を見たとき、緩慢な動きでカルーバルは乾いた唇を動かした。「僕……?」 一体、何が気にかかるのか。しっちゃかめっちゃかとなっている場の中で、パメラはルネを抱きしめながら慎重に言葉を選びながらカルーバルから距離を置く。
『簡単よ。この男、勘違いをしていたんでしょうね。減刑を願ったのは、死なれては困るから。嫌だわ、汚らわしい』
パメラがまるで汚物を見るかのような瞳で吐き捨てた。そして理解する。まだ幼いルネは背が小さくて、声変わりもしてない。きらきらとした相貌はとても可愛らしい。
「ルネを、女の子だと勘違いしていたの……?」
そして、追放されたルネを自身のものにしようとした。びくり、とカルーバルは力なく落とした肩を震わせた。パメラの腕の中で、わなわなとルネがおののいた。いや、これは怒りか。
「――僕は、男だ! この……変態ッ!!!!!」
「貴様ァ……!」
これは人の顔ではない。人の皮をかぶった何かだ。あふれる悪意はどす黒く、殺意を伴っていた。『パメラ!』 フィーナが叫ぶ声が聞こえる。
片手にナイフを持っていることに気がついたときには、空間転移というカルーバルのスキルを思い出してはいたが、彼はまだ本人とも、そうでないとも言い切れない。ただパメラとフィーナが口車で言い負かしただけだ。だから治安隊も男を拘束する権利はなかった。けれども現状が現状だ。抵抗は、しても構わないだろう。わかっている。なのにパメラは、強くルネを抱きしめただ無防備に背中を見せた。
少年の後ろ頭を強くつかみ、自身の胸に固定するように守った。悲鳴が上がり、どれほど待っても背中に痛みが走らないことに不思議に思って、恐る恐ると振り返る。そこにはカルーバルの頭頂部を踏みにじりながら押さえつけ、男の首元にナイフを突きつけるジャンの姿があった。
「わ、うわ、わあ……」
壇上へと飛び出したのだろう。長い前髪の隙間から、じろりと青い瞳が睨んでいる。
「詰めが甘い」
「ご」
呆然と、口元から声がこぼれる。へらり、と笑ってしまったのは、あまりの状況に、自分自身がついていくことができなかったからだろうか。「ごめん……」 呟くと、返事の代わりにジャンはぷいと視線をそらした。
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