第8話 貴族との戦い

 

「カルーバル様は、自身のスキルを使用してルネのポケットに宝石を忍び込ませたんです! カルーバル様のスキルは物を移動させる力なのです!」


 パメラが放つ真っ直ぐな言葉の刃が空間を切り裂く。それは誰しもがぎょっとするものだった。スキルというものは庶民であればなんてこともないものばかりだ。だからこそ、【空間移動】などという突拍子もないものは考えもしない。

 これはただの、貴族の真似事をしているだけのおままごとのような裁判だ。穴などいくらでも突くことができる。

 ただし、覚悟さえあればだが。


『空間、移動のスキル……?』

「お前は、何を……」


 フィーナはきょとりと瞬いてカルーバルを見た。そして視線の先の主はと言えば、わなわなと拳を震わせまるで視線だけでパメラをえぐってしまうそうなほど、眼球を見開き血走った目でパメラを睨めつけている。そして段々と顔を赤くさせているのは、二日前とまったく同じだ。顔に血管が集まりやすいのだろうか。


「おい街長! あの失礼な女を今すぐひっ捕らえろ! もう一つ、別の裁判を開く結果になりそうだな……!」

「どうぞ、お気に召さないのであればいくらでも私を拘束なさってください! けれども今はルネの裁判中です、同時に二つの裁判を行うことはできないはず!」

『そうね、だからルネの結果が出たあとに、テディオの順が来る』

「せ、静粛に!」


 パメラがない頭で必死に考えたことを、フィーナはあっさりと理解してふうん、と口元に指をのせている。裁判中である今しか引っ掻き回すことができない。街長の混乱の声が響く。負けてたまるかと用意された台を力強く両手で叩いた。


 ――スキルを理由に罪から逃れようとするなんて、最低最悪な行為だ。


 一人ひとり、持つ能力が違う。そしてスキルには無限の可能性があるからこそ、してはいけないことというものは存在する。それは相手のスキルを勝手に想像し、いちゃもんをつけることだ。けれどもパメラはまっすぐに指を伸ばして、恥の顔など包み込み、丸め込んで堂々と言葉という刃を叩きつけた。


「証拠はあります!」


 叫ぼうとするカルーバルよりもさらに素早く、音を被せる。パメラはつまらない少女だ。したいことも、願うこともたくさんある。周囲の誰もが不幸せになるところを見たくない。手のひらいっぱいの幸せまでは願わない。けれど、自分自身ではどうしようもないような歯がゆさや、苦しさ。そんなものに、誰も彼もが押しつぶされてほしくなんかない。どうしようもない不幸になんて、飲み込まれてほしくない。


「カルーバル様、あなたが孤児院へとやってきたその日、孤児院と街をつなぐ道には大きな落とし穴がありました!」


 これは、フトッロ達が掘った穴のことだ。なんのことだ、とぎょっとする大人達を後目にとにかく喉を震わせた。そうするしかなかった。


「けれども、それを誰かが埋めてしまった。少なくともその日の夕方には街の人々が孤児院へとやっていましたから、多くの人間が穴のない平坦な道を確認しています!」


 叫ぶほどに、想いが溢れた。

 パメラの両親はとっくの昔に亡くなっている。パメラは自分の名前も、親の名前すらも知らない。それは多分、どうしようもない不幸だったのだろう。初めてテディオはパメラと出会ったとき、なんて可哀想な子だとこぼれる涙を抑えることもできずに、強い手のひらで抱きしめた。誕生日だって知らないから、テディオと出会った日を“誕生日”にした。


「カルーバル様は馬車で孤児院へいらっしゃったのですよね? 道は馬車が通れる程度の幅であり、穴を避けたというには無理がある。そのまま通り過ぎれば、馬や車輪が穴に足を取られてしまう可能性があります!」


 テディオの孤児院にやってきたのは、初めはパメラだ。教会を家代わりにして勝手に住み着いた。いつの間にか一人、ふたりと子供が増えて、姉だったり、弟だったり、兄だったり。きらきらとした月みたいな男の子がやってきたときは、随分可愛らしい子がやってきたものだ、とみんなでいっぱい抱きしめた。ルネはちょっとだけ泣いていた。


「……穴を埋めなければ通ることができない。つまり! カルーバル様、あなたが落とし穴を埋めた人間に違いがありません! あなたは従者がいらっしゃらない、お一人でクローディンスの街にいらっしゃった。他人の手を借りることができない現状、貴族のあなたがわざわざご自身で穴を埋めますか? 汚れが目立ちそうな、あのダサいピンクのズボンで!?」


 そんなわけない、と再度強く台を叩く。


「そんな手間と労力がかかるものならするわけがない。つまり、労力はかからなかった! あなたはスキルを使って周囲の土を移動させたのでしょう。それがスキルの証明になるとも知らずに!」


 渦巻くような熱気がパメラの周囲を覆っている。ざわめきの声は次第に大きく、波のように勢いをつけ多くの視線がカルーバルを突き刺していた。それこそがパメラの狙いだ。


 ほんの数日前だというのに、フィーナに教えてもらった言葉が、随分遠いような気がした。そのとき、パメラに一つの扉が開いた。努力しても逃げようもないようなどうしようもない不幸なんていらない。パメラはテディオに救われた。だから自分だって同じように誰か救いたい!

 なのにどうしようもないくらいにパメラには力がなくて、願っていたスキルでさえも役立たずだ。つまらなくって、悔しくて、たくさん泣いた。でも、フィーナが教えてくれた。


 ――スキルは可能性の扉よ。言葉で囲って思い込みから狭めてはいけないわ。


「フィーナ。ありがとう」


 小さく口元がほころんで、ころりと優しい声がこぼれ出た。

 フィーナはきゅっと瞳を開いてまるで子供のような顔をした。けれども、彼女はパメラの頭の上にいるわけで、フィーナの顔なんてもちろん見えない。ただ、言いたくなったから言った。それだけだ。


【 スキル 未来予測 】


 勝手にやってくる未来を予知するのではない。自身の行動から数秒先を予測する。予測し続ける。どのような言葉を吐き出せば、カルーバルによりダメージを与えることができるか。さて、この言葉は。この内容は。言葉をのせた矢印をいくつも同時に発射させ、繰り返しガードされる。爆発、失敗。けれども防御を突き抜けた一本の矢印が、力強くカルーバルを突き刺した。これだ!


「わ、わわわ、私の、ズボンが、だだ、ダサい、だとォ!?」

「……ええっ!! とても、おださくいらっしゃいますともっ!!!!」

「お、お、お、おまえぇえええ!!!!!」


 カルーバルの地を這うような声と発狂する街長と副官補佐を目にして、しまったやりすぎたと滝汗を流してしまったが今更遅い。ここまで来たならやりきり通すしかない。けたけたとフィーナはパメラにしか見えない声で大笑いしている。


「カルーバル様、改めて主張させていただきます! あなたのスキルは、ものを移動させる『空間移動』! ルネのポケットの中にブローチを入れたのはあなた! 盗人などどこにも存在しません、つまり――テディオ様も無実です!」

『なかなかに、めちゃくちゃな主張と推理ね!』


 大笑い、と言いながらも品のある笑い方だ。フィーナは目の端の涙を溜めつつ、息も絶え絶えな様子だ。でも、と。赤い唇が、パメラに優しく囁いた。


『いいじゃない。馬鹿みたいな勢い。そういうの、好きよ』


「――そんなものが、なんの証拠になるッ!!!!」


 叩き返された言葉をガードする術はない。あと一歩が突き崩せない。


「穴があいていた? ただのお前一人の主張だろうが! 鞭打ちだけでは物足りん、俺が、お前を直接ぶちのめしてその無礼な口を一生開くことができねぇようにしてやろう!」

「あ、穴なら俺達が掘った!!」


 ざわりと波をわけるように少年達が主張する。ロッポとフトッロだ。彼らも固唾を呑んでパメラ達の裁判を見守っていた。兄弟二人でぶるぶる震えている。それでも歯を食いしばってフトッロなんてほんの少し泣いている。


「ぼ、僕とあんちゃん、二人で穴を開けたよ! パメラを落として、からかってやろうと思ったんだ、いつもなら僕達が後で埋めているけど、その日は勝手に埋められてた、埋め方だって変だった!」


 やめな! とフトッロの口を壮年の男が塞いだ。フトッロの父親だ。同じ街で育ったのだから、誰も彼もが顔見知りだ。フトッロは暴れた。ロッポは、「父ちゃん、母ちゃん、ごめん、黙ってらんない!」と背と同じく長い手を広げた。


「パメラのこと、たしかにいつもからかってるよ。八つ当たりで、馬鹿なことばっかしてる。でも、こんなの、黙ってられるわけないだろォ! 同じ街で育ったやつなんだから!」


 重たい。どしんとくる。だから、前を向くしかない。勢いよく手の甲で目頭をぬぐった。きらきらの宝石みたいな瞳を何度だって瞬かせて、パメラは唇を噛み締めた。

 涙はもう十分に流した後なのだから。


「……それで?」


 カルーバルは先程までの勢いを抑えるように、幾度か呼吸を繰り返す。ふう、と息を吐き出し、こぼれおちる額の汗をハンカチで拭った。そうしてようやく落ち着いたらしく、パメラ達を鼻で笑う。


「それで? たかが子供の証言に、なんの意味があるんだ」


 とうとう。


「何もかわらん。そもそも、あの街道は外の街に繋がるものだ。私以外にも通る可能性は十分ある。ふんっ、たかが子供の思いつきだ。つまらんことにね」


 ……突き落とした。


「――今!」


 このときを、パメラは待っていた。興奮するカルーバルに、街中の人間の視線が集まっていた。誰しもがカルーバルの一挙一動を目にしていたはずだ。落とし穴を埋めた犯人は誰か。そんなもの、“本当はどうでもいいのだ”。


「あなたは、どこから、ハンカチを取り出したんですか!?」


 何を、と眉をひそめ、「ハンカチ、だと……?」と訝しげにカルーバルは自身の手を見つめた。


「ええ、今手に握っていらっしゃるハンカチです! カルーバル様、あなたはハンカチーフをお持ちではありませんでしたし、ポケットから取り出す素振りもなかった。もちろん初めから持っていたわけもない! なにもないところから、ハンカチを取り出した。そのことが、あなたが『空間移動』のスキルを持っていた証明です!」

「…………!!」


 本当はどうでもいいというのは、実のところ、それほど乱暴な話ではない。

 パメラはカルーバルを焦らせることこそが目的だった。だから見当外れなことを言っていてはなんの意味もない。事実に即したものでなければ、うろたえたカルーバルがボロを出す可能性は極端に低い。だからこそ、【未来予測】を使用し、会話を組み立て、反応を予測しわずかな可能性にかけた。


「たかが子供の証言と言われれば、おっしゃる通り。けれども今度は、この街の住人すべてが証人だ!!!」


 このときのために、パメラは住人達に裁判の聴衆を願った。誰もが突き刺すような瞳でカルーバルを睨んでいる。悲鳴を上げ、カルーバルは振り向く。「ひっ……」 そしてまた反対を見た。同じように、冷え冷えとした多くの瞳が、男を見上げている。「ひ、ひい……」


 ――叫びすぎたのかカルーバルは汗だくになっている。ハンカチか何か持っていないのだろうか、と思わずカルーバルが着た服の胸元に目を向けたが、もちろん何もない。

 ――ハンカチを使って大汗をぬぐいながら喚き散らしている姿はとても王都からの商人とは思えないが、本人がそういうのなら事実かもしれない。


『……パメラ、意外によく見ているじゃない』

(なんとなく……なにかおかしいような、気がしてた!)


 これはすべて、先日のカルーバルの様子だ。そのときは違和感を抱える程度でもしかすると自分自身の勘違いかもしれないと思ったが、とにかくカルーバルを狼狽させればもう一度同じ仕草を引き出せる可能性があると考えたのだ。スキルは自分自身に深く結びついているからこそ、日常的に、それこそ無意識に使用してしまうものだ。


「貴族風に言うなら、こういうとき……チェックメイト! って、言えばいい?」

『言わないわよ』

「えっ」


 ぱちん、と勢いよく指を鳴らして、思わずカッコつけてしまった。誰しもが呆然として、パメラを壇上に立つパメラを見上げている。ひっくり返した盤面は形を作った。


 ぱちり、と聞こえた小さな拍手は、一体誰のものなのか。ひっそりと、こっそりと落とされた音は、次第に大きくなっていく。歓声は跳ね上がるような喜びに変わり、嗚咽を上げるものさえいた。身体の中から少しずつ力が抜け落ちて、代わりに入ってきたのはあふれるような喜びだ。


 気づけば汗だくになっていて、息だって荒い。全身全霊をぶつけた。やった、と拳を額に打ち付けて、強く瞳をつむった。やった。掴み取った!


『まだよ』


 だから、フィーナが呟いた声は、ただの聞き間違いだと思った。


「……だから?」


 あふれるような歓声は、次第に波のように引いていき、しんとした空気の中でいつの間にかカルーバルは立ち上がり、こつり、こつりと歩を動かす。裁判官役となる街長を突き飛ばし、「だから? 俺のスキルが、空間転移だとして、それに、一体なんの意味が?」 悲鳴が上がる。


「俺がたとえスキルを持っていたとして、その子供のポケットに宝石を入れた証拠には何もならない」


 男は、パメラの眼前にナイフを突きつけていた。


「カルーバル様、裁判に武器の持ち込みは禁止されています!」

「おおっと、ケビィト殿、申し訳ない。なんせ、物を自由に移動できるスキルを持っておりますので、ついうっかり! ……でも、お伝えした通り、俺がこのスキルを持っているとして、それを使った証明などどうやって行いますか? さて!」


 芝居じみた仕草でカルーバルはパチンと手のひらを打ってナイフを消した。そのかわりとばかりに片手には紙を丸くさせた束を握りしめている。


「ルネ、テディオの卑しき彼らが盗んだ宝石は、かのパメラフィナート・エーデルシュタイン様より直々に賜ったもの! この証文がその証拠! 王に愛されしパメラフィナート様より、商人としての功績から一代限りの爵位を賜ったこの私と、そこにいるちっぽけな少女! どちらを信じるというのか!」


 もはや真実など、どちらでもいいのだ。

 権威をひけらかし、叩きつける。そして、潰す。それが貴族だ。パメラの心は折れていない。けれども、心が折れておずとも、刃がない。「さあ、判決を」 カルーバルは街長を脅すように、証文を開き、突きつけ、見下ろした。苦しい。悔しくて、鼻の奥がつんとして、ぐしゃぐしゃな顔を隠すこともできない。


『しょうがない子ね』


 ふわりと、柔らかなレースを揺らしながら、フィーナは春のような匂いをかぐわせる笑みを落とした。


『まったく。世話の焼けること。見ていられないわ、手を出したくなっちゃうもの。……あなたの心、受け止めてあげる』


 温かな光が、パメラを包んだ。一瞬、自身がどこにいるのか、わからなくなった。ふわふわとして、曖昧な感覚だった。(これは……) 前後の感覚すらもなく、何もない場所へと落ちていく。光。違う。これは。


 どこまでも深い闇。


『私のスキルを伝えていなかったわね。私、ほしいものは何でも手に入れなければ気が済まないのよ。だから私は望むものを何でも手の入れられるの。ねぇパメラ、あなたの身体、ちょうだいね?』


 あぎとがぱくり、とパメラを飲み込んだ。


【 スキル 強欲 】

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