第7話 疑い

 

 ***



 ルネとテディオは治安隊へと連行されてしまった。カルーバルが言う通りルネ一人の反抗ではなくテディオが指示した可能性が高いと見られたためだ。任意での事情聴取とされていたが、ケビィトの瞳は冷たく、有無を言わさぬ状況だった。

 あまりの展開にパメラは何もすることができずに、呆然と見守ることしかできなかった。そして、そんな自分が悔しかった。


『この孤児院、見たところ経営は芳しくないようね』


 フィーナは周囲をじっくりと見回してふうん、と首を傾げる。連行される神父達を追って、飛び出た外はすでに茜色に染まっている。家に戻ることもできずに小さな子供達はどこに行けるわけもなく瞳をうるませ、中には大声で泣いている子供もいた。パメラはただ自身の額に手を置いて、その場に座り込んでしまった。


『あのルネという少年が持っていたブローチは、私もお気に入りの品よ。ルビーマリーという名、意味は赤い花ね。火山の中で生まれた宝石は真っ赤な情熱を秘め、だからこそ持ち主に愛され、持ち主を愛す。博愛の石とも呼ばれるわ。ブローチは少年のポケットに隠し持つのなら十分な大きさでしょう』

「黙って……」

『あと、私の記憶では少年はあなたにプレゼントを準備している、と言っていたわね。枯れない花というのも宝石の名とぴったり。少年がブローチを盗み、隠し持っていた。と考える方がシンプルだわ』

「黙ってったら!!」


 びくりと肩を震わせたのは子供達だ。声を叩きつけたはずの相手であるフィーナは心底どうでも良さそうな顔をして表情を冷え冷えとさせている。「ごめん……」 謝ったのはフィーナ相手ではない。驚かせた子供達に対してだ。ぴたりと静寂に包まれたが、すぐにまた泣き声が響いた。どうしたらいいのかわからなくてパメラは幾度も自身の額をぬぐう。


 テディオとルネはあのあとすぐに連行された。もしルネが盗みを働いたのだとしたらカルーバルが言う通りにテディオが指示した可能性があると見られたためだ。


『あなたを出迎えたとき、神父の服は粉で汚れていたわよね? あれは宝石を保管する際に使用するアルッシュパウダーじゃないかしら。陽の光を当てないように周囲に日光を遮る魔法が練り込まれているのよね。……随分鼻がむずむずすると思ったの。つまり、神父も犯人の一人ということ。簡単なお話』


 テディオを見た際に、フィーナはくしゃみを繰り返していた。てっきり、フェイデ教徒である彼に反応したのかと思っていたが、そうではなかったらしい。『宝石は柔らかい肌を持つ赤子と同じ。赤子を抱くときのように優しく触らなければ。素手で触るなんて言語道断よ』 だから、とフィーナは何かを考えている様子だったが、パメラは勢いよく立ち上がった。


「パメラお姉ちゃん……?」

「ごめんね、さっきは驚かせて。ねえ、神父様がご準備してくださってたから、ご飯の準備はできてるよね?」

「う、うん」


 だから、と告げようとして、逡巡した。この場にいる子供達は五人。幼いとはいえ自分のことは自分で面倒を見ることができる年の子達ばかりだ。でも不安でたまらないに違いない。誰か一人でも、彼らを見るべき人間がいる。走り出したいような衝動とともに、泣いている少女を力いっぱいに抱きしめた。勝手に震える指先はいくら我慢しても止まらない。


 いつの間にか、パメラを抱きしめるように子供達がやってきた。みんなでぎゅうぎゅうになっていると、目頭から勝手に涙が一粒こぼれてしまう。それが苦しくて、悔しくて、でも走り出すこともできなくて必死に声を飲み込んでいたとき、「パメラ!」と聞こえる声に驚いて振り返った。


 ジャンが必死に丘を駆け上ってくる。たどり着いたときにはいつもの飄々とした顔もどこかにやって、長い前髪の間からは真っ青な瞳が覗いている。


「さっき街で聞いた! 神父様とルネが治安隊に連れてかれたんだって!?」

「うん……」


 こちらが引いてしまうほどの勢いだ。出ていたはずの涙もひっこんでしまった。「クソッ、これだから貴族は……!」とジャンは力強く自身の太ももを叩いた。それを皮切りに、どんどん坂を登る人が増えてくる。誰もかれもがパメラや、子供達の名前を呼んだ。


「パメラ、お前大変なことになってるな!」


 孤児院から卒業した家族――血はつながっていない、けれども兄や姉に間違いない少年少女達が先頭で、さらには普段からパンの宅配をしている店の人達まで。ずらずらと丘の道が人の影で埋まっていく。


「パメラちゃん、大丈夫なの!?」

「えっと……」


 それから、最後に遅れてやってくるものもいた。


「うわあ、あんちゃん、速いよう……」「がんばれ、がんばれフトッロォ!」 ぽてぽて、たすたす、とフトッロとロッポまで孤児院を目指してなんとか必死に走っている。


 なんていうことだろう。オレンジ色の光の中で、パメラは子供達を抱きしめながら多くの人々に囲まれた。やっとたどり着いたフトッロ達兄弟は集まった視線にはっと顔を赤くして、「別に、パメラのことはどうだっていいけどよ、ど、どうなったのか気になったんだよぉ!」とフトッロはぱんぱんのほっぺをぶるりと赤くさせて叫んだ。


 不思議なことに、先程までの気分はどこかに吹っ飛んでしまったというのに、それでもまた涙がこぼれた。目頭が熱くて頭だってじんじんする。でも、泣いている場合なんかじゃなかった。腕で勢いよく涙をぬぐって、パメラは顔を上げた。

 とっぷりとしたオレンジの光が、パメラを差した。そして、強く完全を見つめた。多くのものがパメラを案じる声を乗せたが、ただジャンだけが長い髪に隠れた瞳を瞬かせていた。



 ***



 孤児院は街の外にぽつんと立っていたけれど、けっしてのけ者とされていたわけではない。そうじゃないなら、わざわざ遠い場所で焼いたパンを頼んではくれない。パメラだってわかってはいた。それでも、わかってはいたつもりでもそれでも静かに胸に響いたものはある。

 その日、テディオとルネそして残された子供達を案じて多くのクローディンスの街の住民達が孤児院に駆けつけた。


 クローディンスは落ちた宝石の街と呼ばれ、宝石の採掘量も減った今、住民達はわずかな採掘と過去に培った宝石の加工でなんとか日々をしのいでいた。過去の栄光などどこにもなく、誰もが日々を生きることに必死で、自分と家族に必死で血の繋がりもない孤児に手を伸ばすわけがない。

 けれどそれは決して無関心ではないのだから。


 孤児院の唯一の保護者であり、心の拠り所でもあったテディオが消えたことで怖がる子供達をなだめるために、すでに街に住まいを移動させていた孤児院を卒業した大人――というにはまだ幼い兄と姉達が自身の仕事に折り合いをつけ、夜は交代で孤児院に入ってくれた。その中に、不思議なことにジャンはいなかった。

 街の人々も、何かあればと声をかけてくれる。できることは小さくとも、かけてくれた言葉がパメラの力になった。


 どれだけ苦しい時間でも夜は明ける。ゆっくりと日が沈み、また昇った。

 こうしている間にも、刻一刻と時間は過ぎた。足元を見ているだけでは『つまらない』。


 パメラが持っている“武器”はとても小さく、脆い。けれども必死に研磨する。

 そんなパメラを、フィーナはつまらなさそうにいつも見ていて、ふわりと姿を消してしまった。けれど、またいつの間にか戻っていた。どこに行っていたのか、なんてことを尋ねる権利はパメラにはないし、特に気にもとどめていなかった。自身にはするべきことがあるのだから。


 ルネとテディオが連行されてから三度目の朝のことだ。

 パメラは部屋の姿見の前で、じっと自身を見つめた。頭の先から足先までが写る鏡は毎日きちんと磨いているからぴかぴかだ。今日の服装は動きやすさを重視してパンツスタイル。かぼちゃみたいにぷくっと広がった茶色のショートパンツはお気に入り。

 ふうん、とパメラが指先を口元に乗せて、一緒に覗き込んでいる。


『かわいいわね、胸元にブローチがあれば完璧じゃない?』

「そうかな。ありがとう」

『随分念入りに身だしなみを確認するのね。とっても重要なことだと思うけれど、どこかに行く用事でもあるの?』

「うんそうだね」


 ちょい、とマゼンダの髪の端をひっぱって、癖っ毛を直す。すると鏡の中にいる自分も同じ仕草をする。見かけは、とても大事なことだ。


「ええ。ちょっと、裁判にね」



 ***



 街中が奇妙な熱気に包まれていた。ぐるぐると渦巻くような重苦しさや暑さ、全てを飲み込み、パメラはゆっくりと壇上に上った。おそらく、街中の人間が広場には集まっているのだろう。できることは何かないかと尋ねる彼らにお願いをしたのだ。


 今、クローディンスの街のすべてが空っぽとなり、この広場に集結している。

 ぎゅうぎゅう詰めのような状態で大人も子供も、固唾を呑むようにしてパメラの一挙一動を見守った。孤児院の子供達も、祈るように両手を握りしめながらパメラを見上げていた。


 その中にはルネ達が連行されてから姿を消していたジャンがそっと人混みに紛れ、片手にはナイフを握りしめていたのだが、パメラはまったく気づかなかった。フィーナは人々を睥睨して、ふん、と鼻から息を吹き出す。


『ふうん、公開裁判というわけ。庶民は貴族のマネごとをして罪の是非を問うとは聞いていたけれど、随分原始的ね』


 ミグドラル国による罪人の扱いは王都から距離がある街に限り、ある程度の自治権を認められている。住民からの投票で決められた長が判決を言い渡すのが一般的だが、一人きりの判断ではどうしても不平不満が飛び出る場合、裁判を行う。

 そして罪人を弁護するものを住人から募り、減刑を願うのだが形骸化されたイベントは罪人の家族が弁護を行い、哀れを叫び同情を得る場となっていた。


(そうだね。そもそも裁判なんてほとんど行われないよ。今回は貴族が絡んでいるから、街長様が一人で罪の判断をする責任を持てなかったんだと思う。でもつまり、これは無罪を主張するチャンスでもある)


 心の中でパメラはフィーナに語りかける。それは自身に言い聞かせる言葉でもあった。

 裁判を開くほど、かつ宝石の窃盗となれば、減刑すらも難しいはずだ。けれどもパメラは裁判の結果そのものもひっくり返さなければならない。口から吐き出す息は荒くなるばかりだが、今度はゆっくりと吸い込んだ。

 すでに腹は決まっている。


『無罪だなんて、随分大きなことを言うわねぇ。何か秘策でもあるのかしら?』

「神父様も、ルネも、二人は何もしていないって信じているだけだよ」


 視線の先ではルネが暗い表情で足元を見ながら壇上に踏み出していた。周囲は治安隊の隊員に囲まれていて、逃げ出すことは難しいだろう。

 同時に二人の裁判を開くことはルール状できないため、まずは現行犯となるルネ、そのあとにテディオの裁判の予定となっている。ルネは腕を後ろ手に組まされ、ロープでくくられていた。


『信じている? そんなもの理由とは言わないわ』


 まっすぐに告げたパメラの言葉を馬鹿馬鹿しい、とフィーナは嘲笑った。そのことを言い返す気はない。相変わらず色合いがちぐはぐな服を着たカルーバルは胸元のポケットにはハンカチすらも用意せず、フィーナいわくとにかくダサい。壇上に準備された椅子に座り、悠然と足を組みながら楽しげに口元を歪ませている。


「まず、被告ルネは、カルーバル・クレース様の宝石を盗んだ罪として――」


 始まった。街長の口上ののち、目撃者である治安隊の隊長補佐のケビィトが肯定の声を上げた。あえて表情を押し殺しているのだろう。淡々と裁判は進んでいく。街の人々はあいも変わらずざわつき、おそらく聞いてすらもいない。パメラを心配してくれた彼らに裁判の聴衆を願ったが、別に彼らはテディオ達の無罪を信じているわけではないのだ。なんせ、孤児院の経営の危うさは誰もが知っていた。だから、ただ互いに状況を確認し合っているだけだろうが、仕事を放り出してでもこの場に来てくれているのだ。ありがたいと感じる以外の気持ちはない。


「宝石を盗むということはこの上ない重罪。ただし幼子ということを加味し、カルーバル様からの申し出により本来なら鞭打ち百回を半分の五十とし、街からの追放を――」

「お待ち下さい!」


 力の限り、パメラは叫んだ。しん、と沈み返ったのはパメラの声から数秒、いや数十秒の間があった。弁護人としてこの場に立ってはいるが、あくまでも形だけ。まさか本当に弁護として主張するだなんて誰も思ってはいない。


「ルネは、宝石なんて盗んでいません! もちろん、テディオ様もルネに盗む指示などしているわけがありません!」

「何を馬鹿な……パメラ、お前もその場にいたと聞いているが? 」

「いましたとも。けれども私はこの目で見た真実以上に、彼ら二人が盗みなど犯すはずもない人格の持ち主であることをよくよく知っています!」


 街長の疑問に対してパメラは胸を張りながら叫ぶ。細い手足の頼りげのない少女のはずだった。彼女はただ凛として、はっきりと一音一音を伝える。たしかにそうだ、と神父であるテディオの人柄を知る住人達はわずかな肯定の声を静かに囁いたが、「すでにカルーバル様より減刑の嘆願をいただいている。これ以上は無理なのだよ、パメラ」と街長は憐れむような瞳を向けたが、そうではないと首を振った。


「いいえ! 減刑を願いたいわけではありません。私が主張しているものは、二人の無実! つまり、そこにいるカルーバル様に、ありもしない罪を――!」

「……これ以上はやめなさい。あまりにも不敬だ」


 街長はそっと視線を窺うように動かし、パメラの言葉を遮った。彼の行動はカルーバルから不興を買うことを恐れたのではなく、パメラをかばうためだ。被告人として立たされたルネは発言を許されてはいない。だから、ルネは顔を真っ赤にするほど首を振って、パメラの言葉を止めるように懇願している。もういい、と伝えているのだろう。『パメラ、逃げなさい。あなたのスキルを使って』 そっとフィーナが囁いていた。『面倒なことに巻き込まれては損じゃない。ねぇ?』


 こんなのまるで悪魔の囁きだ。勝手に口元が笑ってしまう。


 これからパメラが叫ぶことは、なんの確証もない。確約もない。冷や汗がぶるりと背中を伝って、火照っていたはずの身体を心底冷やした。だからとても、冷静になってしまった。公然の場で、貴族を否定する。パメラこそ新たな罪を作り出しているようなものだ。だから。


 ――とっくに自分は腹をくくっていたことを思い出した。

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