第3話 反撃開始?
チュートリアル、という言葉は初めて聞いた。
パメラは困ってぱちぱちと瞬いた。そしてフィーナを見上げると、どこから取り出したのかフィーナは教鞭をぴちりと自身の手のひらで叩いている。なんだかちょっと似合っていた。
『チュートリアルの意味は家庭教師が一対一で、丁寧に教えてあげるということ。お高くてよ。なんせこのミグドラル国一の美女が手ほどきしてあげるのですから。おいしくきらびやかになりなさい?』
フィーナはパメラの背後でない眼鏡をくいっと持ち上げるそぶりまでしている。
「おいしくなれって言われたって……」
「パメラ! どこを向いてしゃべってやがる!」
「ぴぃぴぃ泣いとけばいいのに、生意気なやつだな、本当に弟よ!」
「代わりに僕が鳴いてやるぜ、ぴぃぴぃ!」
お前が鳴いてどうすんだとフトッロはロッポの細い拳でぽこぽこ頭を打たれている。ごめんよあんちゃん! とフトッロは大きな身体をふるふるとお肉ごと震わせていた。元気な兄弟達である。いつだってこの調子でパメラに絡んでくるから溜め息が出てしまう。
「あなた達を相手にして、泣いた覚えなんてないんだけど」
「だからだよ! そろそろ身体に拳で覚えさせてやろうかと思ったのさ……! こっちは色々といらついてんだ!」
フトッロはぐん、と大きな拳を見せた。
なるほど、いくらからかっても泣きもしないパメラを相手にして、今度は実力行使に出るということだろう。それならそれでまあいいか、とパメラはぱちりと瞳をつむった。そのとき、『ちょっと!!』とキンとした声が響いたから、びっくりして瞳を開けた。フィーナがデーモンのような形相でパメラを睨みながら見下ろしている。
『まさかそのまま抵抗もせずに殴られるつもりじゃないでしょうね!? 美しくない、まったくもって美しくないわっ!!』
「美しくないって……だって面倒だし」
「さっきから何をぶつぶつ言ってるんだよ、おかしくなったのか?」
フトッロが拳を構えながら文句を飛ばしたから、慌ててパメラは口をつぐんだ。『別にいちいち口に出さなくても、考えるだけでも伝わるわよ。だって私、幽霊ですもの』 えっ、そうだったの? とパメラが瞬くと、こくりとフィーナは頷く。
(それならそうと言ってくれればいいのに。あのねフィーナ。この兄弟はほんと~にねちっこいの。最近特に何故か機嫌に悪いし、上か、下かをはっきりさせないと我慢ならないんじゃないかな)
『その上か下か、というのは、つまりパメラははっきりと下になるということね? つまらない。まったくつまらない生き方!』
またそれだ。
――つまらない生き方にならないように
幼い頃に誓った言葉を思い出して胸の奥がむかむかする。パメラとフィーナの価値観は違うのだから、と言い返そうとして、ちくりとした痛みを感じた。
「覚悟しろよ!」
瞬間、フトッロはパメラのもとに飛び込んだ。そのとき、さすがにしまったと思考の端で考えていた。フトッロのスキルは怪力だ。贅肉がついているふにふにとした拳だが、当たればただではすまない。やられるにしても、綺麗なやられ方というものがある。
助走をつけたフトッロが近づくまでの距離が途方もなく長く、また近くも感じる。口からは荒く息が吐き出ていて、殴られようとしていたくせに身体は勝手に逃げていた。でも結局追いつかれて痛い目を見るんだろう。そしてからかいは少しだけマシになって、やっぱり時々は痛い思いを繰り返す。仕方ない。本当に? そうなのだろうか。でもそれしかない。
『パメラ』
しん、とした氷みたいな、けれども胸の奥が温かくなるような、不思議な温度が優しく広がる。
『――お手本を、見せてあげる』
ぱちんっと、落ちた雫が水の上にこぼれてはじけたみたいだ。
「え…………」
呆然とした声はパメラのものではない。フトッロと、そして悠々と弟の悪行を眺めていたロッポが思わず漏れ出てしまった声だ。ロッポは腕を組みほどきながら、細い目をぱちぱちと瞬いた。「えっ」 そしてまた素っ頓狂な声を出した。
「ふ、フトッロの拳を、パメラがかわした……!!?」
彼が叫ぶ気持ちはわかる。なんてったって、パメラが一番叫びたい。さすがの怪力スキル、ごう、と吹き飛ぶ風と一緒に飛ばされるかと思いきや、紙一重でかわしている。いや、かわすように、“動かされた”。
『うふ』
ちろり、とフィーナは赤い舌で自身の唇をなめた。まさか、とフィーナに視線を投げようとしたそのときだ。『ティータイムみたいに楽しくおしゃべりしている暇はないわよ』 今度はぐんっとフトッロのむちむちの肘が迫りくる。
このまま黙って見ていれば大変なことになってしまう。なのに、目の前に奇妙な矢印が見えたから、思わず呆然と見つめてしまった。そう、矢印を……いや、矢印!? と思わずパメラは瞳を見開いた。ぴこん、ぴこんっと矢印は点滅して、あっち、あっち! とフトッロの動きを指し示している。
『あなた、自分の動きがただの未来視だと思っていたでしょう?』
いくらフトッロが怪力であろうと、先の動きが見えているのだ。大ぶりの拳を避けることは容易い。
『スキルは可能性の扉よ。言葉で囲って思い込みから狭めてはいけないわ。あなたのスキルは未来視じゃない。私の一番のお気に入りの宝石に手を触れて、中で眠っていた私の存在を認識した……』
「フトッロ! パメラなんかに何してんだ!」「だって、あんちゃん、こいつ、変に素早いよ!」 ぶん、ぶん、といつの間にか必死になってフトッロは両腕を振っていた。その全てをパメラは避ける。まるで、何者かに操られているように、自分自身も驚きながら。
『あなたのスキルは未来視ではなく、未来予測、と言った方がいいんじゃないかしら。現状を観察し、空間を把握。そして現在から未来を予測しているのよ。観察力を極端に向上し、未来の予知すら可能とするスキル。本来なら見ることができない私を見つけることができたのは、その延長ね。私がここにいることに、“気づいた”。だから見ることができる』
大粒の汗がはじけた。
最小限の動きでかわしつづけたパメラとは異なり、大仰で無駄な動き、かつ自身の身体まで抱えていたフトッロはすでに息も絶え絶えとなっている。すでにへろへろになってしまったパンチをさらにかわしたところで、「フトッロ! パメラなんかに、なんだそのざまは!」 ロッポの怒声が飛ぶ。
フトッロは、体力が抜けきった身体を無理矢理に奮い立たせた。ぴこんっとさらに矢印が飛んでいる。その中で、真っ赤になった矢印が見える。
ぴこんっ。ぴこんっ。ぴこんっ!
『そこで、一発』
すこんっとあっけなく入ってしまった。
パメラが放った顎に入った一発は、フトッロの全身の贅肉をぷるんと震わせ、首をのけぞらせる。そして少年はくるりと目を回した。どさりと落ちた音ののち、静かな静寂が訪れる。
「……あ、あああ、うわ、あ、ああああ!?」
『それくらいで死なないわよ』
数秒の間ののち、地面に倒れ込んだフトッロを見下ろし思わず叫んだ。『護身術も貴族の令嬢の嗜みよ。この程度のことで騒がないで頂戴な』 本当だろうか。そんな嗜みがあるのだろうか。フィーナだけがちょっと特別なくらいにおかしいだけじゃなかろうか! と主張したい感情の他に、わなわなと膨れ上がるものがある。
とにかく動き回ったから肩で息をしている。すごく苦しい。でも、気持ちはふわふわとして、思わず自身の胸をつかむ。やり返してしまった。大変だ。多分これからめんどくさくなるだろう。なのに、とにかく胸の内がすっきりしている!
「でも、最初と、さっきのパンチも……もしかして私じゃなかった……?」
自分の身体が、自分のものではないような。まるで奇妙な感覚だった。パメラの頭の上でふよふよと飛んでいるフィーナは否定も肯定もしない。ただ面白そうに笑うだけだ。
『言ったでしょう? あなた、中々いいスキルを持っているって』
「……フィーナってもしかしてとてもすごい?」
『あら、とっても今更ね?』
なんせ、私はこの国始まって以来の美人ですからね、とどんどん範囲は広がっているような気がしたが、それ以上言うことはやめておいた。
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