第2話 パメラフィナート・エーデルシュタイン

 

 そして、冒頭に戻る。


 パメラをへちゃむくれ、と言った女は、輝くような金の髪をしていた。ゆるく巻かれたウェーブがかった髪は、見たことがないほどに美しく手入れをされている。そして瞳は丁度パメラが手の中で握りしめているネックレスにはめ込まれた紫の石と同じ色合いだ。


 つり上がった瞳は美しくもあったが、同時に寒々しさを感じた。生きている人間ではない、とパメラが直感的に感じたのは、自身に触れることができなかったからということ以外に、この瞳のせいもあるのかもしれない。

 魂は存在する、と常日頃から神父に説かれていたから、初めてみた幽霊<ゴースト>という存在にも抵抗感もなかった。


 ただ幽霊というわりには重力を無視して存在しているということを除いて、女にはしっかりとした存在感があった。半透明なわけでもなく肉感的な体つきは出るところが出ているし、真っ白な鎖骨は見てもいいのかとどぎまぎする。

 手の中に扇を出したり、消したりと自由自在な点も怪しすぎたが、まだこれはスキルの範疇という説明でも納得できるのだが。


「えっと、あ、あの……」

『あら、聞こえなかったのかしら? いいわ。今、私はちょっと気分がいいもの。たっぷり眠った後の清々しさというやつかしら? 世界がきらめいて見えるわ。一番輝いているのは私だけど』


 何か最後、ちょっと変だったような気がするが、パメラはつっこむことはやめておいた。


『もう一度伝えてあげるわ。辛気臭い顔は私の好みではないの。だからあなたを輝かせてあげる。なんせ、今の私の存在を認識できるんだもの。中々良いスキルを持っているわ、私、もったいないことは嫌いよ』

「スキル……? いや、私のスキルは」

『自分でも少し不思議だわ。私、本来はこんなに面倒見はよくないのよ? でもあなたの顔を見ているとなぜかしら。おせっかいをしたくなってしまったの』


 へちゃむくれているから? と彼女は可愛らしく自分の口元に手袋越しの細い指を置いたが、パメラはハッとして顔を上げた。こんなことをしている場合じゃない。


『あらあら、どこに行くのかしら』

「パンの配達の途中だから! ……ああ! ネックレス、思わず持ってきちゃった!」


 路地裏から飛び出して、バスケットを持ったままたかたかと走る。その後ろを幽霊はふわふわとくっついてくる。


『それは私の一番のお気に入りよ。あなたが持つことを許可してあげる。ハンカチできちんと丁寧に包んでおきなさい』


 ハンカチを持っていることが前提であることが貴族らしい。仕方なくバスケットにかけていた布をひっぱり、急いでネックレスを包んだ。路地裏に置いたままにするのも気が引けたのだ。


『名前がわからないと話しづらいわ。ねえあなた、名乗りなさいな。じゃないと私が勝手に呼ぶわよ。ふーん……瞳の色から、クンツァイント、いいえコランダム? 原石ということでリチアなんてどうかしら』

「どうかしらって、勝手に名前をつけないで、パメラ、私の名前はパメラだから!」

『パメラ! あらまどうりで!』


 幽霊はツリ目がちの瞳をきゅっと見開いた。こうして見ると、初めて見たときは寒々しさを感じたものだが、太陽の下だと愛らしさを感じる。そしてこの幽霊、幽霊のくせに昼間でも平気なのね……と奇妙な気持ちになってきた。パメラが知っている幽霊といえば、半透明で足がなくて、夜にしか出ないはずだが。


『私の名前はパメラフィナート・エーデルシュタイン! あなたは私と名前がとっても似ているわ。だからかしら、おせっかいを焼きたくなってしまったのは! パメラ、あなたを名付けた親はとってもセンスがよろしくてよ!』

「名前をつけてくれたのは、親じゃないけど……」

『ならば名付け親を褒めたたえてあげるわ! あなたも知っているでしょう? 公爵家であるエーデルシュタイン家長女、パメラフィナートの逸話は。持って生まれた美貌は国中を轟かせ、あるものは私を聖女と呼び、あるものは宝石を食う悪女と恐れたわ。仕方がないことね、人は本物の美しさを前にしたとき出来ることはただ足を震わせ崩れ落ちることだけ!』

「だけと言われても、えーでるしゅたいんなんて知らないし、名前なんて偶然だし……」


 配達に急ぐパメラの隣でぴーちくぱーちくさえずっていたパメラフィナートは、パメラの言葉に激しく打ち震えた。まるで雷に撃たれたようにしびび、と小刻みに振動して、ショックのあまりにひらひら、ぽてり。

 いや、ぎりぎり転がり落ちる手前で復活した。


『まあそういうこともあるかしら。なんせ見たところここは辺境! 首都、ファイルパーズとは比べ物にならない田舎ですものね。私の美しさが伝わっていないということはあり得るわ。ならば許して差し上げてよ!』 


 そして知らぬうちに許されていた。


『ところでパメラ、私、随分長い間眠っていたような気がするわ。この村の名前を教えていただける?』

「村じゃなくて、街。クローディンスの街」

『村ではなかったわ、驚きね! クローディンス、宝石の街ね、知っているわ。私も訪れたことがあるもの。まあ宝石が採掘できると聞けば色んなところに行ったものだから、細かいことなんて覚えてないけれど』

「宝石の街と呼ばれていたのは、もう随分前のことだよ。事故も絶えなかったし、石なんて出尽くしてしまったもの」


 栄えていた当時のことは正直よく覚えていない。今ではひゅうひゅうと隙間風が吹くような家々が並び、見切りをつけた人々はまた別の稼ぎ先に消えてしまった。


 フトッロやロッポのように過去を取り戻すために微々たる採掘を続けることを目標にするものもいるが、今では採掘ではなく、過去に培った加工の技術から掘るものよりも宝石の細工師の方が多い。大粒の石が届くことはないが、小粒で加工してなんとか、といった程度の石を見栄え良くするために首都から宝石が運ばれてくることもあり、くだけた宝石の街、と言う意味で、シャタードの街、と別名で呼ぶ大人もいるくらいだ。


 パメラの両親は宝石の採掘当時に落盤に巻き込まれて死んでしまった。幼すぎて両親の顔すらも覚えてなんていないから、周囲からそう伝えられた。掘れば掘るほどに価値のある石がでると杜撰な計画のもと進められた結果だから、当時の状況も想像は容易い。


『ふうん、宝石は出尽くした、ねぇ……。ま、いいけど。今年のミグドラル歴は何年かしら。待って、予想してあげる。ふむ、450年ってところでしょう? ふふっ。当たりね! 大当たり!』

「全然違う。455年だから」

『私が死んでから八年も経つのね!?』


 なんとまあ、とパメラフィナートは大仰に驚いていた。死んだということはやっぱり幽霊だったのか、と改めて考えつつも 「ああもう!」 と、パメラは思いっきり頭を抱えた。「本当にわからなくなっちゃったじゃない!」 道端で大声で叫んだところで周囲には人もいない。だからこその問題とも言える。


『先程からきょろきょろと一体何をしているの。私の美しさを余すところなく見つめたいというのなら許可してあげますわ。さあ、とくと御覧なさい!』


 パメラフィナートはずばっと両手を開き、顔は右斜四十五度を見上げつつポーズを付けていたが、そんな場合ではない。だいたいこの辺り、ということはわかっていたはずなのに、パメラフィナートが頭の上でうにゃうにゃと言うからわからなくなってしまった……というのはただの言い訳だということはパメラもわかっている。そもそもはっきりと宅配先の道を覚えていない自分が悪い。


 どこをどう見ても似たようなくたびれた家が続いていて、自身の記憶力が憎くて唸っていると、『お困りでいらっしゃる?』とパメラフィナートがひゅいんひゅいんと距離を縮めて(つまり、浮いていた身体をちょっと低くさせて)パメラに問いかけた。


 怪しすぎる幽霊を半目で見上げたが、今更取り繕ったところで仕方がない。パメラは現状を伝えることにした。「パンを配達したいの。でも、配達先の道を忘れてしまったの!」 言葉にするととにかく情けなかったから、最後はちょっと叫んでしまった。


 どうでもいい、と一笑されるかと思いきや、意外なことに幽霊の女、パメラフィナートは、ふうん、と自身の顎に指先を添えて真面目に考えてくれているらしい。


『だったらまず、こういうときは使えるものが何かということを考えるべきじゃなくって? 自身が何を持っているか。何をすべきなのか。収めるべき土地に目を向けず、ただふんぞり返る貴族達は一番愚かだと私は思うわ。それと同じね。で、あなたは、どんなスキルを持っているの?』


 能力の確認として、まずは相手のスキルを尋ねることは一般的なことだ。それがその人の価値とも繋がる。一瞬、嘘をついてしまおうかと思った。けれども、それは絶対に『つまらない』ことだ。今ある自身をごまかしたところで仕方がない。


「私のスキルは未来視……未来が、視える。ちょっとだけ。一秒とか、二秒後の」


 パメラフィナートを真っ直ぐに見上げながら、けれども最後に付け足した声が小さく、思わず視線をそらしてしまったことは仕方のないことだと思ってほしい。ちらりと目の端で様子見をするとパメラフィナートは宝石のような大きな紫の瞳をきゅっと見開き大きくさせた。


 ……けれどもその後の表情の変化は知っている。街で仕事を見つけようとしたとき、それこそ何度も味わってきた。未来視という大層なスキルに比べてできることの小ささに期待外れの顔をして不採用の言葉を貼り付けられる。


『あら! いいスキルじゃないの!』

「……え?」

『一秒程度しか使えないというのなら、何度も連続して使って御覧なさいな。自分の未来ならば見やすいでしょう? ほら、足元を見て』


 パメラフィナートはニヒルに笑った。パメラのスキルに呆れるでもなく、嗤うでもなく。どうして、とわけもわからないうちに彼女はパメラの足元を指さした。『ほら、早く』 いち、にい、いち、にい。リズミカルに振る彼女の指に合わせて、とんとんとん、と未来を見ていく。するとぱたぱたと先の光景が見えてくる。小さな足跡が一歩、二歩と飛んでいく。パメラの、“未来”の足跡だ。


「わあ……っ!」

『ほら、何か見えたんでしょう。そこに付いて行くだけだから簡単よ』


 パメラフィナートはふりふりの扇をパチンと閉じて行く道を指し示した。『さあ、行きなさい!』 うん、とパメラは頷いて、飛び跳ねるように、足跡を踏んだ。昼間だというのにぴかぴか、きらきらと光っていてまるで星の道を歩いているみたいだった。




 こうしてなんとか予定より大幅に遅れることなくパンを届けることができた。パメラは孤児院への帰りしな、興奮の思いでパメラフィナートを讃えた。彼女の姿はパメラ以外誰にも見ることができないようなので、もちろん初めは周囲の視線を気にしていたが、後は街に出て孤児院に向け小高い丘を登っていくだけだ。辺りは牧草地帯が広がっているだけである。


「パメラフィナートって凄いんだね、頭の回転が速いというか……! 私、スキルだから、一回しか使っちゃだめだと思ってたよ、すごい! ……あっ、貴族様、なんだよね、それならパメラフィナート、様? こんな口の利き方はだめ……だめでしたね!?」

『ふふ、よろしくってよ。たしかに私は貴族……そして公爵家であるエーデルシュタインの血筋……。けれどもすでにこうして死んでしまったのだから身分も何もないわ。そして死んだところで私が罪深いほどに美しいという事実はまったく変わらないのだから、私は常に最高の女よ……ッ!』

「なんかすごいね」


 前向きすぎるほどにポジティブなだけだった。それにしても、とパメラは眉根を寄せて、暗い顔でパメラフィナートを見上げる。


「死んで……ということは、やっぱり、パメラフィナートは、幽霊……?」

『そうでしょうね。起きたばかりだから私もよくわかっていないけど、やっぱり生きてるときとはちょっと違うわ。あと、私のことはパメラフィナート、ではなくてフィーナで結構。あなたがパメラだからややこしいもの。たとえ私の美しい名前が一部であろうとなかろうと私の美しさに陰りはないわァ!』

「なんかすごいね?」


 同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。


『なんにせよ、これからあなたを立派な淑女にしてあげてもよろしくてよ』とパメラフィナート、もといフィーナにこにこ楽しそうだが、パメラは特にそういったものは求めてはいない。フィーナはパメラを輝かせる、と言っていたが、パメラとしては日々平穏に大切な人たちが元気に生きていくことができればそれでいい。


「あのさ……今日のところはフィーナに助けられたけど、少しはスキルを上手に使うことができるようになったし、あの、私としては、それ以上は別に……」

『あの程度で上手に使える? ハハン、笑止千万ッ!』

「しょ……!?」

『異国の言葉よ! おヘソでティーポットを沸かして紅茶を淹れて差し上げてもよろしくてよ。パメラ、あなた、よく考えなさい』


 ずびし、とフィーナは扇の先をパメラの鼻先に突きつける。なんだかこればっかりである。


『あなたのスキル、未来視だったわね。これを使って自身の未来を連続で見る。そんなのただの子供だましに決まっているでしょ? なんせ、あなたが正解の未来を行く、という過程の上でしか成り立たないもの。万一間違った場所にたどり着く未来ならその通りになっていただけよ』


 フィーナの言う通りだ。パメラは初めて自分のスキルをきちんと使うことができると嬉しくて何も考えてはいなかった。


『まあ、“私がいる”のですから、間違った道に行くことはないわ。そう“私”がわかっていたから、正しい未来が選択できただけ、ということをきちんと肝に銘じなさい』


 つまりフィーナは自分という存在に絶大な自信を持っていたから、それを信じて進んだ、と言いたいのだろう。つまり、だ。


「じゃあ、やっぱり私のスキルは役に立たない……」

『あなた、自分のことを“下だと思っている”わね?』


 どきり、とする。何に、ということではない。例えば生まれだとか。育ちだとか。やっと授かったスキルが人並み以下のものであったとか。


『それは、“つまらない”考え方ねぇ……』


 ぴくりと口元が震えた。その言葉だけは聞き捨てならない。パメラの生き方の、根本であるのだから。いつの間にか足元を見ていた自分がいた。だから顔を上げて、言い返そうとしたが。


『最後までお聞き。スキルとは可能性よ。自身の力の源を形として知るただの方法。未来視という言葉に囚われてはいけないわ。なんせ、ただの幽霊となってしまった私を見ることができる唯一の人なのだから』

「フィーナを見ることができるって言われても」

『未来を見るだけのスキルで幽霊である私が見えるわけがないでしょう。宝石だって初めはただの石ころよ。それを美しくカッティングして初めて価値を見出されるの。そうした蠱惑的なほどに魅力にあふれる宝石は、ええ、とても――おいしいわ』

「おいしい……?」


 聞き間違いかもしれない。なんにせよ、たしかにパメラの未来視でフィーナの姿を見ることができる、というのはおかしい。フィーナはうっとりとした顔つきで、自身の指先をゆるりと唇を這うようになでた。つるつると指先を滑らせたかと思うと、向けられた表情は堂々としたものだ。

 小高い丘を目指すまでの輝くような空の下で、きらきらとした太陽の光を逆行に背負いながら、フィーナはパメラを見下ろした。


『ええ、そう。私があなたをカッティングしてあげる』

「カッ……、え?」

『そうね、まずはステップカット、なんていかが?』

「ステッ……?」

『ブリリアントカットよりもずっとシンプルだけど、宝石によっては一番美しくファセットを作るのよ……?』


 ステップカットとは宝石を形作る技法の一つだが、そんなものパメラが知るわけがない。フィーナはパメラの耳元でそっと囁く。甘い息がぞわりと耳たぶをなでた。「ひ、ひえっ」 だから思わず驚いて飛び跳ねたときだ。「おい、『ちょっと』のパメラ!」 今度は怒鳴り声がパメラの耳をつんざいた。


 ふとっちょとのっぽ、いやフトッロとロッポの兄弟だ。街から孤児院に戻る道すがら、ということはパメラが落とし穴にはまった道ということになる。兄弟二人は真っ赤な顔をして、道の真ん中で彼女を待ち構えていた。


「誰が穴から抜け出していいって言ったんだよ! 生意気なやつだな!」


 きんきんに叫んでいるのはフトッロだ。ロッポは憮然とした顔で腕を組んでパメラを睨んでいた。穴に落ちたパメラをあざ笑いながら消えていった二人だが、そろそろ泣きべそをかいているだろうと思って様子を見に来たのだろう。なんとも暇なことだ。彼ら兄弟を見て、フィーナはふふりと楽しげに笑った。


『レッスン1、といったところ……かしら? もしくはただの練習台、チュートリアルってやつね』

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