2 農耕王といけ好かない警備隊長
塔を出るとそこは小高い丘の上だった。塔の目の前は広場になっており、祭事の際はここに祭壇が立てられるとの事だった。正面は城下町が一望でき、右手には立派なお城が構えていた。足元には色とりどりの見た事がない花が咲いていて思わず「きれい……」と声が漏れた。
しかしセラスは眉間に皺を寄せ、「それでも、以前よりは少なくなってきているのです。」と苦し気に言った。秋葉原のゴミゴミとしたコンクリートジャングルを思えば、これでも自然豊かな方だが……。
「行きましょう。ダリアに国王への謁見許可を取らせてあります」
国王ってそんなホイホイと謁見できるものなのか。紅葉の疑問を他所にセラスは城とは反対方向へ進んだ。はて国王様はお城にはいないのか、はたまたあのお城はただのお飾りで別の所に豪邸があるのか。
そんな事を考えながら丘を降り林を抜けると学校の運動場くらいの畑に出た。そこでは老若男女二十人程、農作物の収穫に励んでいた。その中の一際逞しく浅黒い肌の五十代くらいの男がこちらに気付き手を振り近付いてきた。
「おぉ! セラスではないか!」
「……ヒロセレウス王……」
セラスは飽きれながらそう呟く。はて、ヒロセレウスというのはこの国の地名ではなかったか。という事は、国と同じ名前を持つこのおじさんは……。
「こここ国王!?」
紅葉は思わず声が出た口を慌てて塞いだ。白い綿のシャツにオーバーオールを着て、手には軍手、首にはタオル、頭にはつばの広い麦わら帽子を被っていて、小脇に作物を入れる籠なんか抱えちゃって、どこをどう見ても普通の農作業してるおじさんにしか見えない。
「やぁやぁ、セラスの使い魔から話は聞いておるよ。異世界から遥々ようこそ。儂はウンダツス・ヒロセレウス。見ての通り、この国の政治を取り仕切っておるよ」
そう言うとがはは! と豪快に笑った。この人の定番ギャグのようだ。大きい口には上品に白い歯が並んでいる。
「ヒロセレウス王、せっかく謁見許可を取ったのですから見た目くらいちゃんとしてください」
「マントは農作業に邪魔なのだ」
セラスの小言に王は口を尖らす。国王と軽口を言い合っているという事は、それ程親しい関係という事か、はたまたセラスの位がそれ程高いのか。どちらにせよこれは普通の事ではない、気がする。
「して、客人、名はなんと申す?」
「く、紅葉と申しますです!」
しかしやはり権威ある者には緊張してしまう。思わず変な言葉遣いになってしまった紅葉を見て、ヒロセレウス王は膝に手を付き目線を合わせ優しい笑みを浮かべた。
「そう緊張せずとも良い。この国はその昔、ほんの小さな農村から始まったのだ。水を引き田を耕し植物の種を植え育てた。この国の人間は植物と共に生まれ植物と共に生きておる」
ヒロセレウス王は一呼吸置き、「儂の祖先も農民でしてな。儂自身も玉座より畑の方が性に合っておっておる」と悪戯っぽくウインクした。
「また研究ですか?」
セラスはヒロセレウス王に向かって問うた。
「あぁ、しかしこの畑はもう駄目だな。ほれ、見てみろ」
小脇に抱えた籠の中を紅葉達に見える様に差し出した。中に入っていた何かの植物の実は、殆ど黒く腐り食べられそうもなかった。
「これは……」
「だんだんと土地が死んでいっておる。このままでは作物が獲れん所か人も住めなくなってしまう」
「大丈夫です。その為に巫女様を遥々異世界からお呼び立てしたのです」
暗い表情のヒロセレウス王にセラスは言った。しかし王は、
「なに、客人に頼らずとも儂がなんとかして見せよう。伊達に農耕王と呼ばれておらんわ!」
とまたがはは!と豪快に笑った。そしてセラスに顔を近づけ「どこぞの近隣国から連れてきた娘か知らんが、巫女ごっこも大概にしておけよ。」と悪戯っぽい笑みを浮かべて囁いた。ヒロセレウス王はセラスがポンコツであることを見抜いているらしい。なるほど、異世界の巫女の話はすでにおとぎ話の中の出来事のようだ。
セラスは抗議をしようと口を開くが、
「国王! ここにおられたのですか!」
という背後からの鋭い声に阻まれてしまった。
見ると精悍で少し色黒の顔立ちの青年が苛々しながら足早にやってきた。髪は緑色で短く清潔感があり、胸にこの国のシンボルだろうか、剣が多肉植物に突き刺さったようなエンブレムの施された革鎧を着て、腰にはサーベル刀を携えていた。
「政務室にいらっしゃらないと困ります」
青年はこちらをちらりと一瞥するとキリリと太い眉根に皺を寄せ、ヒロセレウス王に向き直る。まるで邪魔なよそ者だと言うような冷たい目線だった。
「そう堅い事言うな、ロンガン。部屋に籠っていても植物は生えて来ん。今できる事はこうして土に触れて種を撒く事だけだ」
「しかし王には政務がございます。今すぐ宮殿へお戻り下さい」
ロンガンと呼ばれた男は姿勢を崩さずぴしゃりと言った。あまりの剣幕にヒロセレウス王は口を尖らせ、
「……分かったよぅ、戻るよぅ」
と背中を丸めトボトボと宮殿の方へ歩いて行った。その後を付いて行こうとしたロンガンはふと足を止め、
「よそ者は去れ」
と眉ひとつ動かさず言った。
「な、な、な、何なんだあの態度はあああああああっ!!」
二人の背中が見えなくなったのを確認すると、紅葉は体をわなわなと震わせそう叫んだ。私だって来たくて来たんじゃない。
「ロンガン・ディルモ。若くして国営警備隊に入隊後、最速で警備隊長にまで登り詰めた剣の名手です。ただ、少々性格が偏屈な奴なのが玉に瑕ですが……」
セラスは苦々しく言う。セラスもロンガンという男はあまり得意な人物ではなさそうだ。
「セラス様……」
畑の方から遠慮がちな声が聞こえて来た。見るとそれぞれ農作業に適した格好をした老若男女十人程が、紅葉達の周りに集まって来ていた。
「そのお方は……」
その中の老婆が、紅葉を指して問うてきた。
「そ、そうです。皆さまが待ち望んでおられた、女神の加護を受けし異世界の巫女様です!」
セラスは思い出したかのように皆の前で紅葉に手を向け紹介した。しかし集団は、待ち望んでいたはずの巫女の登場に、皆一様に眉を顰めひそひそと何か耳打ちをし合っていた。
「“黒髪”は災いをもたらす……。この国はもう終わりじゃ……」
老婆は手を擦り合わせ天を仰いだ。どういう意味だろう。確かに集団の髪色は色とりどりの花のようで、黒髪は一人もいない。
「そんな話迷信です! 確かにこのお方は異世界からの巫女様なのです!」
セラスは必死に集団に訴えかけるが、誰も聞く耳を持とうとしなかった。
「その昔、突然黒髪の女が現れ不思議な呪文を唱えると、雷鳴が轟き渓谷から水が逆流してきて街を一つ消し去ったという伝説があります」
その日の夜、ヒロセレウス王が用意してくれた城下町の一等地にある客人用の建物の一室で、セラスはそう語った。
「そんな話、してくれなかったじゃない!」
紅葉は暗く俯くセラスに抗議した。
「無いのです」
「え?」
「そういう記録はどこにもないのです」
ただ、口伝えに広がった噂話程度の物だと言う。しかし、信心深い一部の者はそれを信じ、黒髪を忌み嫌うらしい。
「黒髪はそんなに珍しいの?」
「はい、少なくとも私が生きている間に見た事はありません。あ、いや……」
セラスは気まずそうに言葉を濁す。
「何よ?」
「あぁ、いえ……街外れの森の奥に黒髪の魔女が住んでいると聞いた事があります。しかしそれも噂話程度。信じるに足りません」
魔女。そう聞いて紅葉は白雪姫に毒りんごを手渡す老婆を思い出し、紅葉もそう見られているのかと少しだけ不愉快な気分になる。それが表情にも表れていたらしくセラスが慌てて釈明する。
「いえ! 私は黒髪が災いをもたらすとか魔女とかそんな事一切信じておりません! それにクレハ様の髪は美しいです!」
そこまで言ってセラスはふと、とんでもない事を口走っていた事に気付き耳まで真っ赤にして俯き黙ってしまった。対して紅葉もそんな面と向かって美しいなんて言われたのは二十二年間生きてきて一回もなかったので、顔が熱くなるのを感じ俯いてしまった。
「きょ、今日はお疲れでしょう。こちらでごゆっくり休まれてください。私はこれで失礼します」
気まずい沈黙を破ったのはセラスの方だった。「え、行っちゃうの?」咄嗟に出た声はとても弱々しく不安気だったのだろう、
「ダリアをすぐ側に待機させておきます。何かダリアと声をかけて頂ければすぐに表れますので」
セラスはそう言って困ったように微笑み、扉の向こうへと消えていった。
残された紅葉は部屋を見渡した。二十~三十畳ほどの部屋には毛足の長い絨毯が敷かれ、天井には華奢なシャンデリアには当然の様に明かりは灯っていない。豪華だが品の良い草花を模した彫刻が施されたワードローブなどの家具一揃い、一角には白いレースのあしらわれた天蓋付きのキングサイズのベッドが鎮座していた。こんな部屋、ホテルだったら紅葉の安月給ではそう易々と泊まれないだろう。用意してもらった肌触りの良いワンピース型のパジャマに着替え、紅葉はのそのそとその大きなベッドに潜り込んだ。
窓から見上げる夜空には大小二つの月が出ていて、ここが地球のどこかではない事を静かに物語っていた。
本当に元の世界に帰れるのだろうか?
みさぽ晩御飯何食べたかな?
今日のブログにいいね付けられなくてみさぽ心配してるかな?
そんな事を考えていたら、紅葉はいつの間にか眠りに落ちて行った。
深夜、ドアの外でコトリという物音で目が覚めた。紅葉は警戒しながらそっとベッドから起き上がり
「セ、セラス……?」
と声を掛けた。しかし廊下からは反応がない。ダリアを呼ぼうかとも思ったが、あんな小さな子に何ができるのだろう。紅葉は意を決してベッドから降り、サイドチェストの上に置かれた燭台を武器にそろそろと扉に近付いた。そして再び
「だ、誰……?」
と扉越しに問いかけた。しばらく待ってみても扉の外からの反応は帰って来ないので、紅葉は燭台を握り直し扉を少し開けた。
すると月明かりに照らされた薄暗い廊下に、ぬっと大きな影が見え悲鳴を上げそうになった。だが、よく見ると昼間畑で出会った警備隊長、ロンガン・ディルモだった。
紅葉が部屋から出て来たのに気付き、
「眠れないのか」
と相変わらずの仏頂面で聞いた。「さっさと寝ろよ」と言いたげだ。「あんたのせいで起きたんだよ」とは言えず、「はぁ、まぁ」と曖昧な返事で誤魔化す。紅葉が、
「何やってるんですか?」
と聞くとロンガンは
「監視」
と開けっ広げに答えた。確かに急にどこからともなく現れた謎の人物に対して警戒するのは国を守る騎士団長にとって当たり前かもしれないが、包み隠さずにそう言われたらこちらもどう反応していいか分からない。
「本当に、異世界から来たのか?」
一瞬独り言かと思う程の呟きだったが、目は紅葉を真っ直ぐ見つめていたので、それが問いかけだと分かった。
「私にとってはこっちが異世界なんだけど……。私は日本の秋葉原って言う土地に住んでるんだけど……」
「ニッポン……? アキハバラ……? 聞いた事がない地名だな」
“ぶるーみんぐ!”のライブに通いやすいように一年前引っ越したのだ。アパート更新までに帰らなければ、あの部屋はどうなってしまうのだろうか……?
「お前に本当に女神の加護があるのなら、この国を救えるか?」
ロンガンは少し眉間に皺を寄せて問う。感情が表に出にくいだけで、内心ではやはり、この国の行く末を案じているのだろう。
紅葉は少し心がチクりとした。安心させる言葉をかけるのは簡単だが、真っ直ぐと見つめられると心を見透かされたようで、その時はできないでいた。
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