3 祭りの準備
翌朝。紅葉は窓から差す柔らかい陽の光と小鳥のさえずりで目を覚ました。
薄っすら目を開けるとそこには見慣れた薄汚れたアパートの天井……ではなく、白いベッドの天蓋だった。
「知らない天井だ……」
言いたかっただけだ。別に他意はない。
まだ十分に起きていない体をのそりと持ち上げベッドの上に座る。仕事に行く為の準備に追われない朝はどれくらい振りだろうか。
眠気と戦いながらも、腹からは飯はまだかの催促が来る。しかしこの部屋にはキッチンはおろか冷蔵庫もない。いや、果たしてこの世界に電化製品なるものが存在しているのかも怪しい。
どうしようかと悩んでいると突然部屋の扉が開き、一人のメイドが元気よく入って来た。
「おはようございますわ! クレハ様♪」
メイドの傍らにはワゴンが置かれ、その上には湯気が立ち込める料理が数品乗っていた。
「ささ、こちらへどうぞ♪」
テンション高く半ば強引にソファに着席させられると、あっという間にテーブルに料理が並んだ。
目玉焼きやコーンスープ、全粒粉のパンなど見慣れたものから、こちらの料理なのだろう見慣れない野菜を使ったオードブルまで、一般的な洋風の朝食と言えるだろう。味はどれもとても美味しく、紅葉はペロリとそれらを完食した。
「美味しかったです。あの……」
「まあ、大変申し遅れました。わたくし、リリーと申します。このお屋敷でクレハ様のお世話係を仰せつかっております♪」
リリーと名乗った女性はメイド服の裾をちょこんと摘まみ可愛らしく会釈した。年は紅葉より少し下くらいだろう。水色の髪を後ろで大人っぽくまとめているが、その顔にはまだまだあどけなさが残っている。
「リリーさん一人でこのお屋敷を?」
「リリーとお呼びくださいな♪お掃除や庭仕事など他の者も出入りしますが、お料理やクレハ様の身の回りの事はこのわたくしに何でも仰ってくださいませ♪」
食器を片付け戻って来たリリーは「身支度をいたしましょう♪」と紅葉をいそいそとバスルームに案内する。
さすが農耕の国、水は潤沢にあるらしい。紅葉はお礼を言い扉を閉めようとしたがリリーは遮って「わたくしはクレハ様のお世話係なのです♪」とどこか楽しそうに紅葉のパジャマを剥ぎ取った。抵抗虚しく、紅葉はこのテンション高めのお世話係に隅々まで洗われてしまった。
ワードローブの中には色とりどりのワンピースが掛かっており、紅葉はその中から朱色の物を選んだ。リリーの手を借りてそれを着用するとドレッサーに誘導され、ボサボサだった髪を綺麗にポニーテールに結い上げられた。髪色以外、街娘でも通用する見た目になっただろう。
「お美しいですわあ、クレハ様♪道行く街の男達も振り返る事請け合いですわあ♪」
「え、そ、そうかな…、えへへ…」
お世辞でも嬉しいものは嬉しい。リリーの褒め殺しにその気になっていると
「遅い! いつまで掛かってる!」
仏頂面をさらに不機嫌にしたロンガンがノックもなしに部屋に無遠慮に入って来た。
「ま! ロンガン様! 淑女のお部屋に無断で入るなんて……! 淑女の身支度は時間が掛かるんですのよ!」
リリーはロンガンの前に立ちふさがってぷりぷりと抗議する。しかし当のロンガンはどこ吹く風で、
「身支度は出来ているんだろう、早く来い」
と不愛想に顎でしゃくった。扉に向かい歩き出す直前、ロンガンはふと何かに気付き開け放たれていたワードローブから適当にフードが付いているケープを取り出し紅葉に被せた。
「“それ”は目立ちすぎる」
“それ”とはこの黒髪だろう。石とか投げられても怖いし、ここはロンガンの言う事を大人しく聞いておく事にした。
大股で歩くロンガンの後ろを必死で付いて行く途中、畑や花壇が目に付いた。農耕の国と呼ばれているだけあって自然と共存しているようだ。しかしその緑は所々黒く変色し、枯れているように見えた。
「この国は今、死にかかっているのです」
昨日のセラスの言葉を思い出す。それから次にヒロセレウス王の持っていた籠の中の果実。ただ枯れているのではない、何か植物に罹る病に侵され腐ったようだった。街の人はみな一様に暗い顔をしてその黒ずんだ植物を摘み取っている。他の植物にその病を移さないようにだろう。しかしそんな事をしても無駄骨だ、と言うように人々はため息をついている。
紅葉はそんな人たちを見るのが居たたまれなくなり、すでに小さくなりつつあるロンガンの背中を足早に追いかけた。
城に着くとすぐにセラスが出迎えてくれた。そこでロンガンとは別れて城には入らず、そのまま例の塔へと向かう。
塔の広場では屈強な男達数名が大工仕事をしていた。公祭の為の祭壇作りだそうだ。
「明日の夕方には出来上がる予定で、三日後の朝から夜にかけて公祭を執り行います」
「もう!?」
勝手に一週間くらい猶予があるものだと思い込んでいた。セラスは異世界の巫女のお披露目も兼ねているのだと言った。
「一日かけて街を歩き、夜こちらの広場で巫女の舞いをお披露目します」
「ちょっと待って。舞い? 私そんなのできないけど」
「私がお教えしますので大丈夫です。今日中に覚えて頂きますからね」
にっこりと優しく微笑むセラスの顔の奥には、NOを言わせぬ迫力があった。紅葉はこれから始まる過酷な巫女修業を想像し冷や汗を流した。
練習の為塔の中に入ると昨日の薄暗く怪しい雰囲気はなく、窓のない閉鎖的であるにも関わらず、明るく居心地がいい空間になっていた。壁を見ると蝋燭の火は一本も灯っていないのに、壁全体がぼんやり光っているように見えた。
「何で電気もないのに明るいの?」
紅葉は疑問を素直に口にする。
セラスは「デンキ、と言う物は存じ上げませんが」と前置きをして説明してくれた。
「光石と言うものを使用しています」
この地域では光石と呼ばれる鉱物が採れ、石同士を接触させると発光するらしい。その原理を利用し、一部の富裕層や公共施設などでは光源として使用されているとの事だった。
そう言われてみれば、街には街路樹に混じって点々と街灯が立っていた事を紅葉は思い出した。生まれた時から電気のある生活に慣れ親しんだ紅葉には当たり前の風景すぎて見落としていたのだった。
という事は、昨日泊まったあの部屋のシャンデリアも光るという事か……。
「まあ月が出ているうちはあまり不便も感じませんが」
しかし都会のネオンに慣れている紅葉にとっては月の光や蝋燭の灯りだけでは心細い。戻ったらリリーに頼んで使い方を教えてもらおうと紅葉はこっそり思った。
それからはまさにスパルタと言って差し支えがない程セラスの指導は熱心だった。
実は公祭というものは数年に一度行われているものらしい。巫女役は街から年頃の娘を一人か二人選出し、あの広場で舞いを披露するという。それを今回は本物(という体)の巫女が務める訳だ。昔は神に生贄を捧げる儀式だったのだが、時を経るごとにその意味は徐々に薄れエンタメの要素が強くなっていったようだ。
「それじゃあ別に、奇跡とか起こさなくていいんだね?」
息を切らしながら紅葉は言う。ヲタ芸で体を動かし慣れているとは言え、やはり使う筋肉が違うのか体力の消耗が激しい。
紅葉の問いかけにセラスの整った顔が強張る。
「奇跡……は、起こして欲しいです」
苦虫を噛み潰したように、セラスは紅葉を見ないようにしながら何とか言葉を発した。
何を言っているのか。紅葉は特殊能力もない、魔法も使えないただの一般人なのだ。それはセラスも重々承知だろう。
「ムリムリムリムリ! それはセラスもわかってるでしょ!?」
「わかってます! わかってますが、やはり街の人たちに納得してもらうには、何か奇跡的なものを見せないといけないと思うのです! 雨を降らせるでもいい、なんなら風を一吹きさせるのでもいいのです!」
セラスは紅葉に詰め寄り訴える。
「バカな事言わないで! そんな事できたら苦労は……」
詰め寄られた分押し返そうと紅葉が一歩前へ踏み出したが、長いスカートの裾を踏んでしまいその勢いのまま前へとバランスを崩してしまった。
「あっ……」
セラスは咄嗟に紅葉を支えようと手を差し伸べたが間に合わず、そのまま折り重なるように倒れてしまった。
「いたた……」
「大丈夫ですか?」
「うぅ……大丈夫……」
紅葉が顔を上げると目と鼻の先にセラスの整った顔が心配そうにこちらを覗いていた。セラスからは香水のケミカルな香りではなく、自然な花のようなの香りが漂ってきて紅葉は自分の汗だくの体を恥じて慌てて離した。
「ご、ごめん!!」
「申し訳ありません。少し急ぎ過ぎましたね。休憩しましょうか」
セラスは困ったように笑うと立ち上がり紅葉にも手を貸し立たせた。
紅葉は部屋の一角にあるテーブルに着席し、セラスの淹れてくれた紅茶を飲んで一息つくと
「セラスは魔術師なんだから風くらい吹かせられるでしょ?」
そう少し唇を尖らせながら言った。
「魔術師は魔法使いとは違います。何でも出来ると思わないでください」
苦し紛れに言った紅葉に、セラスはぴしゃりと言い返した。
「私的には使い魔を作り出す時点で奇跡みたいなもんなんだけど……」
独り言のように文句を言う紅葉に、セラスが何かに引っかかったように「今なんとおっしゃいましたか?」と言った。
「使い魔を作り出す時点で奇跡みたいなもんって……」
「それです!」
セラスが何かを思いついたらしく興奮気味に立ち上がって言った。
「な、何?」
紅葉は少し嫌な予感を感じつつ問う。
「少しお耳を拝借」
この塔には誰も来ないと言っていたのに、周囲を気にするようにセラスは紅葉に耳打ちをした。
「上手くいくかなぁ……」
「やるしかないのです!」
やる気に満ち溢れているセラスとは対照的に、一抹の不安を抱える紅葉なのだった。
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