1 間違って異世界

 「やった! 成功だ!」


 紅葉が次に目を開けたのは、ゴシック調の壁や柱があり、あちらこちらに蝋燭の火だけが灯る見た事もない薄暗い石造りの室内だった。目の前には夜空の様な暗い色のローブを頭から被り全身を覆っている人物が立っている。床に座り込んでいて相手を見上げる形になっているとは言え、その人物はかなりの高身長のようだ。


 「ここ…どこ?」


 自分でも驚く程まぬけな声で目の前の人物に問いかける。ローブの人物はハッとして紅葉の前に歩み寄り跪いた。それはアニメ等でしか見た事ないが、流れるような自然な仕草だった。


 「失礼を、巫女様」


 ローブの人物はそう言うとローブを脱ぎ顔を現した。蝋燭の火だけ灯った薄暗い室内でも、ハッとするような端正な顔立ちの青年だった。髪や目の色ははっきりとは分からないが、パッと見だけで日本人ではないことが分かる。年の頃は二十代半ばくらいだろうか。


 「み…巫女様?」


 またも素っ頓狂な声を出す。混乱した頭で相手の言葉を繰り返す事しかできなくなっていた。


 「そう、あなた様はこのヒロセレウス王国を救う為私が異世界から召喚した女神の加護を受ける巫女様です」


 はて、この青年は何を言っているのだろうか。よく見たら座り込んでいる床にはボウッと光る魔法陣の様なものが紅葉を中心に描かれており、辺りにはバッグの中身が散乱している。そういえばお尻がズキズキと痛む。どうやら高い所から落ちたらしい。


 「よ、よく分からないんですけど、あなたが私を召喚したと?」


 「左様でございます。申し遅れました、私の名前はセラス。王国お抱えの魔術師でございます」


 「魔術師……?」


 ますますわからん。これって素人巻き込み型ドッキリじゃないの? そうだとしたら部屋のどこかにカメラがあるはず。


 「巫女様……?」


 部屋をキョロキョロと忙しなく見渡す紅葉に、目の前の男、セラスは心配そうに少し首を傾げた。


 「いやいや、そもそも私、あなたの言う巫女様とやらではないですし、一般人ですし、今日も帰ったらライブDVDを見ながらヲタ芸打つ練習しないとですし」


 「ライブ……? オタゲイ……? 巫女様の世界ではそのような面白い言葉があるのですね?」


 セラスはきょとんとした顔で言う。オタクを馬鹿にしているのか。


 「では、ここがあなた様の世界ではない事を証明いたしましょう」


 そうしてセラスは紅葉の手を引き紅葉を立たせると部屋を出た。「さあ、こちらへ」と促されるがままセラスの後に続く。


 重い扉の向こうにはすぐに石でできた階段が螺旋状に上へと続き先が見えなかった。セラスの先導でその階段を上る。普段ヲタ芸で鍛えられているのか、少し息が上がったがなんとか付いていけた。セラスは息一つ乱れず同じペースで階段を踏みしめ登って行った。


 蝋燭の火で照らされた薄暗い階段を抜けると目の前に木製の扉が現れた。セラスはその扉を力を込め押すと金属が錆ているのかギギギ……と不愉快な音を立ててゆっくりと開いた。その瞬間、爽やかな風が紅葉の髪をくすぐるように通り抜け、目の前には突き抜けるような青い空が広がっていた。


 バルコニーから見た景色は、紅葉が慣れ親しんだ秋葉原のコンクリートジャングルとは違っていた。


 青々とした緑が茂り所々見慣れない花が咲いている。その間を縫うように三角屋根のレンガ造りの家々が並んでおり、所々、煙突からは煙がもくもくと上がっていた。外国の写真集で見るような光景だった。


 「この国は今、死にかかっているのです」


 呆気にとられている紅葉の肩にそっと手を置きセラスは言った。太陽光の下で見るセラスの髪は銀色に輝き、瞳は深い緑で時々黄金に揺らめいた。それが端正な顔と合っていて、ここが本当に秋葉原ではない事を突きつけられたような気がした。


 「こ、ここが日本の、秋葉原ではない事は分かった。だけど何で私なの? どうして私が選ばれたの?」


 頭一個分ほど背の高いセラスを見上げ、紅葉はそう問いかける。二十二年間普通の家庭で普通に育ってきた。突然そんな事言われても困る。


 「私は巫女様の体に宿った女神様のご加護の思念を頼りに、儀式を通じてこちらの世界に引き寄せたのです。あなた様の体のどこかに、痣の様な紋章があるかと……」


 「痣……?」


 自信あり気に言うセラスを尻目にふと、今日の握手会の事を思い出す。そそっかしい美咲の左手の甲にどこかにぶつけた様な青黒い痣……。


 「その痣、みさぽの左手にあったやつ!」


 「へっ?」


 「今日握手会で、その子の左手に痣があって、私その子の手を撫でて……」


 そこまで言うと、セラスはずいっと顔を寄せる。まるで犬が相手の匂いを嗅いで仲間であるかどうか確認するように、紅葉の体を触れるギリギリの所に鼻先を近づけ隅々までチェックしている。


 「……どうしよう」


 確認をし終わったのか、セラスはぽつりとつぶやく。その整った顔からは大量の冷や汗が噴出している。


 「間違っちゃった……」


 「はあああぁぁぁぁぁ!? 間違ったああああぁぁぁ!?」


 紅葉の大声で、セラスは体をビクリと震わせ、一歩下がり頭を床に擦り付けた。いわゆる土下座の形だが、謝罪の形はどの国も同じなのだろうか?


 「申し訳ございません!!」


 階下での立場から逆転した。今度はセラスが床に座り、紅葉がその前に仁王立ちだ。


 「どういう事ですか? 間違ったって!」


 「私、実はまだまだ新米の魔術師でして……、女神様のご加護というのも大変曖昧な物でして……」


 しどろもどろになりながら、セラスは説明する。


 「我々魔術師は、別次元の世界にいる女神様のご加護の気配をまとう人物を頼りに儀式でこちらの世界に引き寄せます。しかしその気配自体が非常に曖昧なもので、触れ合う事で一時的に他人にも移ってしまうのです……」


 「でも、みさぽに握手してたのは他にもたくさん……」


 「巫女様は女性だろうと……」


 「なるほど」


 あの場にいたのは紅葉と美咲(とメンバー)以外全員男。つまり、美咲から一時的に移った女神の加護を持った紅葉を巫女様と勘違いしてこの世界に召喚してしまったらしい。そうなると一つの疑問が浮かぶ。


 「じゃあ私はお払い箱って事で、元の世界に帰れるのよね?」


 期待に満ちた目をセラスに向けると、青菜に塩を振りかけたようにますます小さくなっていく。


 「……実は、今回の儀式が初めての成功で、元の世界に戻す方法は分からないのです……」


 「分からないって……」


 今度はこちらがへなへなと崩れ落ちる番だった。セラスは王国公認魔術師に任命されて日が浅く、魔術の師匠もすでにこの世にはいないらしい。


 「じゃあ、どうすんの?」


 「このまま、あなた様が巫女様として祭り事を執り行う他ありません」


 真っ直ぐ紅葉の目を見て答えるセラス。


 「むっ無理無理!! 私にそんな特殊な力ないし、祭り事なんて大それた事……!」


 そこまで言う紅葉の肩をむんずと掴み、セラスは顔を一段と寄せる。紅葉は普段現場では冴えないオタクと、職場ではおじさん達に囲まれて生活してるのでイケメンには慣れてない。真っ直ぐと彫刻の様に整った顔に見詰められると蛇に狙われた蛙の様に動けなくなってしまう。


 「大丈夫、あなた様が公祭で時間を稼いでいる間に、私が本当の巫女様を呼び出す準備と、あなた様を元の世界に帰す方法を必ず見つけます。だからそれまで、あなた様はどうか巫女様のフリを……!」


 力強くそう言われ、紅葉は頷くしかないのだった。




 このヒロセレウス王国というのは広大な敷地をぐるりと取り囲むように深い森と渓谷に守られ、長年安寧を保ってきた。なんでも花の女神フローラの加護で、この国は豊作の国と呼ばれてきたようだ。しかし、近年、不作が続き国民の生活が脅かされているらしい。


 そこで、魔術師セラスは、女神フローラの加護を持つ巫女を召喚する儀式を行う事を提案した。曰く、大昔、この国はそうして危機を幾度も乗り越えてきたようだ。しかし、その件の儀式が執り行われたのは実に百年以上前で、実際それに参加した者はすでに誰もおらず、セラスは古い書物を片手に師匠と悪戦苦闘したそうだ。師匠は大変高齢で、儀式の完成を前に亡くなってしまったと、セレスはその宝石の様な瞳を伏せて言った。


 「とにかく、召喚の儀は成功したと国王に知らせなければ」


 塔の階段を下りながらセレスは自分に言い聞かせるように言った。


 「それって私も行かなきゃダメ?」


 紅葉は顔を引き攣らせ言う。何て言ったって相手は国王である。何か粗相があっては大変だ。


 「もちろん! だってあなた様は巫女様ですから!」


 「その巫女様って言うのやめてもらえます?」


 「そういえば、お名前を伺っていませんでしたね」


 「そういえば……。私は紅葉、山崎紅葉です」


 「クレハ様ですね」


 よろしくお願いいたします、とニコリと笑ってセラスは言った。


 「こ、こんな格好で出向いてもいいんでしょうか……?」


 紅葉は自分の着ているピンクの半被の裾を持ち拡げて見せた。その下には白地に黒で“生涯みさぽ最推し”と書かれたTシャツに、薄い色のジーンズを履いている。生涯一度も染めた事がない黒いセミロングスタイルの頭には、これまた“みさぽ最推し”と書かれたピンクの鉢巻を巻いている。いつものライブスタイルだ。


 「異世界から来られた方だと言うのは一発で伝わりますが……」


 少し眉を引き攣らせそう言葉を絞り出したセラスは、そうですね、と少し天井を見上げて思慮を巡らせた後、「では、こうしましょう。ダリア!」と中空に向かってそう叫ぶと、「はいな!」と天井から女の子が生えてきた。そのまま全身を天井からぬるりと抜き出し、猫が高い所から飛び降りるようにくるくると回ると、器用にセラスの足元に着地した。その子はどう見ても五、六歳で、天井から出てきた事以外至って普通の少女だった。


 「私の使い魔のダリアです。彼女に着替えを手伝ってもらいましょう」


 「ダリアだぞ。クレハ様、以後お見知りおきを」


 ダリアと紹介された少女は薄いピンクの花びらの様なスカートを指で摘まむと、貴族がするようなお辞儀をした。


 今起こった不思議な事を前に、紅葉はとんでもないことに巻き込まれたのではないかと一層気持ちが沈んでいった。




 最初の儀式が行われた部屋の奥には小部屋があり、そこには儀式で使用する冠や衣装が保管されていた。まるで博物館の様な煌びやかな装いにクラクラと眩暈を起こしそうになっている紅葉に、背後からダリアが「どうぞ。」とバッグを差し出した。紅葉が塔の屋上でセラスと話している間、中身を拾い集めてくれていたらしい。


 「多分全部揃ってると思うんだけど……」


 「ありがとう」


 ダリアは反応を伺うようにクリクリとした大きい目で紅葉の顔を伺うように見上げたので、紅葉は安心させようと笑顔で答えた。


 「私はここで待っています」


 セラスは扉の向こう側で言い、扉を閉めた。


 「ここからはこのダリアが、クレハ様を立派な巫女様に仕上げて見せるぞ!」


 そう言うが早いか、赤紫の髪をなびかせて部屋を縦横無尽に飛び回り衣装をかき集めた。


 「さ、クレハ様!」


 ニコニコと笑ってダリアが紅葉の着ている服に手をかけた。紅葉は戸惑い少し抵抗したが、ダリアの強引さに仕方なくTシャツを脱ぎ捨てた。




 小部屋の前で神妙な面持ちで待っているセラスの前に現れた時には、すっかり紅葉はこの世界の巫女の姿に変貌した後だった。裾に色とりどりの花が刺繍された真っ白の衣に身を包み、ボサボサだったセミロングの黒髪は器用に編み込まれ、その頭上には花を模した黄金の冠が乗っていた。


 セラスはぽかんと口を開き、なんとも間抜けな顔で紅葉を見つめていた。


 「ど、どうかな……? やっぱ変かな……?」


 「あ、いや、あまりにも美しくなられていたので、驚いてしまいました……」


 紅葉の問いかけに顔を赤らめ慌てて釈明するセラスに、こちらまで恥ずかしくなってしまい俯いた。


 「あれ~? あれあれあれ~? ダリアはお邪魔だったか~?」


 紅葉の背後から現れた少女の顔には意地悪な笑みが浮かんでいた。


 「ダリア! も、もう戻りなさいっ!」


 セラスはそう叫ぶと、ダリアは「へいへい」と言い一つ足を鳴らしたかと思えば天井に飛び上がり消えて行った。


 「に、荷物はこの部屋に隠しておいて下さい。この塔には私以外入る事は滅多にありませんから」


 コホン、と一つ咳払いをし、セラスは手を差し出した。紅葉は素直にその手に自分の手を重ね、セラスの先導でその塔から足を踏み出したのだった。

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