第6話 ちょっと待った!
「それで、どうして、また来たのよ」
お見合いパーティに参加したら、メリアンさんに帰れと手を振られた。だって、私まだ、契約精霊いないし。
「お見合いは1年後まで予約してたから」
「だからって、来られても困るわよ」
メリアンさん、冷たい。後ろではジャック君の耳が垂れ下がり、尻尾も下を向いている。
参加者を見渡すと、目が合ったカエルの精霊が、おびえたような顔をして、席を立って部屋から出て行った。
柱の陰では、ヒトサイズのムカデが、隠れてこっちを見ている。
ひいっ! 鳥肌たった。
なんか、今日はヒトとの共通点はサイズのみの両生類とか虫型精霊が多くない? ちょっと、見た目が怖いよ。
参加精霊レベル下がってる?
「今日は聖力が低い聖女ばかりだから、こんなものよ。カナデちゃんは虫が苦手でしょ。精霊に失礼だから、もう、帰って」
ごめんなさい。精霊差別はダメだけど、巨大虫は無理です。
メリアンさんに相談したかったけど、あきらめてとぼとぼ帰る。
「ちょっと待った!」
大声で呼び止められて、振り向くと、目の前に大輪の赤い薔薇の花束があった。差し出しているのは、タキシードにシルクハット姿のイケメンだ。日焼けした肌に、男らしい精悍な容貌のかなりかっこいい男性。ただし、タキシードもシルクハットも全身ヒョウ柄なのが、本当に残念。
「おれを、お前のペットにしてくれ!」
……言ってること、さらに、残念。
「不敬だぞ。ロイタージュ」
子供精霊のジャック君が、いつもとは違う低い声で、ヒョウ柄精霊に魔力で圧力をかけた。がくりと精霊は両膝をついた。
「なんでだよっ。人間はパートナー以外にペットを飼ってるっていうじゃないか。ペットへ向ける愛情は別だって」
この前は、あんなに高慢だった精霊が、土下座せんとばかりに両手をつく。
「おれは、ペットでもいいから、お前になんでもやるから、おれに聖力くれよ!おれには聖力が必要なんだよ!」
ヒョウ柄のシルクハットを取った頭には、オレンジ色の耳。そして、長いオレンジ色のしっぽが後ろで揺れている。
必死に叫ぶ姿に、既視感を覚えて、思わず一歩近づいた。
あの子はなんて名前だった?
いつも、長いしっぽを巻き付けて甘えてくる。
いつも、頭をなでてあげると、膝の上ですぐに眠った。
いつも、大声で鳴いてご飯をねだっていた。
ちょうど、こんな風に。
あんなにかわいがっていたのに、どうして、名前も思い出せないの?
元の世界のことが思い出せない。
異世界召喚時の副作用だって言われた。
今まで、この世界に適応するのに必死で、考えないようにしていたけれど。……大切なものを失ってしまってる。
それに気が付いて、泣きたくなった。
その時、金色の炎が吹いた。
一瞬で、遠巻きで見ていた下級精霊が消滅した。
聖女たちは気を失い、メリアンさんはジャック君に抱きかかえられている。金色の炎の中心で、黄金に輝く精霊が静かに立っていた。
うずくまっているヒョウ柄精霊のタキシードは、ところどころ燃えて、破れていた。ぼろぼろになった精霊には、もう、近づこうとは思わなかった。
目の前の金色の存在にすべてを奪われていたから。
何かをつかみかけたのに、すぐに消え去って、ただ、圧倒的な黄金の精霊の存在に心を持っていかれた。
「そろそろ、返事をもらってもいいかな?」
ささやくように優しい声で語りかける精霊に、すぐにうなずきたくなるのを必死で止めて、声を絞り出す。
「それって、拒否できるの?」
なんで、こんな言い方をしてしまうんだろう。せっかく私を望んでくれたのに。それでも、この精霊がもっと、普通の平凡な精霊だったらよかったのに。そうしたら、私は迷わずその手を取れた。
あまりにも自分とかけ離れた存在は、重荷でしかないから。
「大丈夫。カナデが断るなら、もう、二度と現れないよ」
甘くて優しい声で、このひ弱な人間に、哀願するように手を差し伸べる精霊。美しくて、高貴で、尊大で、でも、どこか寂し気で。
「記憶も消してあげよう。カナデも、ここにいる人間も、精霊も、関わったすべての者から、僕の記憶を」
何でもないことのように告げる、そのきれいな言葉を理解したとたんに、涙があふれてきた。
いやだ。
忘れるなんて。
出会ったことをなくしてしまうなんて。
なかったことになるなんて。
今まで、必死で、考えないようにしてきたことが頭に浮かんだ。
少し帰りが遅くなるだけで、メールを送ってくる心配性の母さんのことを。
母さんは、大丈夫?
私が、いなくなって、死体もみつからなかったら。
母さんは、ずっと、私を探してる?
父さんの時みたいに。
ごめんなさい。ごめんなさい。
どうして、私は、あんなに愛してくれた母さんのことを、
この半年間、一度も、恋しがらなかったの?
私は、そんなに薄情な娘だった?
一人で異世界で生きていくのはつらい。
でも、一人娘をなくした母さんはどんなにつらいだろう。
もしかして、車で送っていかなかったことを後悔してる?
バスに乗ったのは母さんのせいじゃないよ。だって、毎日、バスに乗って学校に行ってたでしょ。
事故の数日前のけんかを後悔してる?
私は、すっかり忘れてたよ。
母さん、ごめんなさい。
私は母さんの声がどんなだったか、もう思い出せない。
名前も、もう、忘れちゃった。
おかしいぐらいに急速に消されていく記憶。
もうすぐ、母さんの顔も思い出せなくなる。
いやだよ。忘れたくない。何も忘れたくない。私のモノ。私の経験を。出会ったばかりの精霊のことも、この感情も忘れたくない。精霊を見た時に感じる胸が苦しくなる気持ちも。精霊と一緒にいる時に感じるふわふわした気持ちも。
「私を独りにしない?」
泣きながら、精霊にすがりついて、願っていた。
「一生そばにいてくれる? 私を独りにしない?」
罠にかかった獲物を見るように、精霊は満足そうに微笑った。
「生涯離さないよ。カナデだけだと誓うよ」
その誓いはとても軽く聞こえたけれども。
そして、私たちはその場で契約式を挙げた。
メリアンさんが用意してくれた、銀色のシンプルな指輪を交換して。畏れ多いと恐縮したジャック君を立会人にして。
誓約書にサインする時、頭の中でなぜかウエディング・ソングが流れた。
母さん。私、異世界で精霊に出会ったよ。背が高くて、お金持ち。びっくりするぐらい美形だよ。顔のいい男には注意しろって、いつも言われてたけど、分かってる。この精霊はきっと悪いやつ。でもね、なんとか、がんばってうまくやっていくよ。だから、泣かないで。私はこの世界で強く生きていくから。私は強い。がんばれる。母さんが、そう育ててくれたから。
しんみりサインし終わると、金色の精霊は私の手を取り、薬指にはめられた指輪に口づけをして、爆弾発言をした。
「僕の名前はシャルトリュー・スノーシュ・キムロック・リヴァンデール。シャルってよんで」
ちょっと待った!
リヴァンデールってこの世界の名前じゃない!
…………この契約、やっぱりなかったことにできませんか?
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