第4章 闇色の花

第14話 吉原の足音

 奉行所の与力が桃谷屋を訪れた数日後、店に見かけない顔がやって来た。

 彼は見た目には落ち着きがあり、着物もきちんと着ていて品がある。しかし、長年呉服屋に立ち続けてきた番頭から見れば、ただの客ではないとわかった。

 番頭の視線に気付いた男は、わずかに目元を緩ませる。


「ごめん下さいよ」

「いらっしゃいませ。……おや、お初にお目にかかりますかな?」

「流石、番頭さんですね。お察しの通り、客じゃございませんで」


 狐のように目の細い男は音もなく番頭に近付くと、そっと彼の耳もとに囁いた。


「この店の旦那と話がしたい。吉原花籠屋はなかごや長吉ちょうきちだと申し上げては頂けませんかね?」

「……承知致しました。こちらでお待ち頂けますかな?」

「ええ、頼みます」


 客と店の者が布地選びのために使う部屋の端に腰を下ろし、長吉はそこで桃谷屋の主人を待った。するとすぐに、番頭に呼ばれた主が顔を見せる。


「これはこれは。ようこそお出で下さいましたな」

「こんにちは、桃谷屋さん。お話を伺いたく、参らせて頂きました」


 何に為に、とはここで口にはしない。一般の客もいる手前、裏の話はし辛いものだ。そのため、桃谷屋は長吉を奥の座敷へと誘った。そこは、普段商談くらいにしか使わない小部屋だ。

 部屋に入った長吉は、早速自己紹介をした。


「お初にお目にかかります。私、吉原花籠屋で下男をしております、長吉と申します。この度は、鴉羽からすばの先触れとして尋ね参った次第で」

「鴉羽の。是非、宜しくお願い致します」


 桃谷屋が頭を下げると、長吉は「頭を上げて下され」と促す。そして、この店の依頼内容について確認を始めた。妖怪との繋がりについて、具体的な被害について。話は多岐に渡る。


 それからしばし後、政太とももが座敷に呼ばれた。二人が座敷に顔を出すと、見慣れない男が茶を喫している。

 男は二人に気付くと、にっこりと人好きのする笑みを見せた。


「初めまして。桃谷屋次代の政太様と奉公人のもも様とお見受けします。私は、吉原の花籠屋に勤めます、下男の長吉と申します」

「ご丁寧にありがとう存じます。お察し頂いた通り、私は政太、この娘はももと申します」

「ももでございます。長吉様、よろしくお願い致します」

「ご丁寧に。お二人共、よいお人柄ですな」

「ええ。私には勿体ない息子と奉公人ですよ」


 長吉に褒められ、桃谷屋はにこやかに応じた。それから軽く世間話などを挟み、長吉が「さて」と本題に入る。


「桃谷屋さんには既にお話ししましたが、お二人にも私がここを訪れた理由をお伝えしておきましょう」


 長吉は政太とももを代わる代わる見て、それからもう一度口を開いた。


「これは公ではありませんが、私たち花籠屋は、裏の世と渡り合う鴉羽の拠点となっています。基本的に遊女は客を取らず、遊女とは名ばかりで、相手をするのは主に裏の世から表の世の者と繋がってしまった妖怪……アヤカシとも呼ばれるものどもです」

「裏の世のものと、表の世の者とが繋がるのですか?」

「ええ、もも様。極稀にですがね。裏の世のものたちは、表の世と繋がるために手ぐすねを引いて待っていますから。表と繋がることで、奴らはより強く己を変化させることが出来るのです」


 その良い例が今回だ、と長吉は言う。


「桃谷屋と縁を持つアヤカシは、私たち鴉羽も知らないものでした。いつから巣食っていたのかわかりませんが、巧妙に姿を隠していたのでしょう。……これ以上、犠牲を増やすわけにはまいりません」


 きりっとした表情を浮かべ、長吉は居住まいを正した。


「明日の夜より、鴉羽の花魁を一人派遣します。彼女の力は折り紙付きですので、ご安心下さい」

「長吉様、私たちが何かご協力出来ることはございますか?」


 政太の問いに対し、長吉はふむと少し考える仕草を見せた。そして「では」と微笑む。


「政太さん、あなたは誰に何を言われても、決して己を曲げないで下さい。アヤカシは人の弱みにつけ込み、己の力を強めるために繋がろうとしてきますからね」

「わかりました」

「大切なことです」

 神妙に頷く政太に、長吉は満足げに頷く。そして、ふと政太の隣に正座するももに視線を移した。

「……そして、ももさん」

「はい」


 ぴっと姿勢を良くしたももに、長吉は思わぬことを言った。


「貴女には、花魁の仕事を傍で見ていて頂きます」

「えっ?」

「待って下さい。ももさんをアヤカシと対峙させると言うのですか!?」


 本人以上に、政太が声を険しくした。

 政太の強い視線を受けつつも、長吉の穏やかな声色は変わらない。


「勿論、花魁がももさんを危険に晒すことは絶対にありません。彼女には、それだけの覚悟と実力がありますから。それだけは約束する、と花魁からの言葉です」

「……。ももさん、どうする?」

「わたしは……」


 政太に問われ、ももは真っ直ぐに長吉を見据えた。彼女の気持ちは、この店に奉公し始めてから変わらない。


「行きます。政太さんが大切に思うお店を、わたしも守りたいです」

「ももさん。無理だけは、しないで下さいね」

「わかっています、政太さん」


 ももは政太が決して彼自身の感情を押し付けないことに安堵と感謝を感じながら、真摯に頷く。


「共に桃谷屋を盛り上げていきたい。その気持ちは、変わりませんから」

「ありがとう、ももさん。私も、私に出来ることを精一杯やるよ」

「はい」

「――それでは、宜しくお願い致します」


 ももと政太の様子を見て、長吉は店から姿を消した。彼がいなくなり、桃谷屋の主人も仕事に戻ってしまう。残されたももと政太は顔を見合わせ、それぞれの役目を全うするために座敷を後にした。

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