第13話 鴉羽
政太とももが約束を交わしてから数日後、ももは桃谷屋の主人に呼ばれた。主人の部屋に入ってみると、そこには桃谷屋の主人夫婦と政太、そして番頭が揃っているではないか。更に、見慣れない男が同席していた。
何処に座るべきかと思案していたももに気付いた政太が、彼女を手招く。
「ももさん、隣へ」
「あ、はいっ」
政太の隣に腰を下ろしたももは、そっと彼を見上げた。想いを告げられて以来、政太の顔を見る度に胸の奥が苦しい。以前もそうだったが、今はより強く政太を想うようになった自覚がある。
ぼんやりと政太に見惚れそうになったももは、今はその時ではないと身を引き締め直した。
「さあ、全員揃いましたな。与力の旦那、お願い致します」
「うむ」
与力の旦那と呼ばれた壮年の男は、桃谷屋の主人に促されて居住まいを正した。そして、ドスのきいた低い声で話し出す。
「ここに集まって頂いたのは、この桃谷屋裏事情に明るい者ばかりだと旦那からは聞いております。ですから、詳しいことは抜きにして、大切なことだけお伝えしておきますぜ」
与力は一呼吸置くと、ざっと目の前にいる桃谷屋に縁ある者たちの顔を見回す。声を落とし、廊下などに聞こえてもいけない。
「吉原の
「承知致しました」
桃谷屋の返事を聞き、与力は頷く。
「頼んだぞ。……それで、お前がももという者が?」
「え? あ、はい。ももでございます」
突然自分に話を振られ、ももはおっかなびっくりしながらも首肯する。
ももをじっと見詰めていた与力は「そうか、お主が……」と呟いてから後頭部を掻く。
「いや、新たな奉公人が増えたと聞いたでな。初めての奉公、慣れぬだろうが懸命にやるんだぞ」
「はい」
真面目な顔で返答するももを穏やかな目で見て、与力はそのまま店を去った。緊迫した空気が少しだけ緩み、番頭は店へ戻っていく。
そうしてようやく、桃谷屋は息をついた。
「ふぅ」
「お疲れ様でございました、旦那様」
「いやはや。与力殿は、こういう場で迫力をお持ちだ。しかし、これで一安心といったところかな」
奥方に微笑みかけ、桃谷屋は政太とももに目をやる。二人も緊張の面持ちで彼を見返した。
「政太、もも。そういうわけだから、しばらくは慌ただしいと思う。宜しく頼むよ」
「はい、父上」
「承知致しました」
「……ふふ。頼んだよ、次代」
「――っ」
「ち、父上……」
赤面する息子と未来の嫁を前にして、当代夫婦は目元を和ませて微笑んでいた。
その夜、江戸で最も夜の長い華やかな場所。そのとある店の一室で、きらびやかな衣装に見を包んだ女が月を眺めていた。
その女のもとに、闇からやって来た者が平伏する。
「
「来たか。して、如何であったか?」
「名はもも。主殿のおっしゃった通りの娘、と見受けましてございます」
「なるほどの」
ぱちん、と手にしていた扇を畳む。女の唇には、血もかくやという鮮烈な赤い紅が塗られていた。
その唇がニイッと三日月に広げられ、女は同じく真っ赤な爪の人差し指を男へ向ける。
「そのおなご、ももから目を離すな! その潜在能力を測り、わちきに知らせよ」
「承知つかまつりてございます」
「よし、行け」
女の命を帯び、男は再び闇へと姿を消した。
誰もいなくなった部屋の中、女の瞳と唇だけが爛々と光り輝いている。月夜の光だけでは、おそらくこの輝きは成り立たない。
髪に刺した幾つもの
途端、この世のモノとは思えないような声が響く。
――ぎいぃぃぃぃっ
「失せよ、裏の世へ」
女が命じるのと同時に、闇の中のそれは気配を消した。かたん、と小さな音がして、先程投げたものが床に転がっている。緩慢な動作で立ち上がった女がそれを拾おうとした時、前方から小さな手が伸びてきた。
「
「ありがとう、
「いいえ。いつも通り、残滓もなく」
「それはよかった」
寧々と呼ばれた
「寧々、鴉羽に新たな仕事が舞い込んだよ」
「まあ。花魁も出張るのですか?」
「まずは、彼らに任せておこうとは思うけどねぇ」
「わちきの出来ることがあれば、いつでもご命じくださいまし」
「お前までかり出すような妖怪は、余程のことが無い限りは出ないだろうさ」
切れ長の目を細め、鴉鳳花魁は月を見上げた。
ここは、吉原。
そして――裏の世と通じた唯一の場。華やかな花魁たちの中で、選ばれた者たちだけがその知恵と技で妖怪たちと渡り合う。
その限られた花魁たちの頂点が、この鴉鳳花魁なのである。
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