第12話 隣で

 桃谷屋の主人から初代から続く裏の世との因縁を聞いた後、ももが目覚めたのは同日昼前だった。桃谷屋から話を聞いたのか、お勢を始めとした奉公人たちは誰もももを起こしはしない。

 それでも日の光に目を覚まさせられたももは、ゆっくりと起き出して身支度を整えた。今日は休みを貰ったが、昼から政太に話があると言われている。


(政太さんのお話って何だろう……?)


 一抹の不安と淡い期待が入り交じる。ももは深く息を吸い込んで吐き出すと、雑念を取り払った。


「聞いてみないとわからないよねっ」


 昨夜とて、信じられないような事実を聞かされたばかりなのだ。頭が混乱しているのだから、深く考えても良いことはない。ももはそう結論付け、朝餉兼昼餉を摂るために台所へと歩いて行った。


 昼餉として握り飯を二つ貰い、空腹を満たす。その頃には午の刻を過ぎ、ももは緊張しつつ政太を訪ねた。


「政太さん?」

「入って、ももさん」

「失礼します……」


 開いていた襖の端から顔を出し、ももは手招かれるままに政太の前に腰を下ろした。目の前に政太が立てたらしい抹茶が置かれている。

 政太は茶道をたしなみ、その実力は師匠をも唸らせるとか。

 ももは「ありがとうございます」と抹茶を頂き、結構なお手前でしたと微笑んでみせた。


「お茶菓子が丁度なくて、抹茶だけで申し訳ない」

「お構いなく。先程昼餉を頂いて来たところなので、心配要りませんよ」

「そう言って貰えると有り難い」


 政太は微笑むと、ふと目を伏せて何かを考える素振りをした。しかしすぐに顔をあげると、ももに向かって「ももさん」と真剣な顔で言う。


「は、はいっ」

「そんなに緊張されると、こっちも緊張してしまうな……。いや、これは言い訳か」

「政太さん?」


 眉を寄せたももに、政太は咳払いをしてから話し始めた。


「ももさんは、父の話を聞いてどう思った? 私は幼い頃から聞かされていて、実際にそういう場面に出会ったこともあるから受け入れているのだけど、あんな風に聞いて、ここにいることが不安になったらそう言って欲しい」

「そんなこと……ないと言えば、嘘になってしまうかもしれません。でも」

「でも?」


 目を瞬かせた政太に、ももは身を乗り出して目元を緩ませる。


「恐ろしさ以上に、ここを守りたいって気持ちの方が強いです。わたしは鴉羽のように妖怪を倒す力はありませんが、出来ることを探したいと思っています。それに……」

「?」

「……折角政太さんからたくさんのことを学んでいるのに、妖怪などのために出来なくなるのは、つまらないですから」

「そっか。……なんだか、ほっとしたよ」

「ほっと、ですか?」

「私は自分が思っていた以上に、ももさんに『ここにはいられない』と言われることが怖かったようだ」

「……それって、どういう」


 不意に、ももの胸の奥がドクドクと大きな音をたて始めた。顔が火照り、心に淡い期待が湧き上がる。もしかしたら、という思いが浮上していた。

 ももは真っ直ぐに見詰めてしまった政太から目を逸らそうとして、それが出来なくなっていることに気付く。まるで魅入られたかのように、ももの瞳には政太の真剣な表情が映っていた。


「ももさん」

「は、はい」


 声が裏返りそうになるのを必死に抑え、ももは返事をした。

 そんなももを柔らかい目で見ていた政太が、小さく行きを吸い込む。そして、一言一言を噛み締めるように紡いだ。


「あの嵐の夜、無邪気に文字を追う貴女に目を奪われました。それからここへ来てからも、毎日明るく振る舞い、私の勉強にも付き合ってくれ、貴女と過ごす時が癒しになっています。どうか私の伴侶として、傍にいてくれませんか……?」

「――っ!?」


 思いがけない、それでいてもしかしたらと期待していた言葉だった。

 ももが顔を真っ赤にして硬直してしまったことで、政太は慌てる。父親があんな荒唐無稽な話をした後でもあり、断られることを前提に勇気を振り絞ったのだ。だから、固まられるという反応は想定外。


「あ、の。申し訳ない。突然こんなことを言ってしまって。へ、返事をすぐに欲しいとかそういうことではない、ので、安心してもらって良いよ。その……昨日、というか、今朝から今で考えることも多いだろう、し」


 嫌われたくない。言い出した手前言葉を戻すことは出来ないが、政太はももを困らせたいわけでもない。胸の奥は焼き切れそうに痛いが、手元を狂わせないように茶道具を片付けていく。それが終われば、この場を去る心づもりで。

 最後の茶器を手にした政太は、それを箱に仕舞おうとした。その時、細くて小さなももの手が政太の手を掴んで止める。


「嫌とか、そういうんじゃないんです」

「それは、どういう……?」


 急かしてはいけない。わかっていても、政太は訊かずにはいられなかった。

 ももは政太の真っ直ぐな瞳を受け止め、唇を薄く開く。何度か言葉を呑み込んだ後、ようやくその言葉を口にした。どくんどくんと胸の奥が五月蠅い。


「……わたしも、政太さんをお慕いしています。あの嵐の日に一目見た時からずっと。政太さんの傍に居られるから、共に学ぶ機会を頂いて、密かに舞い上がっていたんですよ。だから……わたしの方こそ、末永く宜しくお願い致します。——わっ」

「ありがとう、ももさん」

「せ、政太さん」


 抱きすくめられ、ももは赤面して政太に離すよう訴えようとした。しかし政太は感極まったのか、ももを抱き締めて離さない。

 胸の奥の鼓動が勢いを増し、ももは苦しくも幸福感に包まれていた。おずおずと政太の背中に腕を回し、最愛の人をより近くに感じる。

 その時、ももは彼女の生涯で一、二を争う幸福のただ中にいた。

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