第5話 新たな暮らし
「ここが、江戸……」
かの有名な日本橋の上に立ち、ももはポカンと口を開けていた。そこから見えるのは、並び立つ家々と人々の波、そして大きな川を行く大小の船。先程人にぶつかり転びそうになったため、ももは橋の欄干近くに身を寄せてキョロキョロと見回している。
道には様々な店があり、一目でわかるものもあれば入って見なければわからないものもある。今ほろ酔い気分の男が数人連れだって出て来たのは、酒屋だろうか。
(桃谷屋、探さなくちゃ)
最低限の持ち物だけを風呂敷に入れ、ももは村を発った。あまり多くのものを持って行くのも気が引けて、大切にしていた本を数冊とおにぎりを二つ。おにぎりは母が持たせてくれたものだ。
そして今、ももは奉公先となる桃谷屋を探している。
誰かに訊けば教えてくれるだろうと思っていた。桃谷屋は江戸でも富豪として知られた
(だから誰かに訊けば良いって思ってたけど……こんなにみんな忙しそうに歩いていたら、声を掛けたくてもかけられないよ!)
故郷の人々とは全く違う速度で歩く江戸の人々に圧倒され、ももは頭を抱えていた。しかも、もうすぐ夕暮れとなる。暗くなってからの女の一人歩きは危ない、と父に言い含められていた。
(どうしよう……)
宿を探そうにも、土地勘は全くない。
右往左往していたももの近くには、彼女を江戸の者ではないと見抜いて声を掛けようとする輩がいた。彼らはこの辺りを縄張りと称する悪で、見目の良いももを良くないことに誘おうという腹積もりだ。
しかし、彼らの目論見は外れた。
「ももさん」
「え? ……あ、政太さん!」
「こちらに来られるのは今日でしたよね。とっくに店に着いているとばかり」
「実は、道に迷ってしまって。政太さんは?」
「私はお客様のところに行った帰りだよ。ここで会えてよかった」
さあ、と政太はももに向かって手を差し伸べる。硬直してしまうももに、政太は微笑みながら「困らせてしまったね」と手を下ろした。
そして、背を向けて振り返る。
「私について来て。日本橋からそれ程離れてはいないけれど、人通りは夕方でも多いからはぐれないように」
「はい、お願いします」
ぺこりと頭を下げたももは、政太の後を見失わないようにと懸命に歩き出す。
(あのまま、手を取ったらよかったかも)
政太の隣に並んで歩きながら、ちらりとももの頭にそんな考えが浮かんだ。しかし政太の顔を盗み見て顔を赤くし、その考えを胸の奥に仕舞い込む。
これから、自分は彼の店で働くのだ。うつつを抜かしてはいけない、とももは気を引き締める。
ももがそんなことを思っているとはいざ知らず、政太は彼女の歩幅に合わせて歩きながら口を開いた。
「ここまで遠かっただろう、ももさん。疲れたんじゃないかい?」
「いえ……あ、はい。少しだけ」
「ふふ、私には正直に言ってくれて良いよ。これから、ももさんには初めて経験することばかりだろうから」
「そんな。望んだのはわたしですし、政太さんにご迷惑をかけてしまいます」
大慌てで手を振るももに、政太は苦笑をにじませた。
「私が、そうして欲しいんだ。勿論、無理強いはしないけれど。……いつでも、辛くなくても私のところに来てくれたら嬉しいな。物語の話をしよう」
「嬉しいです。ありがとうございます」
「私も楽しみにしているよ」
これから始まる新たな暮らしに、ももが不安を感じていなかったと言えば嘘になる。それでも不安を押し殺してただ前だけを見ていようと思っていた彼女にとって、政太の存在と言葉は強い安心感をもたらすものだった。
本当に嬉しそうに笑うももを見て、政太も表情を和らげる。しかしすぐにその表情を改めた。
「着いたよ。ここが、桃谷屋だ」
「ここ、が……」
政太に案内されたのは、大店の一つ。日本橋からそれ程遠くはなかったが、初見で辿り着くのは難しいだろう。
丁度客を見送りに出て来た桃谷屋(政太の父)が、二人を見付けて目を丸くする。父に向かって、政太は「ただいま帰りました」と頭を下げた。
「政太、お帰り。ももさん、お待ちしていましたよ。道に迷われましたかな?」
「そうなんです。遅くなってしまい、申し訳ありません」
深々と頭を下げるももに、桃谷屋は穏やかに微笑んで彼女の頭を上げさせた。
「村と江戸は違いましょうから、道に迷って当然。私たちもあの時、思い切り道に迷っておりましたからね。むしろ、迎えをやらなかったことが申し訳ない」
「いえいえ! 政太さんに助けて頂きましたから、もう大丈夫です」
「ふふ。政太、お手柄でしたな」
「見付けられてよかった。……父上、ももさんを中へ入れて差し上げても?」
「おお、気付かず申し訳ない。ももさん、どうぞ中へ」
「し、失礼します!」
緊張の面持ちで、ももは桃谷屋に
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