第40話 魔法を持たない魔女

 ベルツ侯爵は、この後どう画策するかを考えていた。

 はなからルードヴィヒの話など信じてはいなかった。本物のアレクシエラが死に、都合よく同じ名前の養女を取るなど、話が出来過ぎている。

 あれこそが、アレクシエラに違いない。


 王命を受けたのだ。このままただでは帰れない。

 とは言え、一国の王に「保護下」にあると宣言され、他国の伯爵家に擁護されている者を連れ去れば、国家間の問題になるだろう。

 連れ帰れないのであれば、それなりの言い訳も必要だ。次の策も…


 思案しながらゆっくりと廊下を歩いていると

「お久しぶりね、ベルツ伯爵」

 すれ違いざまに声をかけてきたのは、エレオノーラ・ガルトナーだった。

 エレオノーラを見てベルツは一瞬ひるんだが、すぐに作り笑顔を見せた。

「これはこれは、エレオノーラ殿。久しぶりですな。今は侯爵ですよ」

「あら、そうでしたのね。社交界を離れてずいぶん経つものですから」

 ヴァルドシュタットのエレオノーラ・ガルトナーと言えば、かつては誰もが恐れる地獄耳の情報通だったが、引退してずいぶん時間が経ち、自分が侯爵になったことも知らないらしい。もはや脅威ではなくなったのだ、とベルツは嗤笑した。


 エレオノーラは扇で口元を隠しながら、ベルツのそばによると、

「ずいぶんと出世なさいましたわね、一角獣の角を手に入れて」

 そう言うと、にっこりと微笑んで見せた。一見、乙女のような無邪気な笑みに見えたが、口から出た言葉は刃物のようにベルツ胸に鋭く突き刺さった。

「な、何を…言いたいのだ」

「一角獣の角が欲しいばかりに、一角獣のなついた乙女を手にかけたその代償はさぞ大きかったことでしょう?」

 それは謎かけのような言葉ながら、ベルツにはすぐに意味がわかった。

 わかったが故に、何故それをエレオノーラが知っているのか。気付かぬうちに手が震えていた。


 一角獣、アインホルン家を衰退させるために、その土地に繁栄を約束した「ヴァルドマンの魔女」レベッカを屋敷に閉じ込め、世話をする者達に貴族的ではないヴァルドマンのしきたりを否定させた。美しく、清潔に、汚れないよう、土に触れるなどもってのほか。

 たったそれだけのことで、「ヴァルドマンの魔女」は簡単に死んだ。

 王の上の弟は嘆き悲しみ、下の弟は大いに喜び、ベルツに将来の好待遇を約束した。


 「ヴァルドマンの魔女」が公爵に嫁ぎ、公爵領で祈るようになると、公爵領の農地はそれまでの二割増しの収穫を得るようになった。それがやっかみの始まりだった。

 だが、魔女が死んで初めてその祈りが公爵領だけに留まっていたのではないことがわかった。

 国中の大地の恵みが、少しづつ削がれていった。

 魔女の死から六年後、寒い夏がウィンダルを襲った。救う魔女はいなかった。

 ウィンダルではそれまで「ヴァルドマンの魔女」に守られ、干ばつの時も冷害の時も何とか凌ぐことができていた。それが魔女を失ったことで民は飢え、多くの死者を出し、地力を取り戻せないまま二年が経ち、失意のうちに前王は亡くなった。


 今の王が王位に就くと、自分の他にもよりよい領と爵位を与えられた者が何人かいた。

 おそらくアインホルンの死もまた一族の自滅ではなく、企まれたものであっただろうが、誰もそれを問う者はいなかった。あるいは前王の死もわかったものではない。


 前王が隣国の森に隠した姪、魔女の娘が「森の魔女」だと共に暮らしていた者が語り、それがヴァルドマン家に戻ってくるという話を聞き、現王に進言した。地力を取り戻すには、かの魔女の力を利用すればいい、と。

 現王は渋々ではあったが、「ヴァルドマンの魔女」を元アインホルン公爵領に送り、その力を振るわせることに決めた。

 人はいいが凡庸で野心を持たぬ第三王子を監視役とし、命ある間その地で祈らせる。

 大地に実りを与え、国に繁栄をもたらす。そのための「ヴァルドマンの魔女」だ。森に捨てられた者が家を復興し、大きな屋敷に住み、きれいな服を着、働かずともたらふく食って生活できるのだ。文句はないだろう。

 だが。


「まさか、ウィンダルの大地の魔女を王とその家臣が殺したなんてことがわかったら、恨み程度では済まされないでしょうねぇ」

「何の証拠があって」

「証拠? …噂に証拠なんて、必要かしら」


 今さらながらに、気がついた。

 エレオノーラ・ガルトナー。

 魔女かもしれない者を保護する者と同じ、「ガルトナー」だ。


「ああ、そうそう。うちの国の森の中でそちらの国の方々がお暮らしだったのはご存知? 二年前に皆さん急にいなくなった中、一人だけとり残された者がいたけれど、お国を恨みながら死んでいったそうよ。かわいそうに」


 その言葉は真実なのかどうかはわからない。

 だが、これで済ませろ、と言っているのだろう。

 もし、「ヴァルドマンの魔女」レベッカを死に追いやったのが自分だと広まれば、直接手を下したのではないとはいえ、ウィンダルで生きていくことは難しくなる。魔女の死は十三年も前のこととはいえ、以前のような豊かな実りが戻らないことに不満を持っている民も貴族も多い。

 王は「アインホルン」を毛嫌いし、「ヴァルドマンの魔女」にも半信半疑だ。その言い訳でも、深追いしないかもしれない。


「お前はどこまで…」

 エレオノーラは、レベッカのことしか話していない。その娘、アレクシエラのことは何も。生き残ったことも、「森の魔女」ということも。

 ガルトナーが囲った者が森の住人だったかどうかもわからないが、下手なことを話せば、相手に情報を与えるだけだ。知られる必要のない情報を。

「『ヴァルドシュタットの魔女』は健在か」

 魔法を持たないにもかかわらず、長年魔女と呼ばれ続けてきた女は、

「あら、ずいぶんと懐かしい名前ね」

とだけ言って笑みを崩すことなく、かつてと変わらぬ隙を見せない姿でゆっくりとその場を後にした。

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