第41話 不安

 王城の農園での仕事が延長になり、アーレには作業用の服が支給されることになった。

 萌葱色の特に飾りもないワンピースと生成りのエプロンはシンプルだが、さすが王家の使用人に貸与されるだけあり、上等な生地でできていた。農園は基本的に自由な服でよかったが、他の女性達にも評判になり、制服のように皆が好んで着るようになった。

 家でもこんな風に作業の時と普段着る服を分けることができたなら、洗濯は大変ながら、衛生的で今より身なりを気遣うことができるかもしれない。

 この三ヶ月で金貨三枚という大金を手にしながら、まだほとんど使っていなかったアーレは、アルトゥールの隣にいても恥ずかしくない人になれるよう、その準備のために使おうと決意した。

 しかし決意もむなしく、うっかりその意気込みをアルトゥールに語ってしまったばっかりに、

「それくらいのものは用意する」

と、自腹案は一蹴されてしまい、どんなに説得しても許してはくれなかった。

 出来上がったものはさりげなく聞き取られたアーレの意向を反映していて、長すぎず短すぎない丈、めくりあげ、留めることもできる袖、エプロンには大小さまざまなポケットがつき、お揃いの布で作ったスカートの下に履けるズボンもあった。日をよける帽子も作られ、畑での作業はより快適なものになった。


 第二王子とコンスタンツェの婚姻が成立したことを受け、王子は公爵となり、王城を離れた。

 これを機に王城の衛士は近々異動があるらしく、アルトゥールは毎日忙しそうにしていた。

 夕食だけでなく、朝食も一緒に取れないことがあった。王城で勤めるというのはそういうものなのだとアーレは今から心づもりをしておくことにした。


 アーレが農園に行く日は、家の馬車を使って相乗りした。

 柔らかな座席のある箱型の馬車の中に収まり、向かい合わせになるのはエッフェンベルガー子爵邸に行って以来だったが、あの時と同じく何となく落ち着かなくて、窓の外を見ながら短い行程をどう過ごそうか、少しそわそわしていると、アルトゥールは急に席を移動して隣に座った。背もたれに肘を突いてアーレとは反対の窓の方を見ていて、それなのにもう片方の手がそっと自分の手の上に添えられた。

 このところ何か言いたげにするのに、うまく話ができていない。

 女性が結婚前に精神的に不安になる「マリッジブルー」なるものがある、と聞いたことがあったが、自分の方がけろっとしていて、アルトゥールの方が心配事を抱えているのは自分の至らなさがもたらしているのかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちになった。



 月例の模擬戦の日になると今回も遅番に回され、休憩時間が遅くなっていた。

 礼を言って昼食を手に演習場に向かったが、今回も既に人だかりができていて、場内には入れそうになかった。

 しかし、アーレの特等席は空いている。

 最初から正面からの見学は諦め、こっそりと裏手に回り、今回も木の上から観戦することにした。

「次、ガルトナーとアルホフ」

 まだサンドイッチを二口しか食べていないうちにアルトゥールの番が来た。

 前回の対戦相手の方が強そうに見えたのに、結構苦戦している。相手の方が調子に乗って、嫌な笑みを見せながら押してくる。目の前でクロスする剣が鼻に届きそうに迫る。

「ふんばって!」

 思わず声が出た。

 周囲の歓声が大きいのをいいことに、枝の上に立ち上がり、声を上げて応援してみた。

 押さえ込もうとする剣を何とかはじき返して、二人が離れた。荒い息を納めながら、互いに睨み、隙を図る。

 先に動いたのは、アルホフ。

 右から胴を狙い、水平に向けられた剣を受け、はじく。

 続いて上から押さえ込もうと振り下ろされる剣を受けながら低く流す。

「よっし!」

 アルホフが半歩よろけた隙を見逃さず、肩へと振り下ろされた剣が、当たる寸前で止まる。

「勝者、ガルトナー」

 少し危なっかしいながらも何とか勝てたことにほっと胸をなで下ろし、もう一度木の枝に腰を下ろして、残りのサンドイッチを頬張った。

 上からの剣を受け流してからがいつもの調子に戻ったみたいで、やっぱりアルトゥールの剣さばきはとてもきれいで素敵だな、とアーレは思い出しながらちょっぴりにやけつつも、まだ少しドキドキしていた。


 見るべきものは見たので、食べ終わったら早々に戻ろうと思っていたら、

「そんなところで見てる奴」

といきなり声がして、驚いて下を見ると、アルトゥールが立っていた。

 試合中、こっちを見た素振りはなかった。気がついていないと思っていたのに。

 アルトゥールは木に足をかけると、あっという間にアーレのいる枝と同じ高さまで登ってきた。

「木登り、できるのね」

「これくらいできなくて、衛士が勤まるか」

 確かに木登りができた方が見張るにしろ、隠れるにしろ、役に立つかもしれないが、必須とは思えない。

 アーレが座る枝に軽く足だけかけて、反対側の枝を手で握り、のぞき込むようにアーレを見ている。

「…座る?」

 隣に座れるように少し移動したが、

「折れると困るから、やめておこう」

と言って、そのままの姿勢でいる。

「昼食か?」

「今日は遅番なの」

 みんなが試合に合わせて遅番にしてくれたことはあえて言わなかった。

「前もここで見てたのか?」

「…そう。正面はいっぱいだから」

「確かに、ここならよく見えるな」

 視線の先では、次の試合の決着がつくところだった。

 朝も馬車で一緒に王城に来たのに、手の触れていたあの時間より今の方がずっと近くにいるような気がした。

 あと一口だったサンドイッチを口に詰めて、少し指をなめる。

 昔、森に他の住人がいた時にはやれば叱られる仕草だったが、一人になってからはあの時叱った人に逆らっているかのようで楽しく、わざとしてしまう悪い癖だった。


「今日、体調悪かった?」

 アーレがそう言うと、思い当たる節があったのか、

「いや、体調じゃない。集中できていなかった」

と、今日の自分を振り返っていた。

「心配事?」

 表情から、図星だった。

「もしかして、…私のこと?」

「まあ、そうだな。別におまえのせいじゃないんだが…」

 少し悩みながらも、既にばれているのであれば、余計な心配をかけるより言ってしまった方がいい。そう思い、アルトゥールは素直に答えた。

「ウィンダルの第三王子との婚姻を潰し切れていなかった。ウィンダルの王がおまえを強引に連れて行く気だったみたいだ。祖母と父が動いてくれたようで、何とか逃れたが」

 目を伏せてアーレを見ることなく、

「すまない」

と低い声で言った。

「それは、許せないわね」

 アーレの言葉に顔を上げると、そこには言葉とは裏腹に笑みがあった。

「私にはアルトゥールがいるのに、知らない人が知らないところに連れ去ろうなんて、許せないわ」

 許せない相手が違った。

 アルトゥールは少し安堵しながらも、不安で表情を固まらせていた。

「…すまない。俺の力ではおまえを守り切れないかもしれない。そう思ったら」

「許せない」

 今度の許せない相手は、自分だ。

 うなだれるしかできないアルトゥールに、

「ガルトナーの力を利用しろって言ったのは、あなたなのに。あなたがくれた力で連れ去られなくて済んだのに、落ち込んでるなんて変よ」

 与えられた言葉は、許否でありながら、かつての自分の言葉を認めるものだった。

「落ち込まない訳ないだろ。おまえを連れ去ろうとしたんだぞ」

 ゆっくりと伸ばした手がアーレの頬に触れる。

「知らない間にいなくなったら、許さないからな」

 自分にはどうしようもないのに。なんてわがままで、なんて勝手な「許さない」。

 そう思うのに、アーレは気がついたら

「ごめんなさい」

と言っていた。どうして自分が謝るのかもわからないまま。

 アルトゥールは、アーレと同じ枝に腰を下ろすと、アーレを引き寄せ、腕の中にしっかりと取り込んだ。

 愛しさと不安をぶつけ、アーレに謝らせた自分に腹が立った。それなのにその怒りが、自分を受け入れてくれるアーレに解かされていく。

 謝ろうと思ったのに、出てきた言葉は

「…許す」

だった。

 仕方のない自分を許すかのように、アーレの手が自分の背中を撫でる。

 アルトゥールは、もうしばらくこうしていたかったが、気持ちを振り切り、アーレの腕の下に頭を通すと、いとも軽々とアーレを肩の上に担ぎ、木から下りた。

 地面に足が戻ると、もう一度片手でアーレを抱きしめ、耳元で

「木に登るのを止める気はないが…スカートで高い所で立つと、下から丸見えだ。気をつけて。でないと、下を通りかかった奴が血を見ることになる」

 そう言って、離れ間際に短く唇を盗んで、振り向くことなく去って行った。

 木の上で立ち上がって応援していたのは、完全に見られていた。

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