第42話 新たな森の主

 市の前日、アルトゥールが家に戻るとアーレはいなかった。

 アルトゥールがアーレの居所を聞くと、執事から 

「本日は森の家にお泊まりになり、明日、直接市に向かわれるとのことです」

と報告があった。

 確かに出かける時は家の者に言うように、とは言ったが、長く留守にしている訳でもない時まで自分に言わず、家の者に言って済ますとは思わなかった。昨日も少し仕事が立て込み、話す機会がなかったなら仕方がないとはいえ、早く帰れた日に限っていないタイミングの悪さに、アルトゥールは不機嫌になっていた。

 夕暮れが近かったが、アルトゥールは馬を走らせ、森の家に向かった。


 相も変わらず、家にはいない。

 腕輪に仕組んだ魔法を呼び出す呪文を唱えると、細く青白い光が森の中から天に向かって伸びていた。

 周りにいくつか仕組んである護符も一緒に青白く光っていた。

 

 アーレは今日もかつての森の主のところにいた。

 今日はアルトゥールは来ないと思っていたアーレは、急に腕輪が光って少し驚きながらも、自分を探す人がたどり着くのを待っていた。そしてその姿が目に入ると、本当に来てくれたことが嬉しくて、駆け寄って出迎えた。

 しかし、挨拶より先に

「泊まりは伝言ではなく、俺に言って欲しい」

と注意を受けて、喜びが落胆に変わった。

「ごめんなさい、次からそうする」

 アルトゥールはしょげるアーレを自分の胸に引き寄せ、頭に軽く口づけをした。

 腕輪から発していた光は、道案内を終えるとゆっくりと消えていった。


「新しい森の主様のところに行ってみる?」

 アルトゥールが頷くと、アーレは森の奥へと足を進めた。

 アーレにとって森は庭も同然だった。空が少しづつ光を落とし、足下がだんだんと不確かになる中でも、歩む速度はさほど変わらず、行き先が見えているかのようだった。


「私、あなたに謝らなければいけないと思ってるの」

 森を歩きながら、アーレはアルトゥールに話しかけた。

「私は、ずっと抱えていた不安をあなたに消してもらえたのに、今はあなたが不安を抱えてしまっている。私の不安をあなたに移してしまっただけなんじゃないかって、そう思えて」

「そうじゃない」

 アーレの後ろのアルトゥールは、慣れない暗い道に少し苦戦しながらも、何とかアーレについて行った。

「俺が今まで、あまりに人に無頓着だったんだ。…誰かに執着する自分に慣れてないだけだ」

 踏みしめる枝がポキリと音を立てる。その音が響くほどに、森は静かだった。

「思い出すんだ。地下室に倒れていたおまえを。あの時は助けられたが、次はどうなるかわからない。次にどこかの国の王が命じておまえを連れて行こうとしたら、本当に俺は止められるのか。手放すか殺すか、と言われたら、手放さないことを選べるのか」

「もし、どうしても離れ離れになってしまっても、迎えに来てくれるでしょう?」

 足を止めて振り返ったアーレは、迷いなく、微笑んでいた。

「私が死んでしまっていても、きっと迎えに来てくれるでしょう? 私は死んでもあなたの元に帰る。そう思って、必ず待ってる。…それでは、駄目?」

 即答できなかったアルトゥールに、

「それじゃあ、捕まった時には抜け出せるように頑張らないと駄目よね。テオはうまく逃げたけど、あの時私も意識が戻ったらすぐに走って逃げた方が良かったのかな」

 出された迷案は、アルトゥールを余計不安にさせた。

「いや、それは下手したら薬以外で殺されてた」

「剣を習えば安心できる? 教えてくれる?」

「教えてもいいが…。おまえには、剣より鍬がよく似合う」

 笑みで返された返事に、二人は再び歩みを進めた。


 やがて、森の中に、先の森の主よりはまだ若いとは言え、人よりはずっと長く生きているであろう大木が現れた。

 アーレが近寄り、右手で幹に触れると、金色の泡のような光が手のひらに集まり、少し木の中に流れ込んだのが見えた。アーレは気づいていないようだった。

「この木が次の主になるだろうって、教えてもらったの。きっと私がいなくなって、子供や孫が大きくなっても、まだずっと生き続ける。ずっとこの森を見守っていくのね」

 アルトゥールも手を伸ばし、新たな主の木に触れてみた。

 すると、ほんのわずかながら、自分の魔力も新たな主の中に取り込まれたのがわかった。それは決して多い量ではなく、挨拶程度に近寄る者の魔力を探ったように思えた。

 そのまま、アルトゥールは空いている手でアーレの手を握った。

 すると、自分からアーレに力が流れ、アーレから主の木に流れ、また自分に返ってくる、不思議な力の循環を感じた。

 アーレにも見えたのだろう。驚いたように目を見開いたアーレと目が合い、互いに笑みがこぼれた。

 やがて、手を通してアルトゥールに木の思いが伝わってきた。

「木が…何か…、伝えたがっている。…『森と、望む者と、共にあれと願え』 …何だろう」

 アルトゥールが首をかしげていると、アーレは昔、似たフレーズをどこかで聞いたことがあるような気がして、そのまま自分の願いを口に出した。

「『森と、アルトゥールと、共にあらんことを』」

 アーレのつぶやきに、アルトゥールも頷いて、同じように返した。

「『森と、アーレと共にあらんことを』」

 そして、思い立つままアーレに唇を重ねた。

 緩やかな口づけから目を開けると、主の木はその全体をうっすらと金色に光らせた。

 それは森の祝福だった。

 光はやがて小さな粒になり、ゆっくりと風に飛ばされていき、気が付けば森は夜を迎えていた。

 意図せぬうちに二人は、新たな森の主に導かれるまま、古く大地の魔女に伝わる森の契りを結んでいた。


 森の家に戻ると、アルトゥールが家から持ってきた夕食を分け、久々にゆっくり話をした。

 アルトゥールはまだ起きてもいないことに不安を覚え、心配しすぎていた自分に気がついた。アーレを、自分が慈しむものを側に置けた喜びと、それを失うことへの不安。それは表裏一体のものだ。

 かつてほど人に対して冷静に対応する自分には戻れない。それならそれを受け入れて、少しづつ自分が納得できる方法を考え、大切なものを守る力を身につける他はない。

 しかし、アーレは自分のものになる約束をしただけで、まだ自分のものではない。そのことがアルトゥールの不安を煽った。

 欲目もあるだろうが、きちんとした身なりをするようになったアーレは魅力が増し、人の目を引く。しっかりしているようでいて隙だらけ、寛大な笑みは公女様ならともかく、貴族のはしくれでは愛想を振りまきすぎる。しかも本人がそのことを全く自覚していないのが恐ろしい。

 最近では魔女の力を知る者だけでなく、知らない者までもがアーレを狙う敵に思えてくる。考え過ぎだと思っても、自分が忙しさにアーレと共にいる時間を失えば失うほど、大金をポケットに入れてスリの多い街を歩いているくらいの異様な警戒心を持て余してしまう。

 …既成事実を作った方が横やりが減って一石二鳥だろうか。

 ふと思い立ち、アルトゥールは少し考えた。

 心配なのは、公女としての教育で受けた道徳観だ。アーレは自由な気質ながら、時々厳しい道徳観を見せる。望むならある程度は待つにしろ…


「ちょっと、腕輪を借りてもいいか」

 アーレが腕輪を渡すと、自分の書いた呪文の具合や編み込みのほつれなどを確認した。呪文はきれいになじんでいたが、魔法を使おうとして失敗していることもあるようだった。アーレはアーレなりにいろいろ試しているのだろう。

 少し修復し、そのまま自分の服のポケットにしまい込んだ。


 アルトゥールは、奥の部屋に本を取りに行ったアーレに背後から近づき、突然足払いをすると、倒れるアーレを片手で受け止めた。

「アルトゥール…、びっくりした。どうしたの?」

 少し驚きながらも、警戒心を抱くことのないアーレに思わず吹き出し、短く唇を合わせた後、アーレを担ぎ上げてベッドまで運ぶと、続きの口づけを求めた。

 そのままゆっくりと頬に、そして耳に唇を這わせ、

「最終通告だ」

と、低く、小さな声でつぶやいた。

「婚姻の後でないと嫌なら、今なら止める。十秒以内だ」

 アーレの自分にしがみつく力が少し強まった。

 答えを待たず耳たぶを軽く唇で食み、そのまま耳の裏にゆっくりと唇を這わせると、アーレは首をすくめてかすかに声を漏らしたが、それでも嫌がる様子はない。それならば、

「3、…2、…1、…ゼ」

「待って」

 言われて顔を上げ、やはりまだ早かったかと離れようとした時、顔を赤らめたアーレがアルトゥールの首に両手を回して引き寄せ、唇を押しつけた。

「罪があるなら、…同罪ね」

 それは、アルトゥールが求めていた以上の完璧な答えだった。

 後は愛おしむ気持ちのままに。

 静かな森の中で、二人だけの夜が過ぎていった。

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