第35話 市の後で

 次の日の市は、森の家から直接出向いた。

 アルトゥールはアーレの荷馬車に馬をつなぎ、自分の馬にも鞍をつけると、滅多に人の通らない道を荷馬車に併走する形で町まで出かけた。


 市に出す野菜を運ぶところまで手伝うと、

「午後に一緒に来て欲しいところがある。また迎えに来る」

 そう言って、アルトゥールはその場を離れた。

 そう言えば、ここに買い物に来る時も用事を済ませてから改めて来ることがあった。この街に知り合いがいるのだろう。


 店を開く準備をしている間に、クラリッサが来た。

「アーレ!」

 目が合うと、クラリッサはいきなり抱きついてきた。友達ではあったが、今まで抱きつかれたことなどなくアーレは少し戸惑ったが、自分を心配してくれるその存在が嬉しかった。

「心配したんだから!!」

「ごめんね、心配かけて。ありがとう」

 クラリッサの家のメイド見習いの女の子リラも今日は一緒にいた。

「お姉さん、ありがとう」

「大丈夫? 怪我は残ってない?」

 アーレがそう聞くと、

「お姉さんこそ!」

 そう言って、リラもアーレにしがみついた。アーレはそっとリラを撫でながら

「大丈夫よ。ありがとう。あなたが無事で本当に良かった」

 互いの無事を喜び合った後、クラリッサはいつものように魔法の実を数個買って、

「また後でね」

と言って去って行った。

 また後で、と言われた割に、魔法の実はリラが持ち帰っていた。


 いつもの着古し、あちこち繕われていた服ではなく、新しくしつらえられた服を身にまとったアーレは「流行らない魔法の実を売る冴えない娘」ではなかった。常連客だけでなく、普段は気にも留めず、近寄ってくることもなかった街の若い男が何人か客として訪れた。アーレ自身は何も変わらずいつものように接客していたが、久々の市はそれなりの売り上げがあった。


 花売りのフリーデが様子を見に来て、

「かわいい服じゃない。何かいいことあったか?」

とニヤニヤと笑われたが、

「ちょっと…」

と言葉を濁した。そこへ

「市が終わったらどう? お茶でも」

 明らかに冷やかしと思われる男が二人に声をかけてきた。アーレは怯んだが、

「ごめんなさいねー、私もこの子も売約済みなのー」

 フリーデが明るく笑顔で男を接客した。

「お野菜、お花でしたら安くしときますよ? まずは女の子に花を贈るくらいのしゃれた心を持ちましょうか!」

 そして勢いのまま季節の花とハーブ、タマネギを売り込み、初対面の女の子にかける言葉まで指南して笑顔で手を振って見送った。その手並みは鮮やかだった。

 アーレは売り子としては、自分はまだまだだと感じた。

 ナンパ男を難なく片付けたフリーデは、

「今までみたいにズタボロださださの格好しないんだったら、ああいう輩にはちょっと気をつけた方がいいわよ。あんた、それなりにかわいいんだから」

 その言葉に対して、首を傾げたアーレに

「まあ、相手の噂が広まれば、誰も手を出さないと思うけど?」

 そう言って、にやっと笑った。

 フリーデには「冴えない女と二人乗りする騎士様」の噂話の元ネタくらい、とうの昔にわかっていた。


 お昼になる前に持ってきたものはすっかり売れてしまったので、店じまいをした。

 アルトゥールからは午後としか聞いていない。どこで待てばいいのか、どこへ行くのかもわからない。とりあえず、いつもいる辺りにいれば迎えに来るだろう。

 フリーデはいつも恋人と一緒に昼食をとり、今日ももうお迎えが来て行ってしまった。

 どこに行くにしろ昼食は取っておいた方がいいかと思い、いつものようにパン屋へ向かっていると、肩を叩かれた。

 ビクッとして振り返ると、さっきフリーデといた時にやってきた客だった。にこやかだが、妙になれなれしい。

「何だ、一人じゃないか」

「あ、あの、一人じゃないです。この後約束が」

「じゃ、それまでの時間でいいよ。一緒にご飯でもどう? さっきの子も、まずは出会いからって言ってたし」

 腕を掴まれて無理矢理引っ張られそうになり、足を踏ん張って抵抗してみるが、勢いがついた相手の力に負けて足が前に出そうになったとき、急に相手の手の力が抜けた。

 腕を掴む手を簡単にねじり離し、

「俺の連れなんだが?」

とぼそりとつぶやくその人の表情は氷のように冷たく、一歩間違えば居合いで斬り殺しそうな妙な緊張感があった。

 アーレの隣に立ったアルトゥールは、幸いにして今日は帯剣していない。

「し、失礼しました!」

 逃げるように去って行く男のことなど構うことなく、アルトゥールは黙ってアーレの荷物を持つと、

「遅くなった」

と言って、先に歩き出した。


 後ろを追いかけて歩くこのパターンは今までも何度かあった。しかし行き先は今日は馬留ではなく、街の中に向かっていた。

 時間もいつもよりずいぶん早く、人通りも多い。人にぶつかりそうになるアーレに手が差し出された。そっと掴んだ手はしっかりと握り返され、少しさっきより歩く速度が落ちた。

「どこへ行くの?」

「親戚の家だ」

 そう言って案内されたのは、この街の中でもかなり大きな家だった。

 大通りに面したドアのノッカーを叩くと、すぐに扉が開かれ、アルトゥールとアーレは中に入った。

 街の中ではお屋敷と呼ばれる類いの家で、月に一度訪問するエッフェンベルガー子爵邸と比べても決して見劣りしない、格式の高い家だった。

「待ってたわ」

 そう言って現れたのは、朝会ったばかりのクラリッサだった。

「ここ、クラリッサの家?」

 きょとんとしているアーレに、クラリッサがアルトゥールを睨んだ。

「…まさか、うちに来るって、言ってないの?」

「別に、言う必要ないだろう」

「黙って知らない家に連れて来られたら、誰だってびっくりするでしょう!」

 あのアルトゥールに容赦なく詰め寄り、説教するクラリッサ。

「そんなんだからその年まで彼女の一人もできず、お見合い相手に泣いてお断りを入れられるのよ! …まあいいわ、あなたのそれは今に始まったことじゃないし…」

 少し溜め息をつくと、愛想の悪いいとこから、そのいとこが気に入った貴重な友達に視線を移した。

「おばあさまがお待ちかねよ。あなたの魔法の実のファンで、ずっとあなたに会いたがってたんだから!」

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