第31話 ヴァルドマンの魔女

「このたびはお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます」

 面会に訪れたアルトゥール・ガルトナーはいかにも伯爵家の子息らしく、隙のないしぐさで礼儀正しく振る舞っていた。

「かけたまえ」

 現ヴァルドマン家当主、ローランドが声をかけ、アルトゥールは軽く礼をして席に着いた。


「あまり回りくどいのも良くないのでね。早速だが、君がここに来たのは、アレクシエラの件だね」

「アレクシエラと言う方は知りません」

 表情一つ変えず、アルトゥールは答えた。

「私が知っているのは、エッフェンベルガー子爵のお知り合いのアーレという者です。アーレをヴァルドマン様が養女に迎えたいというご意向があると伺いましたので、後見人である父に代わり伺いました」

 それを聞き、ローランドは、来訪者をアレクシエラのことも、ウィンダルの「ヴァルドマン」のことも何も知らない若い代理人だと思った。これならば、アレクシエラを引き取る交渉もさほど難しくはないだろう。

「その、アーレというのがね、私の妹の娘、姪に当たるアレクシエラであることがわかったんだ。妹もその夫も他界しているので、当ヴァルドマン家で引き取ることにしようと思っているんだよ」

「アーレは、森で十二年間暮らしている、と言っていました。十二年も放っておいたのですか?」

 その言葉に、聞き役に回ろうと思っていたロベルトが口を挟んだ。

「事件に巻き込まれて死んだと聞かされていたのだ。生きているとわかったのはほんの一年前だ」

 アルトゥールは、ゆっくりと頷き、同情を示した。

「それは驚かれたことでしょう。ですが、彼女は長い間農民として暮らしています。貴族として暮らすのは難しいかと…」

 不安げに言うアルトゥールに、ローランドは笑って答えた。

「心配には及ばない。我が家の家名はこの国では知れていてね。多少貴族としての作法に見劣りがあろうとも問題にはされない」

 その言葉に、

「そうなんですか。それほどの…」

と感心したように言われ、ローランドは得意げに話を続けた。

「現に、第三王子がアレクシエラを所望しておられてね。一、二年時間をかければ、貴族の暮らしにも慣れ…」

「何? そんなことは聞いておらんぞ」

 ローランドの話に先代のロベルトが顔色を変え、客の前でも怒りを抑えることなく声を荒げた。


 第三王子の話はロベルトには初耳だった。アレクシエラのことはロベルトが慎重に進めていたにもかかわらず、いつの間にか「家」が絡み、「王家」が絡んでいる。

 ロベルトの怒りにローランドは焦った。決して悪い話ではないではないはずだ。王家からの申し出だ。喜んで受けるべきであり、父もまた喜ぶと思っていたのに。

「王太子ではないので、『ヴァルドマン』であれば礼儀はさほど問わない、とのお申し出で」

「ならん!」

 ロベルトが怒りで身を震わせながら立ち上がった。

 そんな中、全く口調を変えることなく、ぼそりとアルトゥールは言った。

「…『ヴァルドマン』を死なせた王家に、ですか?」

 口調は静かだったが、その目はローランドを蔑視していた。

「妹殿を早逝させた王家に、今度はアーレを差し出すおつもりですか?」

 その言葉の意味は、アインホルンの事情を知る者。「ヴァルドマン」の意味を知る者。

 ロベルトとローランドの視線がアルトゥールに集まった。

「おまえは…」

「王家へのご機嫌取りのために『ヴァルドマンの魔女』が必要なのでしたら、残念ながらアーレは貴家に関わらない方がいい。この話はなかったことに。ではこれで失礼します」

 立ち上がり、礼をしたアルトゥールに

「待て」

と言ったのは、祖父であるロベルトの方だった。

「あの子は『ヴァルドマンの魔女』なのか?」

「ヴァルドシュタットの『森の魔女』であり、『大地の魔女』です」

 ローランドはそれを聞いて思わず笑みを浮かべた。姉も妹もいなくなり、今や「ヴァルドマンの魔女」は数えるほどしかいない。アレクシエラが「ヴァルドマンの魔女」であることは、ヴァルドマン家にとって喜ばしいことだ。しかしアルトゥールはその笑みを冷ややかに見ていた。

「だが、自分の魔法が見えない。…言ってる意味が分かりますよね」

「レベッカもだ。あれも自分の魔法が見えなかった…」

 ロベルトは十三年前の娘の死を思い出し、手を固く握りしめた。

「何があっても必ず土に触れ、祈るように。アインホルンにそう言い聞かせておいたのだ。それなのに奴は、奴の家の者は、レベッカを部屋に閉じ込め、不衛生だと土に触れさせず、鉢植えの一つさえ置くことを許さず…、あれほど言ったにもかかわらず、だ」

 父の怒りに打ち震える姿に、ローランドの浮かべていた笑みが消えた。

「王家にやるなど、断じて許さん。レベッカが死んだのは、アインホルンが殺したも同じだ! しかも、王家はアレクシエラを死んだことにして他国の森に隠し、我々さえも欺いた。ヴァルドマン家は今後『ヴァルドマンの魔女』を王家に渡すつもりはない!」

「しかし、父上。これは王の意向で…」

「アレクシエラはおまえの道具じゃない。皆が国に帰った後も一人他国に残され、細々と生きていたのだぞ。それをおまえは家の道具にするつもりで引き取るのか。それならば、引きとらんでいい!」

「第三王子であれば政権争いにも巻き込まれず、穏やかに暮らせるはずです。あの方は人柄も穏やかで…」

「第三王子は、魔法が使えるんですか?」

 アルトゥールは二人の会話に口をはさんだ。あくまでも平静に、冷たいほどに冷静に。

「見えない者に代わり、魔法の具合を見て、調整役を買って出ることはできるんですか?」

 ローランドがアルトゥールに目をやった。

「当然、それくらいのことはできる相手をお探しですよね。『ヴァルドマン』を守るんですから」

「そうするべきだった…レベッカの時も」

 ロベルトは腰を下ろし、がっくりとうなだれた。

「あれがアインホルンに気に入られ、嫁ぐと言った時、止めるべきだったのかもしれん…。だが、『ヴァルドマン』であっても、愛し、愛される者同士が共に生きることこそ優先すべきだと思ったのだ…」


 このロベルトがアーレを探していた、アーレを真の意味で引き取りたいと願っていた人なのだとアルトゥールは理解した。だが、現当主ローランドが王家に引き渡すための仲介として引き取るつもりであるなら、それは無意味どころか、危険ですらある。

 今の様子から、第三王子は魔法を持たない者、持っていても調整者にはなり得ない者だ。このまま第三王子に託されれば、母親であるレベッカと同じ道をたどらないとも限らない。


「大変申し訳ありませんが、アーレをウィンダルに住まわせることはできません」

 アルトゥールは、ロベルトに向かって答えた。

「アーレは、ヴァルドシュタットの森の主から杖を得、竜を友にしています。大地に祈りを捧げて生きている。かの『ヴァルドマンの魔女』は、もうヴァルドシュタットから離れることはできないでしょう。長く離れれば、竜の怒りを買うかも知れません」

 ロベルトは、ゆっくりと頷いた。

 続いて、ローランドに向けて、

「私は、こちらにアーレをお渡しすることに反対です。家長でありながら、あなたは信頼に値しない」

とはっきりと言い切った。

 口調は静かでありながら、絶対に譲らない意気込みがその目ににじみ出ていた。

「父に名を借り、アーレの後見人となったのは私です。私はアーレと共に生きるつもりです。もし家の者に反対されれば、家名を捨てて森で暮らすくらいの覚悟はあります。だが、あなた方が本当にアーレを思い、つまらない男一人ではなく、ガルトナー伯爵家にアーレを守らせたいなら、ヴァルドマンの名を名乗らせるくらいのことなら認めても構いません。ウィンダルで、ヴァルドシュタットのガルトナー家がどの程度知られているかはわかりませんが、間もなく王家と婚姻関係を持つ程度の家ではあります。私は伯爵家を継ぐ者ではありませんが、つながりを持っても損はないと思います」


 本来ならば、年若い訪問者にここまで言われ、激して追い返してもよかった。

 しかし、アレクシエラのことを理解し、国を越えてまでその無事を伝え、「ヴァルドマンの魔女」への対応としては不充分な方法をとろうとしたこの家をはっきりと否定したこの男をアーレが選んだとしたら、第三王子よりも信頼に足るのではないかと思えた。

 そして何より、ガルトナー家。

 あと一ヶ月後に迫った隣国の王家の結婚式。その相手となるガルトナー伯爵家との縁つながりは、衰退の道を進みつつあるヴァルドマン家にとっても魅力ある話だった。

 家長であるローランドは、もはや反対する気はなかった。


「おまえは魔法が見えるのか?」

 ロベルトに聞かれ、アルトゥールは頷いた。

「見えますし、多少ですが、魔法が使えます。魔女に見えない魔法は、私が目になり、命を永らえるよう働きかけます。」

「そうか…」

 ロベルトは少し笑みを浮かべ、数回頷いた後、溜め息をついた。

「『ヴァルドマンの魔女』をおまえに託そう。…息子ではなく、私の養女ならどうだ」

 それを聞き、アルトゥールは、深々と頭を下げた。

「願ってもないことです。あなたは真に『ヴァルドマンの魔女』を守られている、信頼に足る方です」

「若造が…」

 そう言いながらも、ロベルトもまた信頼に足る者に「ヴァルドマンの魔女」を託すことができ、安堵した。

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