挿話 遠い過去、とある執事の告白

 アインホルン家で長年執事を務めたフェリペは、ただ後悔するしかなかった。



 ずっとお仕えしてきた公爵家。アインホルン家を守り、公爵様にお仕えするのが自分の仕事だと信じ、誠実に職務を果たしてきたつもりだった。


 旦那様はお一人目の奥様を病で亡くし、長く再婚をお断りされていた。

 それがレベッカ・ヴァルドマン子爵令嬢と出会い、若者のように頬を染められた。一目惚れだった、とこっそりとお聞かせいただいた時は、本当に驚いた。年も身分も離れてはいたが、旦那様の熱烈な求婚を受け、お二人はその愛を実らせた。

 お二人目の若い奥様は少し変わった方で、植物を育てるのがお好きではあったが、庭師が育てた花を愛でるより自ら土に触れたがり、貴族でありながら靴を厭い、大地に裸足で立つのを好まれた。


 どこから話が漏れたのか、奥様が裸足で庭を歩いていることが社交界で噂になった。貴族でありながら農民のように土に触れたがるのをあざ笑い、面白おかしく吹聴する。田舎の子爵令嬢など娶るからだ、と。

「何をやっているのだ。執事のお前がきちんと奥方を導かねば。公爵家の名に傷がつくではないか」

 知り合いの伯爵様から何度も苦言を呈された。

 旦那様から奥様の好きにさせるよう言われていたので、これまで見て見ぬふりをしてきたが、思えば何と恥ずかしいことか。

「公爵様は奥様に甘すぎるのだ。それを見過ごしていて執事と言えるのか」

 奥様を律し、公爵夫人としての自覚を促さななければ。

 公爵家に仕える者は皆覚悟を決め、奥様への対応を変えることにした。

 それが奥様のため、公爵家のためなのだと信じて。


 熱のある日でさえ裸足でそっと部屋を抜け出す奥様を咎め、外に出ることのないよう見張った。少しだけ、祈りの間だけでいいからと願う奥様の願いを止め、掃き出しの窓に鍵をかけた。それが奥様の命を奪うことになるなどと、誰が思っただろう。

 元々丈夫でなかったお体は急激に衰え、あまりにあっけなく、ろうそくの炎をひと吹きするくらいのあっけなさで、奥様は天に召された。

 奥様が大地の魔女だと知ったのは、その死の後だった。



 お嬢様であるアレクシエラ様は聡明なお方だった。

 奥様が亡くなり、屋敷全体が悲しみに暮れる中、ご自身のつらさを表に出すことなく皆に明るく接し、旦那様も次第に笑顔を取り戻していった。

 悲しみを乗り越え、立ち直ろうとする旦那様に追い打ちをかけたお嬢様の失踪。

 まさか、公爵家次男のエーベルハルト様が博打に手を出し、借金をごまかすために妹を狂言誘拐なさるなど。

 その博打に誘ったのが、執事見習いをしていた自分の息子だったなどと…。


「俺のせいじゃない」

 息子はずっとそう言い続けた。たった一度一緒に賭博場に行っただけだと。エーベルハルト様がその後も頻繁に賭博場に出入りしていたことは知らず、借金があったことなど知る由もないと、そう言い張った。

 それが自己防衛のための嘘であることなど明白だった。どんなに自分を正当化しても恐ろしい事件を導いたことに変わりはなく、決して許されるものではない。


 息子の他にもエーベルハルト様の夜遊びに付き合っていた者、金貸しを紹介した者もいた。

 お嬢様を屋敷の外に連れ出し、とある新興宗教の教団に引き渡した者も見つかった。

 エーベルハルト様に妹を隠してほしいと頼まれたから。そう言いながら、娘の代用に仕立て、教団の求める「神になる候補者」として差し出していた。命を落とす可能性があることを知りながら…。

 金を得て協力した者。屋敷の外に連れ出されているのを見ながら、確認もとらなかった者。この屋敷の者達は私が思っていた以上に堕落し、公爵家への忠誠も忘れてしまっていたのだ。


 抗論の声が悲鳴に代わり、旦那様とディートヘルム様がエーベルハルト様に殺められ、屋敷は血に染まった。


 せっかく生還しながら、アレクシエラ様に戻る場所はなかった。

 アレクシエラ様は屋敷が自分の家だとさえわからず、私を含めた誰のことも思い出せなかった。笑うこともない変わり果てた姿に王は見限ったのだろう。

 王は、民として生きられるようにせよ、そう命じ、アレクシエラ様を隣国の森に捨てるように送り出した。その世話に選ばれたのは屋敷の中で罪のあった者達。

 息子もまた、死罪を言い渡されながらも、十年間アレクシエラ様の世話をする事でその罪を帳消しにするとの沙汰が下された。

 私は自らアレクシエラ様に同行することを申し出た。



 罪人の首には、魔法のかかった金色の輪がつけられた。アレクシエラ様から離れるとその輪は縮まり、刑を執行するが、十年経てば輪は消え、自由になれる。

 王はなぜ罪ある者達にアレクシエラ様を任せたのか。

 罪ある者達は、はじめはその罪を受け入れたが、やがて自分の罪を忘れ、アレクシエラ様のせいで国を離され、森に住まなければいけなくなったと逆恨みするようになった。アレクシエラ様がいなければ今頃命はなかったというのに。


 公爵家がなくなった今、私にできることはアレクシエラ様をお育てすること。

 記憶にない見知らぬ大人たちと共に暮らし、優しく見守る家族もない中、充分とは言えないまでも学ぶ時間を持ち、礼儀作法を身につけていただく。

 あの時は恥ずかしいと思えた土いじりもやっていただいた。確かな実り、育つ植物。大地の魔女の娘は、やはり大地の魔女だった。

 今度こそお守りしなければ。大地の魔女を。大切なお嬢様を。

 自分の、息子の背負った罪の分、アレクシエラ様をお守りしなければいけない。

 幸い王はまだアレクシエラ様を見捨ててはいない。毎月届く物資がその証拠だ。いつか国に帰ることができれば、民ではなく王の姪として認められることがあるかもしれない。姪とまではいかなくとも、どこかの貴族の家に引き取られることだって。

 その日を願い、アレクシエラ様をきちんとお育てしなければ。


 ああどうか、我が罪を償うことができますように。

 早く十年が経ち、私を含めた罪人も、罪なきアレクシエラ様も許される日が来ますように。

 アレクシエラ様がかつてのように幸せな笑顔を見せる日が来ますように。

 どうか…。

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