第16話 拉致 2

 アルトゥールは、森に近い街の親戚の家にいた。

 姉の婚姻を控え、週末には親戚間での打ち合わせが続いている。

 打ち合わせを前に、丁度居合わせた祖母のエレオノーラに、十二年前の誘拐事件について何か知っているか聞いた。祖母は情報通で、しばしば周りの誰よりも先に事件や貴族のスキャンダルを掌握していて、しかもその情報は結構正確だった。


「誘拐事件はあまり知らないけれど、アインホルン公爵家のことなら、多少は知ってるわよ」

 そう言った祖母は、普段噂話になど耳を貸さない孫の真剣な様子に、新たな事件の匂いを嗅ぎつけていた。

 面白い話があれば提供することを条件に、祖母は自分が知る話を聞かせてくれた。

「公爵家のお嬢さんが誘拐されて殺された話ね? あれはねえ。公爵家の次男が妹を狂言誘拐して、親から身代金を奪おうとしていたのよ」

「狂言誘拐?」

「そう。妹を一時的に預けて誘拐を装うつもりが、預けた先の人が本当に連れ去ってしまったの。そのことを知った父や兄に責められ、勘当すると言われて、逆に父と兄を殺してしまったのよ。普通、公爵家のご令嬢がそう簡単に連れ去られるわけないでしょ?」

 隣国で伏せられていたのは、誘拐に伴う公爵家のお家騒動だった。アルトゥールは納得して、軽く頷いた。

「公爵は国王の弟だったのだけど、当主を殺した次男に家を継がせるわけにもいかず、次男は服毒を命じられ病死扱い、公爵家は取り潰しになったの」

「じゃあ、誘拐事件には巻き込まれただけで、公爵家の人が主犯というわけではないんですね」

「そうね…。公爵家の使用人が宗教団体に関わっていて、公女様を差し出す手伝いをした、なんて噂もあったけれど、この辺りは噂止まりね」

「同じく誘拐された子爵家の方は」

「嫡男じゃなく、他にも兄弟がいたから家としては特にトラブルにはならなかったと聞いているわ。親としてはやりきれないでしょうけど」


 家を第一に考えると、そういうことになるのだろう。

 アルトゥールは自分は次男で、相続のことなど全く考えたことはなかったが、家から見れば自分も兄の予備だ。もっとも兄にはもう男の子供が二人いるので、既に予備からも解放されていると思っている。


「『大地の使徒』については、何かご存じですか?」

「噂程度にね。命を試す薬を子供に飲ませ、七日間を乗り越えると、神様になるとか何とか? 信者が子供を捧げて、結局そのまま死んでしまうからインチキってことで結構訴えられてたわ。そのうち信者じゃ足りなくなって、誘拐事件を起こして、でも十二年前の事件で解散したって聞いたけれど…」

 そこまで話して、祖母はアルトゥールの耳元に口を近づけ、扇を添えた。

「宗教を隠れ蓑に、相続関係のもめ事の処理を引き受けてお金を稼いでいたみたいよ。どの家もそれなりに勢力争いがあるから、いなくなってほしい子供もいなくはないわよねえ」

 宗教的な教義の問題ではなく「殺しの依頼」を引き受けて金を稼いでいたとしたら、教団が解散し十二年が経った今でも同じ手を使っている輩がいないとは限らない。


「情報、ありがとうございます」

「お礼はそうね、情報には情報がいいわ。…あなた、最近女の子を追っかけてるんですって?」

 油断をしていたら、祖母から思わぬ攻撃があった。

「仕事にかこつけて、連れ回してるって聞いたけど」

 いろんな噂が飛び交い、祖母のところにもたどり着いていた。しかも、いろいろ尾びれ背びれがついて。興味津々に笑う祖母を前に、アルトゥールは平静を崩すことなく答えた。

「正真正銘、仕事です」

「あなたがどんな女の子に興味を示したのか、ちょっと面白いわねえ」

「王城の農園で農業指導をしてくれる、親切な農民の女性ですよ。魔法の実が育てられる…」

「魔法の実?」

 魔法の実と聞いて、祖母の反応が変わった。

「もしかして、アーレさん?」

「ご存じですか?」

 いくら情報通とは言えアーレと祖母が知り合いだとは思わず、アルトゥールも驚きを隠せなかった。

「ここの市で魔法の実を売っている子でしょ? 私、あの子の作る魔法の実のファンなのよ。魔法の実自体が廃れてきているけど、あの子の作る実は格別上出来だもの。魔法農家がせっせと作っていた時代だって、あそこまでの物はなかなかなかったわ」

 話題の人物がお互いに知っている人だとわかり、途端に祖母が上機嫌になった。

「あなたさえ良ければ、農家のお嬢さんでもいいんじゃない? いつか本人に会ってみたかったの。是非今度連れていらっしゃいな」

 思いがけない展開に、アルトゥールはどう答えていいか戸惑った。

「お知り合いなら、来るかどうか本人に聞いてみますが…」

「あらまあ」

 どちらかというと色恋沙汰には縁遠く、不抜けた者を見ると「たるんでいる!」とでもいいそうな孫が、うろたえて少し顔を赤くしたのを見て、祖母はあえて冷やかすのをやめることにした。


 そこへ、いとこのクラリッサが駆け込んできた。

「アルトゥール、あなた、アーレと知り合いよね」

「あ、ああ」

 ここでも自分とアーレのことが話題になっているのに、少し驚いた。

 しかし、続いて告げられた言葉は、

「アーレがいないの。あなた、連れ出してないわよね」

 今日は先に店に寄れず、後で様子を見に行くつもりだった。

 クラリッサと話をしているところは見ていた。そんなに前ではない。


「クラリッサ様」

 続いてクラリッサのメイドがやってきた。

「リラが、クラリッサ様に至急お伝えしたいことがあると」

「通して」

 そこに現れたのは、まだ幼いメイド見習いの少女だった。

「く、クラリッサ様」

 その顔は涙であふれていて、転んだのか服にはあちこち土がつき、膝には包帯が巻かれていた。

「どうしたの、その格好」

「私より、お姉さんが」

「お姉さん?」

「魔法の実のお姉さんが、私を助けて、連れて行かれてしまって」

 すぐにアルトゥールがメイド見習いの少女、リラの前に行き、姿勢を低くして目線を合わせながらゆっくりと話しかけた。

「ゆっくりでいい。順番に話して欲しい。君は魔法の実を売っているお姉さんに会ったんだね」

「私が買った物を取りに行って欲しいってお願いしたの」

 後ろでクラリッサが答えた。アルトゥールは頷き、またリラに話しかけた。

「お店に行った?」

「行く途中で、変な男の人に細い道の奥に引っ張られて、…そしたらお姉さんが気がついて助けに来てくれたの」

「助けてくれたんだ。一緒に逃げた?」

「うん。口と手を縛ってたのを取ってくれてたら、男の人が戻ってきて、お姉さんが私を広い道に出してくれたけど、でもお姉さん、頭を棒で殴られてその人に連れて行かれちゃって」

「連れて、いかれた?」

 アルトゥールは、頭の中が真っ白になるのを感じた。

 しかし、呆けている場合じゃない。すぐに自分を取り戻し、状況を確認する。

「すぐに街の人が来てくれたけど、馬車で逃げちゃったの」

「馬車…」

 犯人は複数名、誘拐目的の犯行から、目撃者連れ去りに切り替えた可能性が高い。あるいは、子供の代わりに拉致されたか。

「ありがとう」

 アルトゥールは立ち上がると、リラを連れてきたメイドに話しかけた。

「この話は先に聞いた?」

「は、はい。伺いました」

「警備隊には」

「他の者が既に伝えています」

「リラ、つらくなければ、その場所を教えてもらいたい。無理はしなくていい」

 アルトゥールが問いかけると、リラは気丈に涙を拭い、

「お姉さんを助けるために、行きます!」

と言った。

 アルトゥールはリラを抱え上げて、アーレが連れ去られた場所へと向かった。


 現場には、警備隊員も着いたばかりの様子だった。

 細い路地には、リラに使われていただろう麻袋と、恐らく口にかませていた細長い布、アーレを殴ったと思われる太い木の棒が残っていた。

 アルトゥールは警備隊員を呼び、一緒に聞くよう指示した。リラを怖がらせないよう路地には入り込まず、広く、人がいるところで指を指しながらリラに尋ねた。

「あの奥に連れて行かれそうになった?」

 リラはこくりと頷いた。

「アーレは、お姉さんはあの奥から君をこっち側の、広い方に押し出したんだね」

「そう」

「馬車はどこにあった」

「この道の奥、一番奥の所」

「悪い奴が、お姉さんを馬車に乗せたのを見た?」

 リラは深く頷いた。

「馬車がどっちに走っていったか、覚えているか?」

「あっち」

 指さした方には、街の外へと続く橋があった。

 恐らく、もう近くにはいないだろう。

「ありがとう、よく頑張った」

 そう言うと、アルトゥールはメモを取っていた警備隊員と少し話をした後、リラをクラリッサの屋敷まで運び、そのまま自分の馬を使って犯人が逃げただろう方角をしばらく走り進んだ。

 しかし途中いくつか分岐があり、周囲にいた人に聞いても馬車の行方を追うことはできなかった。

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