第14話 魔女じゃない
子爵家を出てすぐ、アーレは黄色の絵の具がもうすぐなくなりそうなことを思い出した。
いつもなら子爵に頼めば次の面会の時に用意してもらえるが、それまで持ちそうにないので、自分で買っておくことにした。
「少しだけ、買い物に寄ってもいい?」
「何が欲しい?」
「絵の具を…。行きつけのお店があるから」
他に用事はないと聞き、三十分後に迎えに来るよう馭者に伝えると、アルトゥールとアーレは馬車から降り、乗合馬車の駅からさほど離れていない文具店に入った。
アーレが買い物をする間、アルトゥールは店内をぶらぶら見てまわり、小さいながらもなかなかの品揃えに感心していた。
自分の家には出入りの業者があり、家にあったそれなりの品が選ばれ、その限られた中から選ぶのが普通だった。時には気に入らない物ばかりの時もあり、その中から選ばざるを得ない時もあった。当然ながら業者のセンスは父に寄せられていた。
アーレは黄色の絵の具は即決だったが、それ以外の物にも目を引かれ、新しい筆を買うのに、ずいぶん悩んでいるようだった。
「筆なんて、挿絵を描くくらいだし、今のでもまだ…」
目の前の二本の筆を比べながら自分に言い訳をしているのを見て、アルトゥールは
「店主、こっちをもらおう」
と言うと、さらりと一方に決めて支払いをした。
「え、まだ迷って…」
「こっちを気に入っていただろう。買うか買わないかを迷っていたなら、もう迷う必要はない」
そして、買った物をアーレに手渡した。
「…どうして判ったの? こっちだって」
「誰でも判る。こっちをよく見て、よく触っていた」
店主も笑顔を見せて
「私にもわかりましたよ。いかにお気に召されているか」
と言って、二人の顔を見ていた。
アルトゥールはその言葉のもう一つの意味に気がつき、軽く咳払いをして店を出た。
店を出るとすぐにアーレが足を止めた。
目線の向こうには親子連れがいた。向こうの娘がアーレに気がつくと、途端に不愉快そうににらみつけてきた。
「アデル…。ミュラーさん、お久しぶり」
アーレが三人に声をかけると、にらみつける娘の後ろで、その父母と思われる者はアーレを見た途端、少し怯えたような表情を見せた。
「あ、お、…アーレさん、お久しぶりです」
父は帽子を取り、礼をした。
母も手を前にそろえ、深い礼をする。
「お元気そうで何より」
「アーレさんもお元気そうで。娘を頼って旅行に参りまして、こちらには一週間ほど滞在するつもりです」
「隣国でお商売を始めたと聞いたわ」
「お陰様で今のところうまくいってます。娘も呼び寄せようと思っていたのですが、こちらの生活が気に入ったようで…」
「そうね。アデルはこの国で暮らしてきたから…。隣国とは言え、こうしていつでも来られるわ。どうか仲良く。お邪魔をしてごめんなさい」
「アーレさんも、森と共に豊かであらせられますよう」
二人はもう一度礼をした。一人、娘のアデルだけが何も言わないながらも、視線で不愉快さを表しながら、拗ねたように顔の向きを変え、立ち去っていった。
アーレは三人がいなくなるまで、笑顔を作り続けていた。しかし、その笑顔は、今まで見せたことがない、偽物だった。
「今のは…森の住人?」
その指摘で急に笑みが消えた。そして、開いたままの目から涙が一筋、頬にこぼれ落ちた。
タイミング良く来た馬車に乗り込むと、席に着いたアーレはさっきと同じ笑みを浮かべていた。
「ごめんなさい。今のは昔森に住んでいた方で…。…鋭いのね」
その偽物の笑みを見て、アルトゥールはまだ涙の残るアーレの頬を指で拭った。
「泣いていい…。俺に笑みを作る必要はない」
すると、笑顔が徐々に崩れ、隠すように俯くと、聞こえないくらいの小さな嗚咽を漏らした。
「わたし…、魔女じゃない。魔女じゃないのに…。みんな、魔女だって。そう言ってみんな遠巻きにして、そして去って行った…。違うのに…」
その言葉を聞いて、アルトゥールはかつてアーレに魔女か、と聞いたことを後悔した。あの時、アーレは笑って違うと言っていたが、本当は無理をしていたに違いない。
しかし、本人に直接聞いたことは後悔したが、アーレが森の魔女だという確信は揺らぐことはなかった。
魔女であることと、疎遠にすることは同じであってはいけない。魔女だからと言って、一人で生きなければいけないことはないはずだ。
アルトゥールは、アーレを自分の腕の中に取り囲んだ。
初め、固くなっていたアーレが、次第に自分にもたれかかり、シャツを握りしめて泣き声を強めていった。
自分でも気がつかないうちに、抱き寄せる腕の力が増していた。
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