後編

「いや、正体さえ分かれば怖くない。さあ、仕切り直しだ!」


 再び莉結先輩が地を蹴る。

 まっすぐ突っ込んでくる―――と、見せかけて直前で右に折れる。

 ぶおんっ!

 その勢いのまま身体を旋回させ、腕を鞭のようにしならせて横に薙ぐ。

 僕はそちらを向かず、かがんでそれをかわす。

 

 がしゃああ。


 ……後方から崖の砕ける音がしたけど、もう一々気にしていられない。

 先輩の腕をやり過ごしてから、かがんだ姿勢のまま足払いをかけるように、右脚で地を薙ぐ。

 先輩は跳躍してこれをよけ、先ほどのサマーソルトキックのお返しとばかりに、前宙の要領でかかと落としを放つ。

 がんっ!

 僕は両腕を頭の上で交差し、これを受け止めた。


「ぐうぅ……」


 両脚が砂浜にめりこむほどの衝撃が、僕を襲った。

 強烈な一撃だけど、こらえきれれば大技な分、隙も大きい。

 地面に着地した莉結先輩の脚を狙ってローキックを放つ。

 闘気の幻で。

 

 本命は、右のストレートだ。

 が、僕と同時―――。

 莉結先輩もまっすぐに正拳を打ちこんでいた。


 ぐがんっ!


 拳と拳が激しい音を立ててぶつかり合う。

 闘気が弾け、同心円状に広がった。


「うわっ!?」


 速さが同じなら、一撃の破壊力はわずかに莉結先輩の方が上だった。

 僕はたまらず、後ろに数歩よろけていた。


 ―――何故、僕と同時に反応できた!?


 一瞬動揺してしまい、その隙に先輩が内懐(うちふところ)に入る。


「しまっ……!」


 武闘着の襟首をつかまれ、巴投げの形で宙に投げ出される。

 と、同時にみぞおちに蹴りがクリーンヒットで入る。

 ごすっ!

 僕の身体は海の沖の方へと蹴り飛ばされた。

 幸い、闘気を瞬間的に腹部に集中したお蔭であばらが折れるのは避けられたけれど、息が詰まり肺に空気が届かない。


「がはっ……」


 宙を飛びながら僕の頭は高速回転し、莉結先輩のやったことを理解していた。

 なんのことはない。

 先輩は闘気のフェイントにはちゃんと引っ掛かり、その上で僕と同時に拳を打ちだした。それだけのことだった。

 

 ―――僕と莉結先輩の地力の差はこれほどなのか。


 ショックを受けながらも、僕は痛む腹を押さえ、空中で態勢を立て直す。

 気を制御し、海上の空に浮かび、なんとか着水は免れた。

 

「逃がすか!」


 すかさず莉結先輩も空を舞い、追撃してくる。

 闘気の渦が尾を引き、高速で飛来するその姿はミサイルのようだ。


 ―――知っていたけど、容赦ない!


 空中で僕たちの闘気と闘気、拳と拳がぶつかりあう。


「うらららあああ!!」

「たあああああ!!」


 がんっ、がすっ、どっ、ずだだだだ!

 何度目になるかも分からない打撃の応酬。

 空中戦に移行してからは、僕らはぶつかり合う環境破壊兵器と化した。

 ずごめきばきっ、ぐしゃああ、ごううぅぅん。


 海に渦潮が生まれ、崖にクレーターが空き、岩場は破壊され、地面には無数の亀裂が走り、大地からは砂塵が竜巻のように巻きあがり、海へとまき散らされていく。

 そんな中、僕は……


 ―――いける!


 さっきは動揺してしまったけれど、闘気のフェイントを用いれば、莉結先輩相手でも、ほぼ互角に戦えていた。

 ただ、この技はかなり精神力を使う。

 闘気を複雑に操っている分、闘いが長引けば不利になるのは僕の方だ。


 空中では踏ん張りがきかないから、反動が大きい。

 ごうんっ!

 お互いの大振りの蹴りがぶつかり合ったあと、二人の距離が大きく離れる。

 

「はああああっ!」


 その間に、僕は右の拳に全闘気を集中した。

 この一撃で全てを決めるつもりで。


「面白い! 受けて立とう」


 僕の覚悟は莉結先輩にも伝わったみたいだ。

 先輩も片一方の拳を高々と掲げる。

 その拳の先に闘気が集まり、黄金色に輝いた。


 空中戦では絶えず闘気を放出し続ける必要がある。

 僕も、そして先輩ももうほとんど余力は残っていないはずだ。

 正真正銘、これが最後の一騎打ちとなるだろう。

 二人、ほぼ同時に宙を蹴った!


「砕け散れえぇぇぇ!!」

「砕け散ってたまるかあぁぁぁ!!」


 どぐああぁぁん!


 拳がぶつかり合い、互いの闘気はまばゆい閃光となって、轟音とともに爆発的に膨れ上がる。

 そして、世界を白く包み込んだ。



 ―――――――――――――――


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息も絶え絶えになって、僕は見るも無残に荒れ果てた砂浜の上に大の字に寝転がっていた。

 空が遠い。

 あれだけ派手に二人が暴れたというのに、波音は何事もなかったかのように規則正しく耳を打つ。

 もう既に日は西に傾きはじめ、海をオレンジ色に染め上げていた。


 ―――自然っていうのは雄大だなぁ。


 そんなことをぼんやりと思う。

 

 勝負は僕の負けだった。

 もう指一本動かす気力もなく、全身が余すところなくずきずき痛んだ。

 あと三日はベッドの上でもうなされることだろう。


 でも、勝った先輩もだいぶ力を使い果たしたみたいで、僕と同じように砂浜に横になっていた。

 ようやく、僕も息が整い始めた。そう思った時、


「はーはっはっはっはっ!」


 莉結先輩が天に向かい大笑した。


「楽しかった、楽しかったぞーーっ! こんなに心からわたしをぞくぞくさせてくれるのは斗良だけだ!」


 生きる喜びを全力で謳うような声だった。

 僕は思わず苦笑してしまう。

 できることなら、向こう一年くらいは先輩とのガチなバトルは勘弁してもらいたい。

 けど、心の奥底では楽しんでしまった僕も、結局のところ先輩と同類なのかもしれない。


「おかげで心置きなく卒業できるな」


 不意に、先輩の声に優しさがまじる。

 それは、感慨深げで、少し寂し気で、でも心から満足しきっている、そんな声だった。


 僕は気力を振りしぼって立ち上がり、先輩の方を向いた。

 そういえば、ちゃんと伝えてなかったな。


「莉結先輩。卒業、おめでとうございます」


 莉結先輩も腹筋の力でぴょんと起き上がって、笑ってうなずく。


「ああ。ありがとう。わたしがいなくなっても精進しろよ、斗良」


 その声音があまりに満足げ過ぎたから……。

 思い残すことはなにもない、そんな風に言っているように感じたから……。

 僕は心配になってしまう。


「先輩こそ。……その、卒業しても、武道、辞めないでくださいよ?」

「ああ、辞めるものか」

「……ほんとに?」

「当たり前だろう。わたしの目指す頂(いただき)はまだまだ果てしなく、険しく、遠い。学園を卒業したくらいで投げ出せるわけがない」


 莉結先輩は胸を張り、遠い空を見上げた。

 その視線の先にはきっと目指す頂の姿がはっきり見えているのだろう。

 先輩のその姿はあまりにまぶしく映り―――

 ほっとした僕は、ふだん口にしないような胸の底を打ち明けていた。


「よかったです! 莉結先輩は僕にとって目標で、憧れで、ずっと誰よりも輝く人であってほしいですから」

「お、おお。そ、そうか。そう言ってくれるのは嬉しいぞ」


 莉結先輩はなぜか、動揺したように声を上ずらせていた。


「はい。僕が武道を続けてこれたのも、先輩のおかげです。そんな先輩が僕は……」


 言いかけて、僕はあることに気づく。

 気のせい、だろうか。いや、気のせいじゃない。

 先輩ともあろう人がまさかとは思ったけど……。


「な、なんだ、斗良。言いかけて止めるな。言いたいことがあるなら、その、早くしろ」

「あの、先輩、すき―――」

「えっ」

「隙(すき)ありです」


 僕はさっと先輩の懐に入り、払い腰の要領で海の方へと放った。


「んなああっ」


 あまりにもあっけなく技が決まり、先輩は海にどぼんと落ちる。

 まさか、と僕は自分の手を見る。

 僕はおろか、門下の誰もがどれだけ不意を突こうとしても、決して隙を見出せず返り討ちにあってきた、あの莉結先輩から、こんなにあっさり一本取れるなんて……。

 僕は夢でも見ているのだろうか。


「斗良、貴様あぁぁぁ!」

「ひっ」


 ぼたぼたと全身から水を滴らせ、海から帰還した莉結先輩は仁王の形相だった。


「自慢の黒髪が海水でぎしぎしになってしまったじゃないか!? 乙女を海に投げ飛ばすとは、いい度胸だ!」

「その髪で岩も切り裂くような生物を、乙女とは呼びません!」

「できるか、そんなこと!」

「先輩ならやりかねません! 闘気を伝わらせたりとかして……」

「ほぅ、面白いことを言う。ならば、わたしの新技、ヘアスラッシュの稽古台になってもらおうか!」

「ほ、他を当たってください!」


 逃げようとしたけど、闘いの余力は莉結先輩の方が残っている。

 僕はヘッドロックをかけられ、無理矢理海水に引きずりこまれた。

 なし崩し的に、第二ラウンドが始まってしまう。

 

 結局、僕たちは日が沈むまで拳を打ちつけ合っていた―――。

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鼓動をかさねて 倉名まさ @masa_kurana

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