中編


 その下に武闘着を身につけていた。


 浅葱あさぎ色をした半袖の格闘着で、下は同色のハーフパンツのような形状をしている。

 腰には赤い帯をきゅっと巻いていた。

 そして、背中には丸印の中に“龍”一文字が大書されている。

 どことなく中華風のその道着は、動きやすさを最大限に考慮した実践用のものだ。


「さあ、斗良も早く。どうせ下に着込んでいるのだろう?」


 バッグのポケットから取り出したゴムで後ろ髪をまとめながら、僕をせかす。

 ……まあ、着てきてるんですけどね。

 先輩に連れられるという時点で、半ば観念していたことではあった。


 僕も先輩にならうように制服を脱ぎ捨てていく。

 下に来ている武闘着は先輩のものによく似ているけれど、色は橙(だいだい)で、背中には“虎”一文字が刻まれている。


「よしっ、ろう!」


 莉結先輩は両の拳を腰だめに落とし、喜々として叫ぶ。

 こうして半袖短パンの武闘着姿になると、改めて先輩のプロポーションは美しかった。

 伸びやかな腕と脚は一辺の無駄なく引き締まり、完璧な体幹バランスをもった立ち姿はファッションモデル顔負けだ。

 ただし、顔に浮かぶ笑みは、制服の時のような爽やかな微笑ではなく、獰猛な肉食獣のそれだった。


「はあああああ!!」


 裂帛れっぱくの声とともに、先輩の闘気が一気に高まる。

 はっきりと目に映るほどの闘気が全身を包み、竜巻のような激しい渦を作る。

 束ねた髪と武闘着が強風に吹かれたかのようにはためいている。

 異変を感じ取り、崖で羽根を休めていた海鳥たちが一斉に羽ばたき去っていく。

 ……願わくば、できるだけ遠くまで逃げてほしい。


「ちょっ、先輩! 本気で闘るんですか!?」

「当たり前だ! 全力でなければ意味がないだろう!?」

「岸辺の形、変わっちゃいますよ!?」

「誰も来ない入江だ。怒られることもあるまい。それに斗良は知らないかもしれないが、海岸線というものは姿形を変えていくものなんだぞ?」


 それは何十年、何百年という時をかけて少しずつ進む、自然の営みだろう。

 一日にして大きく変わってしまうのは、災害以外のなにものでもない。


 ……ほんとにいいのかなぁ。

 けど、もう迷う猶予は残されていなかった。

 

 莉結先輩の闘気はさらに膨れ上がっていく。

 もう、立っているだけでも吹き飛ばされそうだ。

 対抗するには、僕も闘気を解放するしかない。


「おおおおお!」


 丹田の奥底から生まれ出たエネルギーが全身を駆け巡っていく。

 すさまじい高揚感が脳天を突き抜ける。

 僕の闘気を感じ取った莉結先輩が高らかに笑った。


「はっはっはっは。斗良! 手加減なんてしたらぶっ殺すぞ!!」


 先輩相手に手加減? 冗談じゃない。

 そんなことしようものなら、ぶっ殺される前に死んでしまう。

 生き残るためには僕も気づかいやためらいは捨てて―――頭を空っぽにするしかない。

 僕も最高限度まで気を高める。

 まるでジェット機が滑走するような、闘気が空気を揺るがす轟音が耳元でうなる。


「いつぶりかなっ!? お前と全力でやりあうのは!!」

「忘れましたっ!!」


 心底楽しそうな先輩に叫び返す。

 全力でやりあった=僕がボコボコにされた記憶だ。

 覚えていて楽しい思い出じゃなかった。


 型通りに一礼したあと、僕と先輩は構えを取る。

 闘気をぶつけ合いながら、互いの出方をじりじりと探り合う。

 傍目には静止しているように見えるこの立ち合いも、ひどく体力・精神力を消耗する。

 

 先に仕掛けたのは先輩の方だった。


「行くぞ!」


 ひゅんっ。

 宣言した自身の声すら置き去りにするように―――。

 先輩の姿がかき消えた!


「ぐっ……」


 直後、隕石が激突したかのような衝撃が両腕に走った。


 ―――重いっ!?


 ほぼ完璧な形で先輩の突きをガードしたのにも関わらず、僕の身体は後方に吹き飛ばされる。

 すかさず先輩が追撃を仕掛けてくる。

 なんとか態勢を立て直した僕は、猛追の勢いそのままに繰り出された上段回し蹴りをかろうじ

 てよけかわす。

 カウンター気味に掌底を放つが、これはあっさりと受け止められてしまった。

 そこからは互いに、至近距離での打ち合いだった。


「おおおおっ!」

「ああああっ!」


 瞬きする間に、何十何百という拳と蹴りが打ち出され、ぶつかり合う。

 がしっ、どがっ、しゅばばばば。

 打撃がぶつかり合うたび、機関銃を乱射しているかのような凄まじい衝突音が鳴り響く。

 衝撃の余波で海が割れ、砂浜がえぐれ、崖が削れる。

 けど、そんなこと構う余裕はない。


 拳の打ちつけ合いはさらに加速していく。


 ―――もっと、もっと速く!


 僕の頭の中で脳が警鐘を鳴らす。

 でなければ、死ぬぞ、と。


 けど、次第に僕の方が劣勢に立たされてゆく。


「くうっ……」


 ごく一刹那の差で先輩の繰り出す打撃の方が速く、そして重い。

 少しずつ打ち数は先輩の方が多くなってゆき、やがて僕は防戦一方になってしまう。


「は~はっはっは。どうした、斗良ぁ! 守ってばかりでは勝てんぞ!!」


 目をらんらんにぎらつかせ、莉結先輩が哄笑をあげる。

 湧きあがる闘気に頭がやられたのか、もはや“ちょっとワガママで美人な先輩”の仮面は完全に

 脱ぎ捨て、ただの戦闘狂人と化していた。……元からな気もするけど。


「ほら、どうしたどうしたぁ!?」


 ずががががが。

 挑発的な笑みを浮かべ、先輩の打撃ラッシュはますます激しくなる。

 といって、決して慢心しているわけじゃない。

 隙はどこにも見出せない。

 莉結先輩は有利な状況になるほど精神が高揚し、技の切れ味が増していくタイプの武闘家だっ

 た。


 ―――マズい。これ以上先輩を勢いづかせたら止まらなくなる!


 けど、僕だってムダに何度もやられてきたわけじゃない。

 先輩と闘うための秘策を、血反吐を吐くような特訓の末に身に付けているのだ!


 先輩が突きを放ち終えたごく一瞬間に、僕は一度後方に飛びすさった。

 態勢をととのえ、再び打ち合いを挑む。

 同じことの繰り返し―――そう、先輩にも思えただろう。しかし……。

 ずさっ!


「……な、にっ!?」


 僕の放った貫き手が先輩の右肩をかすめた。

 クリーンヒットとはいかなかったが、初めて入った有効打だ。

 まぐれ当たりと踏んだのか、再び莉結先輩は超至近距離での打ち合いを挑んでくる。

 何度目かの打撃の打ち合い。

 どがっ!


「がっ……」


 今度は僕のミドルキックが先輩の胴をとらえた。


「なんだ、なにをした? 斗良」


 得体の知れない何かを感じ取ったように、今度は莉結先輩の方が大きく後方に跳びのく。


 よし、この技は莉結先輩にも通じる!

 というより、莉結先輩ほどの達人相手でなければ、意味を為さない技といえるだろう。

 もし、僕らの打ち合いを肉眼で追える人間がこれを見たとしても、傍目にはなんの変哲もない

 蹴りを放ったとしか映らないはずだ。


 でも実は、僕はミドルキックを放つのとほぼ同時に、下段蹴りを放つフェイントも入れていた。

 闘気の力のみによって。

 本物の蹴りを放つのと変わらない鋭さで、闘気のみを放つ。

 頭で考えるよりも遥か先に相手の闘気に反応してしまう莉結先輩だからこそ、フェイントとして

 成り立つのだ。

 貫き手をかすめた時もそうだ。

 莉結先輩の身体は、本人すら気づかない間に、本物とは逆の左肩に放たれた幻の貫き手に反応

 してしまっていた。


 そのことに先輩が気づいていない、いまが最大の攻撃チャンスだ。

 ざっ!

 僕は畳みかけるように地を蹴り、先輩の後を追う。


「む……」


 初めて先輩の顔に焦りの色が浮かぶ。

 先ほどまでの攻撃と比べると、やや精彩を欠いた前蹴りを放ってくる。

 やっぱり先輩ほどの人でも、得体の知れない技に気をとられてしまっていた。

 先輩の蹴りを受け流し、正拳突きを返す。

 闘気のみを放った、幻の突きを。


 本命はこっちだ。

 しゅばぁっ!

 地を蹴り、バク宙の要領で、莉結先輩の顎先を狙い、渾身の力で蹴り上げる。

 サマーソルトキック!

 だが、髪一重の差で先輩は上体を反らし、その一撃を避けていた。

 僕の蹴りを受け、前髪の一部がぱらりと風に吹かれ、舞い落ちる。

 蹴りの余波は先輩の後方へと飛び、海の方へと突き出る形をしていた、断崖を切り裂いた。

 ずがしゃああっ!

 巨大な土塊つちくれと化した崖の一部が海へと落ち、轟音と盛大な水しぶきを上げた。

 ……落ちた崖の上に生き物がいなかったことを願うばかりだ。


「貴様、レディの顔面を狙うとは不届きものめ!」


 そんなことを莉結先輩が叫んでくる。


「その顔面で大岩も割れる生き物を、淑女レディとはカテゴライズしていません!」

「なんだと!? 貴様の辞書を修正してやる!」


 自分は平気でぶっ殺すとか言ってくるくせに、憤る莉結先輩。

 けど、不意ににいっと笑って、


「まあ、今のでお前の攻撃の正体は掴めた。なるほど、小器用なまねをするやつだ」


 その表情から察するに、ハッタリではないだろう。けど……。


「正体が分かっても、どうしようもないと思いますけど?」


 先輩の身体は、僕の闘気による幻の攻撃に、無意識下でも反応してしまうはずだ。

 この技は相手が優れた武闘家であるほど有効なのだ。

 けど、莉結先輩は不敵な笑みを止めなかった。

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