第10話大人の扉

  熱いものが胸の奥からこみ上げて来て、言葉が続けられなかった。大声で泣き出しそうになるのを、必死でこらえる。

 そんな約束をしたのはもう十年も前、小学校のころだった。みゆも、その約束を覚えていたし、ずっと、約束通り、同じ高校へ行くつもりで生きてきた。

 でも、みゆは、同じ高校へ行けるようにと勉強をがんばってはこなかった。違う高校に行くことなど考えずに、フウはどこでも入れるから、などと軽く考えて、毎日、自分は遊んでばかりいた。もし、フウとの関係が、みゆにとって、本当に大切なものなら、みゆはもっと努力しなければならなかったのだ。

 けれど、いくら努力してもかなわないことがあるのも事実だった。みゆが、中学を通して仮に必死に努力してきたとしても、きっと東校には入れなかっただろう。よくてその下、あるいはそのさらに一つ下か。頭の出来が違うと直美が言っていた、その通りだ。

 そして、そうした問題が年を重ねるにつれ切実になる。フウと一緒にいると、まるで小さなころにタイムスリップしたように、心が軽くなって、世の中に深刻なことなんて何一つないような気分になってしまう。でも、気がついてみると、自分たちはもう中学も卒業する年、大人の扉の前に立っているのだ。

 たぶん、そのことにフウはまだ気づいていない。遠い昔の約束を、遠い昔の気持ちのままに、必死で守ろうとしている。小さい子どものように。

「どうしてなの? どうしてぼくが矢津高に行っちゃいけないの?」

「お父さんやお母さんだって東校に行くことを望んでいるでしょう?」

「うん」

 フウはちょっと困ったような顔をした。

「それがあたりまえだって思ってるみたい。矢津高って行ったらびっくりすると思う。でも、考えたんだけど、正直に『みゆちゃんと同じところへ行く』って言おうと思うんだ。そしたらきっと反対はしないと思う。ぼくにとってのみゆちゃんがどんなに大切か、わかってるはずだし、二人ともみゆちゃんのことを信頼してるから」

「信頼って……」

 みゆの心を小さい刃がさした。

 フウは小学校のころは、なにかと人に遅れがちで、みゆが面倒を見てやらないといけない場面が少なくなかった。フウの両親は、「だめな子」という眼でフウを見ていて、わりと厳しかった。そして、機会があるとみゆに「フウの面倒を見てくれてありがとう」と言うのだった。

 子どもたちも弱い者には残酷だったし、先生たちもどちらかというと厄介者扱いをしているように、みゆには思えた。

 実際には、フウはただ極端に臆病で、物事をよく考えるので、人に後れを取るだけだということをみゆは知っていた。

 ほんとうのフウはとてもやさしく、賢い子だとみゆは感じていた。だから、みゆだけはフウのことを理解して、守ってあげなくちゃという気持ちだった。誰よりもフウを理解し、フウにとって一番いいことをしてあげているつもりだった。

 そして、そう、フウもみゆの気持ちを理解していた。フウはいつも、みゆと一緒にいたがったし、そしてみゆにいつも忠実だった。

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