閑話 ケルメス視点/守る強さを得るために(前編)

 北部山岳地帯に、王都からオリーブ・オーカー嬢が派遣されたと聞いたときには肝が冷えた。

 ナイル殿下からの密書に書かれていたので事実だろう。

 貴族の令嬢を危険な地に派遣するのはどうなのかと思いつつ、密書を読みすすめていると「似たもの同士だね。まるで長年連れ添った夫婦めおとのようだ」と締めくくられていた。


「まだ婚姻してはいない!」


 しかもまだ婚約さえできていないのに、と思わず声が大きくなってしまった。移動中の馬車の中であったので、せきをしてごまかした。


 夫婦は置いといて、帝国からの留学生であった、アズライト皇子にも似たもの同士だと言われた気がする。

 俺もオリーブ――学校を卒業してからは心の中でオリーブと呼んでいた――も修行のためにアルブス国立学校を一年早く卒業した。

 確かに行動は似ているかもしれない。

 

 卒業パーティの後、殿下に修行を申し出てから半年もっていないはずなのに、海の上で濃密な時間を過ごしたためか、少し前まで学生だったはずなのに学生気分は完全に抜けた。

 船での生活は刺激的であった。航海は天候に左右され、たまに海賊に襲撃され、船着き場では歓迎されないことも多く、一筋縄ではいかない日々であった。おかげで度胸はついた。泳ぎもうまくなった。今後任務で船に乗っても問題ないだろう。

 下船してからは領地ティリアンに戻り、領地のために働いた。


 冬の修行の地として選んだのは北部山岳地帯ハクドであった。腕に自信のある猛者もさたちが雪山を過ごすのだと風の噂で耳にしていた。家族からはまだ早いと引き留められたが、俺の覚悟を感じとったのか最終的には了承してくれた。

 今から向かえば現地でオリーブに会えるかもしれない。

 自然と移動速度が速くなっていた。


 街が見えた頃、オリーブから贈られた結界石にひびが入り、異変を感じ取った。

 王都からの遠征班はホリゾン領主の館に滞在していると宿屋で耳にし、急いで馬を走らせた。

 街中にひっそりと設置されていた結界石は、台座が新しいのに石には亀裂が入っていた。

 誰よりも彼女と長くいた自分にはわかった。結界石に込められた魔術はオリーブのものだった。


 領主の館にたどりつき、馬からおりた。館の玄関からは見知った魔術が見えたので、そこに彼女がいるのだと信じて突っ込んだ。


「オリーブ!」


 間に合った喜びに浸る余裕はなく、迫り来る敵の一撃を剣で受け止めた。敵の大剣は重く、失敗したら怪我ではすまされない。

 背後にいる彼女の気配を感じつつ、目の前の敵と相対する。大剣に見劣りしない大柄な体格。顔の傷も相まって、迫力がある大男だ。国一番の結界魔術師を破ったのだから、よほどの遣い手だろう。


「ハッ、おもしれぇ」


 男はわらっていた。

 こちらの思惑通り、男は標的をオリーブから俺に変更した。剣筋も変わり、手数が増えて斬り合いを楽しんでいるかのようだ。


「……赤紫、こっちじゃ肩身が狭かったよなァ?」

「知った口を!」


 赤紫とは俺の髪色のことだ。

 紫は帝国の色だと、幼子だって知っている。

 生まれてから奇異の目を向けられ続けた。

 頭に血がのぼりそうになるのを理性で抑える。大切な人が理解してくれるならば、誰になんて言われようと気にしてはならない。

 言葉にもフェイントにも惑わされずに処理する。


 切り結んでいる間に足元から天井へ伸びていた結界魔術が消失した。術者のオリーブに何かがあったのだろう。急いで駆け寄りたい気持ちを抑える。


 視界が明瞭になったからか、外に待機していた騎士たちが玄関に流れこんできた。


「チッ、しまいか」


 多勢に無勢と判断したのか、男は俺から距離をとり、ズボンのポケットからスクロールを取り出した。


「じゃあな、


 転移魔術のスクロールを使用した男は風のごとく消えた。

 現代では転移魔術を使用できる者はおらず、はるか昔に作られたスクロールが残っているのみ。入手困難な遺物をなぜ持っているのか、下っ端が考えることではない。

 オリーブが心配だったので、気持ちを切り替えて彼女のもとに向かう。倒れたらしく、居合わせたランプブラック卿が彼女を抱き上げようとしていた。


「俺が運びます」


 醜い嫉妬だとわかっていながらも乱入し、オリーブを横抱きにした。


「ティリアン辺境子息。心がけは殊勝だが、道はわかるのか?」

「……わかりません」

「騎士団員に案内させよう」

「助かります」




 ホリゾン領主の館の医務室のベッドに彼女をおろし、毛布をかける。

 それから時間があいたときにオリーブの様子を見に行った。安らかな寝息は生きている証だった。

 目覚めを待つ間、あの大男の言葉が何度も蘇る。


「……兄弟、か」


 呟いた瞬間、寝ているはずのオリーブが動いた。

 自身の体に違和感を覚え、視線を下げると彼女に腕をつかまれていた。「行かないで」と引き留められているみたいだ。


「無論、俺の居場所は貴方の隣だ」


 彼女のたおやかな手に、俺のかたい手を重ねて誓った。



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