37帰還

 遠征二日目の朝、普段よりも早い時間に動物の鳴き声で目覚めた。

 隣に視線を向けてみると、クリスさんはいなかった。

 動物の鳴き声には詳しくないので、外を警戒し、宮廷魔術師のローブを羽織はおってテントから出た。


「……ない」


 他にも数個テントが立っていたのに、私とクリスさんが寝ていたテント以外、片付けられていた。

 私が寝ていたせいだとわかり、顔から火が出そうだ。

 クリスさんのホリゾンブルーの髪はすぐに見つかった。


「クリスさん! どうして起こしてくれなかったんですか!」

「おはよう、オリーブちゃん。出発時間は決めてないから、まだ寝ててもいいわよ」

「でもテントが片付けられてて……!」

「腹ペコが多くて、待っている間に片付けたみたい。天気が変わらないうちに出発したいけれど」


 朝食はサンドイッチだった。

 ちょうど一人分残されていて、配慮を感じつつも恥ずかしさに襲われた。


「食べ終えたら声をかけてちょうだい。テントにいるわ」

ふぁふぁりまひたわかりました!」


 急いでいたら喉に詰まりかけて水を飲んだ。

 サンドイッチには焼かないパンにチーズやハムが挟まれていた。食べやすい上にゴミも少ない。手早く食べ終えてテントに戻ると、すでにテントは片付けられていた。


「クリスさんっ、手伝えなくてごめんなさいっ」

「うん? テントのこと? 人手があまってたから、あなたの出番はなかったわよ」

「でも……でも……」


 申し訳なくてしゅんとしていたら、クリスさんに頬を引っ張られてぐりぐりされた。


「『でも』しか言えないほっぺには、ぐりぐりの刑だわ」

ひゃめてくださひやめてください~」


 ――お父様にもお母様にもされたことないのに。

 目じりに涙が浮かんできた頃、解放された。


「さあ、下山するわよ!」


 私が起きるまでに荷物の割り振りを終えたようで、私は自分の荷物だけを持って下山した。

 昨日と同様にクリスさんが先頭を歩き、私は彼女の後ろをついていった。

 夜に雨が降ったらしく、地面が濡れていた。滑らないよう細心の注意を払う――なんてことはなく、結界魔術でズルをした。

 結界を応用して、地面に足をつけずに歩いているとは気付かれなかった。つまずいたり、靴が汚れたりしないので便利なのだけれど、学友には渋い顔をされたので秘密にしている。足裏に細工しただけで、自分の足で歩いているのに。


 拠点に立ち寄り、調理道具もきれいに洗って拠点に返し、荷物を軽くする。

 山のふもとで馬車に乗り、領主の館に向かう。

 今のところ他の班とはすれ違っていない。救難信号はなかったので無事に終わったのだと思いたい。


 領主や使用人の方々が帰りを迎えてくれた。

 到着した安心感でどっと疲れが押し寄せてくる。温かいお湯につかって、気がすむまでまどろみたい。

 街がオレンジ色に染まる前に到着したので、夕食を含めてこの後は自由時間だ。明日は全員で報告会をするらしい。寝過ごさないよう、早めに寝てしまおう。

 玄関ホールでねぎらわれ、自室に戻ろうとしたらクリスさんの弟さんがやってきた。


「オーカー侯爵令嬢、ご無事でなによりです」

「あ、ありがとうございます……」


 生きて帰ってくることは当たり前だと思っているせいか、弟さんが私の身を案じていたと気付くまでに時間がかかった。

 思い返せば王都のタウンハウスで迎えてくれるのは使用人ばかりだった。家族は領地にいるので、自分と同年代の子どもに声をかけられたのは、第一王子とその側近候補以外だと初めてかもしれない。

 なんだか変な感じだ。どう返事をすればいいのかわからない。


「山登りの話をぜひともお聞きしたいですが、お疲れだと思いますので今夜は早めにお休みください」

「そうさせていただきます。お気遣いありがとうございます」


 旅の話をせがんでくるかと思いきや、距離感をわきまえてくれるので助かった。

 弟さんが大人の対応をしてくれたので、このまま自室に戻ってしまおう。


「トーパじゃない。とっておきの話があるんだけど、聞いていかない?」

「姉さんも元気そうでなによりです。後でゆっくり聞きますから、夕食まで体を休めてください」


 帰りを迎えてくれる家族がいる。二人の時間を邪魔しないよう、足早に自室に向かった。




★-----------------★




 翌朝、朝食後に集合がかかった。

 誰も遅れずに訓練場に集合し、山登りの成果を報告し合う。

 先行班は黒い霧をまとった小動物の群れに遭遇し、数人負傷。命に別状はなく、安静状態らしい。

 山のふもとにいた班は大きな異変に遭遇せず、黒い霧が空に立ち昇る瞬間を目撃したらしい。

 私たちクリスタル班は大型魔獣を一体討伐した。黒い霧が魔力ならば、吸い上げたり閉じ込めたりできるのではないかという話になった。

 私は出動要請まで待機となる。間欠泉や氷河も行先の候補にあるらしく、防水準備もしておこう。

 行先がどこになっても、私の目的が推しのためである以上、ここでつまずくわけにはいかない。推しの死を回避するために、私はまだ死ぬわけにはいかない。


「……落ち着こう」


 感情が高まりすぎたようで、魔力が漏れ出てしまった。足元から伸びている白い糸を足で踏みつけた。

 山の中にあった黒い霧は魔力だまりと呼ばれていた。人間だって自身の魔力を制御できなければ、出会ったばかりのシルバーのように振り回されてしまう。


 自室で考えていたらお昼の時間を過ぎてしまっていた。

 慌てて食堂に向かうと、誰もいないと思っていたのに先客がいた。

 遠目でもわかる大きな体格に黒い髪。ランプブラック卿だ。


「ランプブラック卿。遅いお昼ですか……?」

「うむ。食べ損ねてな」

「私は次の作戦について考えていたら時間が過ぎていて」

「考えるのは大人に任せ、おまえは自分のことだけ考えろ」


 まだ子どもなのだからと暗に言われた気がして、くやしさで唇をかんでしまう。

 お昼はピザだったようで、あまりもののピザをランプブラック卿と分けて食べた。彼がたくさん取り分けてくれたので、そんなには食べられないと断った。


「結界魔術の応用はおまえから助言をもらう。その際は力を貸してくれ」

「わかりました!」


 私にできることがあると知り、上機嫌でピザを頬張る。少し冷えたせいか生地がかたくなっていたけれども、とてもおいしい。


「おまえは大人にいいように使われていると思ったことはないか?」

「んー、ありません。私の力で生存率が上がるならば、いかようにもお使いください」

「生か死か。荷が重くはないのか?」

「……守りたい人がいるんです。その人を守れる力を得られるなら、なんだってします」

「殊勝だな。おまえが望むならば構わない。おれにできることがあれば教えてくれ」

「いいんですか? この前の試合を見て、ランプブラック卿とも訓練したいです」

「よかろう。王都に帰還後、オーカー侯爵を通して連絡しよう」


 上官を前にして、なごやかに食事が進んだ。

 生きて帰る目標が再びできて、次の遠征も楽しみになってきた。


 ――ケルメス・ティリアン様。お元気でしょうか。私はまだまだ強くなります!




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