36テントでの語らい

 絶命した熊から魔力が抜けて元の大きさに戻ると、今夜は熊肉だと騎士団たちが盛り上がった。

 大捕物の後ということで早めに野営の準備にとりかかる。

 怪我人は回復魔術師の治療を受けて安静にしている。結界のおかげで大きな被害はなかったものの、足をひねったり打撲したりといった症状は防げないので回復魔術師たちに任せるしかない。

 魔力だまりはとりついていた動物が亡くなったので消失した。気体なのか液体なのか調べたかったのに残念だ。前者ならば空気に漂っているので、真空状態にしたらどうなるのだろう。後者ならば湖の水を飲み込んだり他の動物の血液から感染したりするのだろうか。

 ホリゾン騎士団がどの程度の情報を手に入れているのか気になる。


 陽が落ちる前に熊肉の串焼きとスープを作った。

 生まれたときから出されたものを食べるだけで食事に拘泥(こうでい)しないので、おいしいかと聞かれるとわからない。


「うんめぇ。やっぱ家畜の肉とは違うぜ」

「脂がいい! もっとくれ! じゃんじゃん焼け!」

「肉祭りじゃ~!」


 騎士団の男性たちが肉に集まって騒いでいた。

 家畜の肉とどう違うのだろう。熊肉は天然の山肉なのか。普段タウンハウスで食べていた肉は何の肉か問われたら答えられないほど食に興味がなくてごめんなさい。

 食べられればいいのだ。数少ない前世の記憶にも食事については全然なかった。


「オリーブちゃん、食べてるかしら~?」

「……クリスさん」

「姿が見えないなあと思ったら、高いところが好きなのね」

「見渡せる場所が好きなんです」


 丘の上で一人、風を浴びていたらクリスさんに声をかけられた。彼女は髪をまとめていた紐をとき、長い髪を下ろしていた。ホリゾンブルーの淡い色の髪は月の光を受けたら輝きそうだ。――シルバーのように。


「みんなのところに来ない?」

「お誘いは嬉しいですが、行きませんよ。一人の方が気楽なので」

「もしかして家でも一人?」

「私以外は領地にいるので、まあそうなりますね」


 使用人たちは私と食事の席をともにするのは恐れ多いと遠慮する。研究室だとマロンさんがお菓子を用意してくれるので、アフタヌーンティーを楽しむぐらいか。


「オリーブちゃんって……寂しい子?」

「自由に言ってください」


 孤高だと表現されることはあれ、寂しいと直球に言われたのは初めてかもしれない。

 推しを守りたい気持ちを共有できる人はいないので、それは確かに寂しい。

 ゲームを起動したらゲームの中にはたくさんの登場人物がいたので、一人かといえば一人ではない。常に誰かが四角い箱の中にいた。


 熊肉を食べ終わり、串を膝の上に置いた。

 夜の風は冷える。すでに立てておいたテントの中で夜を過ごす予定だ。

 推しも今頃同じ風をどこかで感じているのだろうか。


「……ティリアン様」

「ティリアン様って誰のことかしら」

「ひぎゃっ!? クリスさんっ、まだいたんですか……」

「あなたの監視――いえ、管理があたしの仕事だもの」


 最年少の監視も業務の一環ということか。

 近寄ってきたクリスさんに背後に立たれ、私の首の後ろがぞわぞわした。

 協力関係にあるので警戒しなくてもいいのに、私の結界を壊せる人物だからか安心できない。


「テントも一緒よ。一人一つを与えられる余裕はないわ」

「わかってます」


 テントに到着したら宮廷魔術師のローブを脱ぎ、素早く寝袋に潜り込み、話したくないという意思表示でクリスさんに背を向けた。


「オリーブちゃん、寝るまであたしと話さない?」

「しません。本日の就業は終了しました」


 テントを中心にした獣除けと外敵侵入不可の結界は設置済みだ。人間は問題なく通れるので、結界石もあるし、改めて報告しなくともいいだろう。


「まったく、しょうがない子」

「……感じているとは思いますが、私は愛嬌あいきょうを振りまくのが得意ではないので」

「あなたの魔術の腕に愛想もついてきたら、よからぬ輩が集まりそう……。愛嬌は自分を大切にしてくれる相手だけでいいわ。近寄るなゲスが、ぐらいの意気込みでいなさい」


 凛としたクリスさんから『ゲス』なんていう言葉が出るとは思っていなかっため、頭の中で『近寄るなゲスが』という言葉が何度も繰り返されてしまう。

 近寄るなゲスが。近寄るなゲスが。近寄るなゲスが――。

 私の頭の中で、クリスさんが目をかっぴらき、近寄るなゲスがと叫んでいる。

 肩を震わせて笑いそうになり、寝袋の中でもぞもぞ動いてごまかした。


「自分を大切にしてくれない人に、愛想よくする必要なんてないわ。年長者からの助言、ありがたく受け取りなさい」

「……ありがたく頂戴します」

「うむ、よきにはからえ」

「その台詞、言ってみたかったんですか?」

「ここぞというときに言いたくならない? 弟には無視されるけど――」


 話している相手の声が遠のいていく。

 やってきた眠気に体を任せ、目を閉じた。




★-----------------

◆大型魔獣を討伐しました


◆関係者との友好度が上がりました


◆北部山岳地帯ハクド シナリオ進行度:■□□

-----------------★




 隣から寝息が聞こえてきて、クリスタルは静かにテントから出た。

 結界石があるとはいえ、夜には火をたかないと野生動物が近寄ってくる。夕食の匂いや人間の匂いを感知し、すぐそばに隠れているかもしれない。未成年であるオリーブには火の番について教えなかった。優しい彼女のことだから、自分だけはずされたと知ったら己を責めてしまうかもしれない。


 遠征隊の魔術師と火の番を交代し、椅子がわりの丸太に腰をおろした。


「はあ……。初日で大物を引いたけれど、無事に終わってよかったわ」


 大きな怪我なく討伐を終えられ、全員の自信に繋がっただろう。黒い霧が魔力ならば、今後魔力吸収系の魔術が役に立つに違いない。

 恐れずに挑む前衛、大規模な魔術や傷ついた者を癒やす後衛。両者をつなぐ中衛。構成員の連携も申し分ない。

 結界魔術の常識はここ数年でくつがえされた。体験して身をもって知った。試合で彼女の実力を把握したのも良い方向に作用した。戦闘への運用は目で見なければわからなかっただろう。

 き火を見つめると無心になれる。炎の形は常に変化して、過去や未来に引っ張られずに、今を生きていると感じる。


「…………はっ」


 肩を叩かれて、我に返った。交代の時間のようだ。


「頼んだわ」

「副団長もたっぷり休んでください」


 じゃ、と手を振ってテントに戻る。

 入り口を開けると、先に寝ていたオリーブのかわりに人間の大きさほどもあるまゆが置かれていた。


「オリーブちゃん?」


 オリーブの寝方は特殊であるが、手を出さないようランプブラック卿より指示を受けている。彼女に個室を用意したのも、誰にも気付かれないようにするための配慮であった。


 まゆの隙間から人体が見える。頭部を観察すると、黄土色オーカーの髪が絡まっていた。呼吸音さえ聞こえないが、オリーブは確かにここで寝ているのだろう。


 なんともいえない光景に喉の奥が詰まった。触れる気はなくても、近寄ってみたら透明な壁にぶつかって弾かれた。寝ている間も結界を発動しているなんて心配性にもほどがある。いるかどうかもわからない、暗殺者に怯えているみたいだ。

 成虫になろうとしているさなぎか。己を守るためのゆりかごか。

 会ったばかりゆえに判断がつかないとはいえ、翌朝元気に起きてくれればいい。こちらから彼女の秘密を暴く必要はない。


「素敵なベッドね。明日も頼んだわ」


 何が彼女を追い立てるのか、いつか聞けるだろうか。




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