32試合準備

 旅の疲れを考慮して、目覚まし時計の時間をやや遅めに設定していたのに、体内時計のおかげかいつもと変わらない時間に起きた。

 西窓なので薄暗い。

 ゲーム内には時間経過があり、前世と同じく六十秒で一分、六十分で一時間、二十四時間で一日となる。

 身支度を整え、顔を洗い、魔術師のローブを着る。悪夢のせいか陰鬱いんうつな気持ちで食堂に向かった。



「オリーブ、おはよう! 朝から会えるなんて得した気分だわ。まさか運命?」

「えー……」


 朝から騒が――げふんげふん。ご機嫌のクリスさんに出会い、げんなりする。

 昨日と変わらず、クリスさんの前にはライ麦のパンが積まれていた。

 朝はビュッフェ形式らしく、私はパン一個とサラダとラム肉のスープを選んだ。はじっこの席に座ろうとしたら、クリスさんに手を振られて無視するわけにもいかず、彼女の正面に座った。

 私があたたかいスープを飲んでほっこりしているうちに、パンの山がクリスさんの胃の中に消えていく。


「んぐぐ……ごちそうさま! これから早朝訓練だから先に失礼するわ」


 あんなに食べて、朝の訓練は大丈夫なのだろうか。

 体のつくりが私と違うのだろう。私は無理せずにゆっくり食べた。



 自室で歯を磨き、土壌採取キットをポケットに入れてから玄関に向かう。

 興味本位で話しかけられるのも面倒なので、ほどよく存在感を消しながら歩いていく。

 完全に気配を消すと侵入者に間違われる可能性があるので、専門職以外には感知されない程度がよい。壁を凝視して染みを見つけるぐらいな感じで。

 外に出ると、門番のように仁王立ちしていたランプブラック卿と目が合った。

 彼の黒髪に金色の瞳という組み合わせは猫を想像させるとはいえ、上官なので緊張してしまう。


「ランプブラック卿、おはようございます」

「おはよう。初日はよく眠れたか?」

「はい、眠れました。……あの、個室なのは私が侯爵令嬢だからですか?」

「オーカー侯爵とは昔からの友人でな。彼の要望だ」

「お父様から……」


 進学のために領地を出てから、家族と顔を合わせる機会はめっきり減った。

 遠征中に家族を思い出してしまい、郷里に思いをはせる。無事に到着したと絵葉書を送ってみようか。

 ランプブラック卿に行き先を尋ねられ、歓迎試合の下準備だと伝えると満足そうに頷かれた。気合注入のためか背中を叩いてくれたが、ランプブラック卿は成人男性の平均よりも大きく、力も強いので、前につんのめりそうになった。


 ランプブラック卿と別れ、気配遮断の結界を自身にかけ直し、館の周囲を探索する。

 気配を薄めても、足元に結界は張らない。地面に靴の跡を残し、足の裏から地面の固さを確かめる。飛び跳ねても崩れないので、作戦の幅が広がりそうだ。


「ふむふむ……」


 同じ研究室のカーキさん用に土壌採取もすませる。

 暖かい地方と寒い地方で土も変わるだろうか。海辺の砂や砂漠はなんとなく想像つくけれども。

 土と戯れながら、自身の魔力をなじませる。初日のうちに館の内部は掌握した。ポケットの中に入れていた地図を広げて、大地の根を少しずつのばしていく。

 顔を上げると、紫がかった山が見える。あの山が遠征の目的地だ。大地の根は山までは届かない。高い魔力をもつ存在が山にいるらしく、制圧までに時間がかかる。

 ひとまずは午後からの歓迎試合だ。

 土壌サンプルをポケットにしまい、部屋に戻った。




★-----------------★




 道端にうずくまるオリーブを、上階から見下ろす者がいた。

 ホリゾンブルーをふんわり切りそろえ、黄玉トパーズ色の瞳が輝く。垂れた目は柔和な印象を与えるのに、表情は硬い。細身で胸板は真っ平ら。少女とみまがうほど線の細い少年であった。

 シャツのボタンは一番上まで丁寧に留められており、ハーフパンツからのびた脚は白く、真夏の太陽の下で遊んだような色ではない。


 オリーブが視線を上げた際にとっさに頭を下げ、彼女がいなくなってから彼は再び窓から顔を出した。


「館にあんな方、いたでしょうか。地面にうずくまって……。あっ、王都から派遣された兵が到着したと父上が言ってました」


 少年は目を細めた。


「彼女も兵……? ぼくと同じくらいの女の子が……」


 眺めた先には誰もおらず、街は日増しに秋色しゅうしょくが濃くなっていた。




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