閑話 ケルメス視点/オリーブ・オーカーという少女(前編)

 はるか昔、紫の染色には貝を使っていた。

 1グラムの色素を得るには2000個もの貝を必要としたらしい。

 貴重さに権威を結びつけて、ウィスタリア帝国は国の色を紫と定め、他国の王族たちに紫の使用を禁じた。

 やがて皇帝の資格がある者には『紫』が贈られるようになった。髪の色、瞳の色といった外見的特徴にその『紫』は現れた。


 ティリアン辺境伯爵の三男として生を受けた俺の髪は赤みがかった紫色であった。有識者によると『帝王紫』というらしい。


 屋敷から一歩出ると針のむしろであった。

 向けられた視線が、浴びせられた暴言が、投げられた石が、俺の異常さを物語っていた。

 家族は俺を真綿で包むように守ってくれた。

 いつまでも守られているわけにはいかず、帝国と国境を面していることもあり、剣をとった。


 世界が変わったのは、オリーブ・オーカー侯爵令嬢に出会ってからだった。


 俺が十一歳のときに招かれたガーデンパーティーでは、襲撃にあった。

 その襲撃が余興の一部であったと知らされたときには怒りがわいたが、思い返せば目立つところに刃をつぶした剣があるのはおかしかった。


 彼女と引き合わせてくれたのも感謝している。

 見知らぬ魔術を行使し、異様な雰囲気をまとった彼女。見慣れた土色の髪のせいか、近寄りがたさはなかった。


 彼女が襲撃者に狙われたとき、俺は突き動かされたように駆け出した。

 非力な女の子を守ろうとしておどり出たのに、彼女は後ろでおとなしくしてはくれなかった。攻勢に転じる機会をうかがっていた。


「そこのあなた、合図したら私とかわりなさい。3、2、1――」


 武器もない彼女に何ができるのか。

 他に策はなく、自信たっぷりの声にかけてみようと、合図で身を引いた。

 小さな体で大人を吹き飛ばす彼女の姿を、一生忘れはしないだろう。




 ナイル・ブルー・テラコッタ第一王子の側近候補として選ばれたとき、己の努力が認められたと感じた。

 顔合わせの中には黄土色の髪をふんわり伸ばした彼女がいた。


「オーカー侯爵が娘、オリーブ・オーカーと申します。どうぞお見知りおきを」


 同い年か疑いたくなるほど、彼女の芯は太かった。陛下に将来について尋ねられたときも、よどみなく答えていた。


 子どもたちは目立つ魔術を好む傾向にあったので、防衛魔術と聞いていぶかしむような視線を向けられても、彼女は毅然きぜんとした態度をとった。


 そんな彼女が俺の前でだけ相好そうこうを崩した。

 紫が国内でどのような扱いをしているか知っているだろうに、俺に話しかけ、笑いかけてくれた。

 『推し』が何を意味するのか知らないが、俺のことを『推し』だと熱く語って周囲に言いふらした。

 どこからか視線を感じたときは大抵彼女のものであった。遠くから見られているよりも、近くの方が心理的安全感があるので、隣を許した。

 訓練中、俺の速度についてこれる魔術師は彼女しかいなかったというのもある。


 王宮でたまに会う彼女は日に日に成長していた。普段は見習いローブで隠していたが、時折ちらりと見える胸元や腰にどきどきした。伸びた髪に触りたくてたまらなかった。

 アルブス国立学校に入学し、毎日顔を合わせるようになってから、俺は必要以上に己を卑下ひげしなくなっていた。

 彼女の隣に並び立つために研鑽けんさんを重ね、その最中で自己肯定感を得た。

 入学記念パーティーで赤色のドレスを身にまとった彼女に、もしかして俺の瞳の色なのではと胸がざわついた。

 学生時代のうちに綺麗な思い出を作りたくて、「思い出をください」とダンスを申し込んだら、「よろこんで」と手を握り返してくれた。


 辺境周辺には不穏な空気が渦巻き、帝国から送られてくる間者の対処に追われている。

 学校生活を満喫してこいと家族に送り出されたものの、後ろめたさを拭いきれなかった。

 必要に迫られたら、殿下の側近から辞退しようと考えている。王国をおびやかすものの撃退が国の平穏につながるため、最初は引き留められても、最終的には許してくれるだろう。

 心残りがあるとすれば、長年寄り添ってくれた防衛魔術の使い手、オーカー嬢のことだ。彼女が辺境に来てくれるならば心強いが、ついてきてはくれないだろう。現に婚約の申し出を断られている。辺境で雇うとしても、宮廷魔術師の方が名誉も給与も高いだろう。命のやりとりだって辺境と比べれば少ないに違いない。


 守るべき優先順位を考えているうちに、帝国から留学生がやってきた。

 藤色の髪に藍銅鉱アズライトのような瞳。一目ひとめで皇帝の血筋だとわかるで立ちであった。

 教室にやってきたとき、彼はこちらを見て、目を見開いた。驚愕をあらわにしたのはほんの一瞬で、まばたきする間に人あたりがよさそうな笑みに変わっていた。




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