15あなたの幸せを教えて

 朝から雨が降っていた。


 卒業式は屋内で開催され、優秀な成績を修めた生徒の名が呼ばれたり、学校長のありがたい話を聞いたりした。


 お昼頃から卒業記念パーティーが始まった。その頃には雨はやんでいた。


 エスコートは不要なので、入学記念パーティーと同様に推しの瞳の色である、赤色のドレスを選んで友人らと踊った。

 同じ教室で過ごした学友たち。ときには仲間として、ときには好敵手としてぶつかり合った騎士科や魔術科の生徒たち。

 ひととおり踊り終えてから推しと踊った。

 踊りながら推しのカフスボタンがオリーブ・グリーンであると気付き、彼の手首に気を取られてしまう。うっかり転びそうになると、推しが支えてくれて難を逃れた。


「ありがとうございます」

「当然のことをしたまでだ。礼はいらない」

「ふふっ、頼もしいですね」


 音楽に身を任せ、くるりと回る。

 戦闘訓練でペアになることが多いからか、息がぴったりで心地よい。体力作りの成果は動きのに現れた。


「貴方と最初に踊った日が懐かしいな……」

「私も昨日のことのように思い出せます」


 ナイル殿下の側近候補に挙がってから、舞踏会や生誕祭で何度も一緒に踊った。合法的に手をつなぎ、腰を抱かれ、顔を近付けるこのイベントを逃すとでも?

 そういえば、入学記念パーティーでの「思い出をください」とはなんだったのだろう。


「オーカー嬢、少し話さないか?」


 曲が終わり、踊る人たちの輪から抜けた。


 護衛対象のナイル殿下はもう一年学ぶため、鷹揚おうように構えていた。テーブルでくつろぐ姿も様に見えるのだから王子という身分はすさまじい。

 手を振られたので、御用伺いのために近寄ると、ナイル殿下は上機嫌で話しかけてくる。


「二人とも素敵だったよ。ちなみにオーカー嬢の今日のドレスもケルメスを意識したのかな」

「わかりますか!? ティリアン様は私の生きがいですから!」


 今日のドレスもだなんて、殿下は目ざとい。

 胸を張って生きがいだと宣言したら、隣にいた推しがせき込んだ。


「ケルメスのカフスボタンも、気付かれないと思ったか?」

「……恐れ入ります」


 殿下の指摘で目をそらした推しの顔が真っ赤になっている。

 彼が何に照れているのかわからず、首を傾げていると殿下の視線がささって痛い。


「君たちが先に卒業だと思うとさみしくなるな」

「殿下、首を長くして待っててください。必ず立派になって帰ってきます!」

「期待してるよ、オーカー嬢」

「はいっ」

「もちろんケルメスにも期待してるぞ。色々と」

「ご期待に応えられるよう精進致します」

「うむ。二人ともしばらく会えなくなるだろうから、気がすむまで楽しんでこい。今日の護衛は他の者に任せる」


 私とティリアン様は一年間の修行に出かける予定だ。修行先は異なるため、一年後まで推しと会える可能性は限りなく低い。

 別れを意識するとしんみりしてしまい、殿下に一礼してからティリアン様とともに庭園に出た。


 冬を乗り越えた先にある、やわらかい光が庭園を照らしていた。

 庭園に置かれた白いベンチは雨でぬれていたけれども、推しがベンチの水滴をとばしてくれたので、並んで座った。

 推しの方に無意識に寄りかかりそうになってしまい、はっと背筋を伸ばした。

 それでも気がゆるんでしまい、青空を見上げながらあくびをしてしまう。


「眠いのか?」

「えっ、いや、平和だなあと……」


 退屈からのあくびではないと推しに弁明した。


 心地よい碧落一洗へきらくいっせんに、あらゆる糸がほどけそうになる。

 つかの間のひととき。ゲームでも学校卒業時点で大きな事件は起きなかったはずだ。


「オーカー嬢も修行にいくと耳にした。家庭を守るのはまだ先か?」

「はい、先ですね。家庭に収まる予定は今のところありません。先日弟と妹が生まれたので、可愛がってあげようとは思ってます」


 一年生の終わりにお父様が王都のタウンハウスにやってきた。お母様を領地に置いてきたのは、ちょうどその頃お母様が妊娠していたらしい。

 二年生にあがり、私が留学生を接待している間にお母様は無事に出産されたようだ。アズライト皇子から逃げるために休学していた際に領地に帰って弟と妹の顔を見てきた。もちもちのふわふわだった。へらへらした笑顔が愛らしかった。


 遠まわしに推しから結婚について聞かれ、予定はないときっぱり否定した。

 なんだかティリアン様が残念そうであるが、修行で怪我をしないか心配してくれているのだろうか。両手の親指をぐるぐるさせている。なかなか見かけない仕草が貴重で目に焼き付ける。


「……婚約話は出ていないのか?」

「ありませんねぇ。落ち着いたら、お父様が良縁を引っ張ってきてくれると期待しています」


 推しの悪堕ち死亡フラグを折るため、立ち止まっている時間はない。家庭に落ち着く時間もない。推しが幸せにならなければ、自分の幸せだって感じられないに決まっている。


「ここだけの話なんですけれど、実は幸せにしたい人がいるんです。幸せにしてからじゃないと、私は幸せになれないかもしれません」

「……それは、幸せへの罪悪感か?」

「いいえ、行動理念です。原動力と言ってもいいですね。幸せになってほしい人のために、私の全力をささげてきました。私しか推しの笑顔を守れないならば、なんだってやってみせます」

「そこまで貴方に思われるとは、相手は幸せ者だろう」

「本当ですか? そう思ってくれたらいいんですが……ちなみにティリアン様は幸せですか?」

「生きることが幸せなら……幸せかもしれない」


 ほーら、そういうところなの! 自己肯定感の低さ! 地面に穴をあけて海に沈むレベル! なーんで生きることと幸せを結びつけるのかな? 食事とか睡眠とか趣味とかじゃないの!? 私はもちろんあなたを推すこと!


 激しく突っ込みたいけれど自制する。

 生きている間しか幸福感を感じられないのに、どうして悪堕ちしてしまうのか。悪堕ち自体は個人の自由だから百歩ゆずったとしても、矢面に立ち、挙げ句の果てに散ってしまうのか。

 第一線から退いて、僻地へきちでのうのうと暮らせばよかったのに。


「……ううっ」


 膝の上に置いたこぶしがぷるぷる震えてしまう。

 幸せを知らない人に幸せを聞いてしまった己の残酷さを呪いたい。


「オーカー嬢? 俺の答えがおかしかったか?」

「違うんです……聞いた私が悪いんです……ごめんなさい。私、もっと頑張るから」


 あなたの幸せが見つかるよう、必ず悪堕ちフラグを折ってみせるから。どうか死なないで。


「ティリアン様、私と約束してくれませんか?」


 推しが神妙な面持ちでこちらを見た。

 はあ、そんな顔も素敵……ではなく。


「あなたの隣に立つのは私です。他の方には絶対に渡しません。だから修行から戻ってきたら、またよろしくお願いします!」

「こちらこそよろしく。貴方が背中を守ってくれるなら心強い」


 握手をした。推しに触れた手を洗いたくない、なんてことはないけれど、残ったぬくもりを忘れたくない。


 照れくさくなり、はにかんだ。

 それは彼も同じようで、耳が赤く染まっていた。

 もしかしたら私の頬も赤くなっているかもしれなくて両手で隠した。彼の耳の赤さを見るよりも、自身の照れ隠しに必死だった。


「……戻るか」


 先に立った彼に手を差し出され、彼の力を借りて立ち上がる。

 会場内に戻るまでそのまま手をつないでいた。この手を離したくなくて、思わず手に力を込めた。




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