最後の一文で、貴方に恐怖が襲ってくる怪談

七星点灯

 ホテル ミヤコワスレ



「こんなとこにホテルなんて無さそうだけど。道、間違えてるのかしら」


 彼氏に「同じ名前の女がいるから」と訳の分からない理由で振られた。私の人生で一番理不尽な言葉。

 そんな一方的な失恋により、自慢の長い髪をバッサリ切った私は、新たなスタートとしてとあるホテルに予約をいれた。


カーナビに独り言を呟きながら真っ暗な山道を進む。


 そのホテルは「都会を忘れる」というコンセプトなだけあって山奥に建てられており、その道中は舗装されておらず、私は車を思うように動かすことが出来ない。


 もう22時を過ぎているのに目的地のホテルどころか、建物すら見える気配がない道が続く。


 月に覗き込まれ、木々のざわめきが私を手招いているようで気味が悪い。ゆらゆらと流れる時間のなか、不安や恐怖に煽られ、もう引き返えそうかと思った瞬間、ようやくホテルが私を迎えに来た。


 視界の先に建物が見える。ハイビームに照らされたそのホテルはレンガ造りの5階建てで、これといった装飾はされていない。


 さっきまで山道を走って来たから分かるのだが、周りの世界から隔離されている。


ミスマッチだ。


「絶対おかしい、誰も来ないわよこんなとこ」


私は車を止め、おそるおそるホテルに近づく。


 建物の正面真ん中にガラス張りのエントランスらしき所があり、その上に貼り付けられた看板と目を合わせる。


「ミヤコワスレ」、ホテル自身の自己紹介かのように文字が目に入ってくる。


エントランス前で私が訝しんでいると、ひんやりとした風が吹く。


「ご予約のお客様でしょうか」


中からホテル関係者らしき男が近づいてきて笑顔で聞いてくる。


 彼の笑った時に見える真っ白な歯がとても印象的だ。大学生ぐらいだろうか、私より年下に見える。


「えっと、多分そうです。その、ホテル都忘れってここであってますか?」


「左様でございます。恐れ入りますが、お名前を伺っても宜しいでしょうか」


「あっ、はい。黒澤です」


「クロサワ様、少々お待ちください。確認させていただきます。」


 そう言って彼は左胸ポケットから手帳らしきものを取り出し、私の名前を探し始める。


 なぜかその間も口角は上がったままで、彼が接客をするようにプログラムされた機械のように見えてしまう。


「クロサワ ユウカ様でよろしかったでしょうか?」


目線を合わせ、また笑顔で聞いてくる。


「そうです。夜遅くにすみません、少し道に迷ったみたいで」


「お客様ならいつでも大歓迎です。長旅お疲れ様でした。既にお部屋はご用意してありますので、ごゆっくりお休み下さい。」彼は滔々と話す。


「そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございます。」私は少し頭を下げて礼を言った。


その様子を見てもなお、一切笑顔を崩さないので気味が悪い。


「ではわたくし、小田巻がクロサワ様をお部屋にご案内させていただきます。それと、お荷物もお預かりいたします」


 そう言って小田巻という男は笑顔で私のキャリーケースを持ち、ホテル内へ大股で入ってゆく。私も小田巻の後ろを早歩きで付いて行くのだが、距離が縮まる気配がない。


疲れてるからだと勝手に解釈した。


ホテルのエントランスはシンプルだ。


テニスコート二面分の広さの空間に、入ってまず正面にフロント、右手側には大きなL字型のソファー、左手側にエレベーターが2機。


 ホテルとしては平均的なのだが、私以外にお客さんがおらず、少し不安がある。ちょうど降りてきたエレベーターに小田巻と乗り、ゆっくりと地上から離されていく。



ポーン


 3階でドアが開くと視界いっぱいに暗闇が広がっており、予想外の状況で頭が真っ白になる。生ぬるい空気が私を包み込み、暗闇から一斉に見られたような空気感。


「ご安心ください。当ホテルは節電のため、お客様が少ないフロアは電気の使用を制限しております。クロサワ様のお部屋は突き当たりの305号室でございます」


私が分かりやすく動揺したからか、すぐに小田巻が説明する。


「ああ、なるほど、びっくりしました」


 私はその説明を聞くと少し安心して、小田巻の後ろを壁伝いに歩き出す。何かに見られているような不快感が私をとりまく。


「当フロアはクロサワ様の貸切状態ですが、照明はどういたしましょうか?」小田巻が振り向いて笑顔で聞いてくる。


「このままでいいです。暗くてよく眠れそうですから」私は少し皮肉をこめて言う。


「かしこまりました。朝食は7時以降からとなっておりますので、それまでごゆっくりお過ごし下さい」小田巻はそう言うと、前を向き直して大股で歩き出す。


 不自然なほど音がしない廊下を小田巻と歩いて部屋の中に入る。化学薬品のような匂いが鼻に刺さり、私は不快感を抱く。


 しかしそれ以上に疲れていた私は、小田巻からの部屋の説明を聞き流した後、気絶するように眠ってしまった。


どれくらい時間が経ったのだろうか、パッと目が覚める。


 手探りでスマホを探し時刻を見る。4時40分。私が『不吉な時間だ』と考えていると、視界の端で何かが揺れたような気がした。


 スマホのライトをつけて違和感のあった方向を照らす。しかしそこには窓があるだけで、当然ながら何もない。


 少し怖くなってベッドから立ち上がり、周りを照らしてみる。窓、机、椅子、ベッド、ドア、窓。とその場でくるりと一回転して、ようやく違和感の正体を掴み、髪の毛を触る。


「やっぱり、髪が伸びてる」自身の胸の辺りにまで髪が伸びていることに気づく。不思議な出来事に困惑し、額に汗が滲む。


「ドンドンッ」突然ドアが叩かれる。


反射的に振り返りドアを照らすが、ドアが無言で佇んでいるだけだ。


聞き間違いなどではない。


 じわじわと恐怖が這って登ってきて、私は立ったまま金縛りにあったように動けない。


「ドンドンドンッ」1回目よりも激しくドアが叩かれる。


 呼吸が乱雑になり、バクバクと心臓が早く逃げろと主張する。しかし身体はその命令に反するように動かない。私は黙ってドアを照らし続けるしかできないのだ。


「ここにもいないんですかぁ?」男の野太い声が聞こえてきた。


「あいつに気づかれてはいけない」頭の中で本能的に理解し、呼吸音すらも聞こえないよう口を手で覆う。


動けば私の存在が露呈して、あいつが強引に入って来るかもしれない。


「おーい」


ドンドンッ!!


「いますよねぇ?」


その間もずっとあいつは私を呼び、ドアを叩いてくる。


 くぐもった音が部屋中に反響し、私めがけて突き刺さる。私の思考は完全に止まっている。もう既に恐怖が許容範囲を超えているのだ。


 蛇に睨まれた蛙のように私はうずくまり、ただひたすら朝が来るのを待つしかない。


「おーい」


ドンドンドンッ……





 何時間後だろう、ピタッと音が止んだ。ついに朝が来たのかと手元のスマホを見る。4時44分。進まない時計、最悪の時刻に私は絶望する。


「ドンドンドンドンッ」絶望の最中、またドアが叩かれる音が聞こえてくる。私は意識を失いかけた。


「……違う人だ」うずくまったまま床に呟く。


さっきまでより音が鮮明に響く、明らかにドアは内側から叩かれている。


「だれかぁ、たすけてくれぇ、ころされるぅ」


!!ドンドンッ



か細い男の声だ。


 いっそのこと、意識を失いたい。この地獄から一刻も早く逃げ出したい。生きて帰りたい。


 ぐちゃぐちゃに泣きながらそんなことを願っていると、私の左手側、ベッドの上から声がした。


「おかあさんやめてよ、おとうさん、しんじゃう……」男の子が泣いている。


完全に囲まれてしまった。動くことはおろか、周りの状況すら把握出来ない。


「なんなのよ……この部屋」私の心からの声は絶望の音でかき消される。


ドンドンッ!!


「たすけてくれぇ!」「おかあさんやめて!」


部屋中に反響する地獄。


 意識は保たれているが、指一本も動かせない。心臓が破裂しそうなほど鳴り響き、全身から汗が滲み出る。きっと私は、彼らの空間に入り込んでしまったのだ。


 嵐に飲まれた船のようにただ生きることだけを考えておけば良い。それしか出来ない。


「やめてくれぇ、ゆうかぁ!」その男の言葉に反応するかの如く、私の体がすくっと立ち上がった。


もうだめだ。


立ち上がったのは私の意思ではない。きっと霊に取り憑かれたのだ。


 誰かに操られ、私は立ち上がったのだ。視線が床と平行になり、恐怖の根源、見たくもないドアが見える。不可抗力だ。


 そして私の体はゆったりとベッドの方に歩き出す。幸い、部屋の中には誰も居なかったが、まだ声は聞こえる。


 ベッドの前で立ち止まった私は、突然屈んでベッドの下に手を入れる。


 私の手は一直線に進み、冷たい何かを掴んで、ゆっくりと取り出す。


 初めに見えたのは金属の棒、あるところを境に薄く広がっており、その薄い面はくすんだ深紅で染まっている。


使用済みの包丁、ナイフだ。声は狂乱の号哭となり、部屋を包み込む。


「やめてくれぇ!ころさないでぇ!」私の身体は男の声がする方、この部屋の入り口まで向かう。


「おかあさん! ダメ! やめて!」後ろで子供が泣き喚く。


キラリと光る刃に私の笑顔が反射する。私の体はドア前で立ち止まると、男が居るであろう所にナイフを突き刺す。


「やめろ、うっ、ゆう……か」何かを刺し殺す感触が私の手に伝わる。


「あっ、あ、おとうさん」子供が泣き止む。


男の声とドアを叩く音もパタリと止んだ。


 もう一度、もう一度。確実に恐怖を断ち切らないといけない。何度も、何度も、何度も、繰り返してナイフを突き立てる。絶対に殺さないといけない。


この男は後々面倒なことになる。確実に、確実に。


あの子の為、あの子の為。


夢中になっていると、やがてうめき声すら聞こえ無くなった。


「はぁ、はぁ、成仏した?」肩で息をしながら問う。


返答はない。


今気づいたが、ガキの声も聞こえなくなった。


「はぁ、私の勝ちみたいね」安心感が溢れて出てくる。


 思わぬ一石二鳥に胸を躍らせ、窓を開けて外の空気を吸い込む。空が白んできて、夜が追い抜かれるのを目で見て感じる。


私は振り返り、部屋を見渡す。何もない。なんの変哲もないホテルの一室がそこにはあった。


昨日と何も変わらなかった。何も、何も。


 私は右手の物のために、ベッドまで歩き出す。ベッドの前で屈み、私の体温でほんのりと暖かくなったナイフを元通りにしておく。


時刻は午前5時。朝食までここに居たくないので、荷物をまとめて出て行くことにした。






翌日、アパートの一室。朝食を食べながら私はテレビの前で戦慄していた。


「──連続女性失踪事件の犯人、小田巻修作は……」アナウンサーはたしかにそう言った。


 白い歯がよく目立つ男が映り、画面は切り替わる。画面に映っているものは、つい数十時間前まで滞在していたホテルだ。ニュースのお姉さんが小田巻の供述を淡々と語る。


事件の舞台は元「ホテル都忘れ」。


 現在は取り壊されず廃墟となっていて、そこに小田巻が目をつけたようだ。小田巻は偽ホテルサイトを作成し、騙された被害女性はミヤコワスレへ向かう。彼は接客をして305号室に泊らせ、自分は2階で待機するらしい。


 翌日の午前7時、小田巻のゲームが始まる。被害女性は朝食会場を伝えられておらず、ホテル内を散策する。その過程で2階に踏み入れてしまったら最後、小田巻の勝利だ。


 205号室に導かれた女性は、その場で襲われて殺害される。死体は分解されて5階の各部屋に放置してあるという。


「あの時、朝ごはん食べようとしてたら...」


 ご飯を食べる箸が止まり、食欲が失せる。それでもアナウンサーは淡々と事実を述べてゆく。


「また奇妙なことに被害女性の名前が、ことごとくクロサワ ユウカさんで、警察はストーカーの可能性もあるとして捜査を進めています」


「同性同名の被害者?」私は耳を疑った。身体が強張る。


どうやら殺害された女性たちの名前が、全員一致しているらしい。


偶然なのか、必然なのか。何故私は助かったのか。そしてもう一つ不思議な点がある。被害者は全員305号室に泊まっていたようだが、私のような経験をして朝食まで部屋にいるだろうか。


 あんな地獄を味わった部屋から、一刻も早く逃げ出したいと考えるほうが自然だ。


「あれってどこに置いたっけ...」立てた仮説のため、長い髪を揺らし、ノートパソコンを探す。


ネットで記事を探すと確かにあった。


事件は20年前の昨日にも起きていた。


 被害者は山本 重春さん。妻である山本 優花[旧名クロサワ ユウカ]に、ホテル『ミヤコワスレ』305号室で刺殺された。離婚の際の親権争いが原因かと言われている。


 その翌日、自宅アパートで『クロサワ ユウカ』も首を吊り自殺。当時5歳だった子供『山本 和也』が隣人宅へ駆け込み、隣人が通報した。という記事だ。


「嘘でしょ? 私助からないの?」恐怖で指先一本動かない。


 土地は出来事を記憶する。アパートの階段を1人の男が登る。この日、山本 和也は元カノに謝りに来ていた。


そんな素敵な男を205号室で「クロサワ ユウカの首吊り死体」が待っている。













ねぇ、四時四十分には誰が来たの?

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