EASHA - Manic Pixie Dream Girl

 毎度ながらお待たせしております。最近は思うように更新ペースが維持できず、拙作を楽しみにしてくださっている読者様には申し訳ございません。


 僕は近頃、夏休み直前の大学のテスト勉強に追われていまして……。今日はその第1弾が終わりましたので、次のテスト勉強を進める前に気分転換を兼ね、慌てて筆を執った次第です!


 それでは、第61~70回も折り返しを迎える今回、題材となって頂くのはアメリカの名門・Stanford大学でビジネスを学ぶ傍ら、音楽活動に熱意を注ぐという二足の草鞋を履きこなす秀才・EASHAから『Manic Pixie Dream Girl』です。彼女は2020年にアーティストとしてデビューしたばかりで、前途を嘱望される期待の超新星とも呼ぶべきシンガーソングライターにございます!


 EASHAこと本名Easha Nandyalaは現在、米・ニュージャージー州に拠点を置く新人アーティスト。90年代にインドから渡米して以来、子供向け北インド音楽教室の講師を勤める母・Divyaにより、4歳からインド古典音楽を習い育ったEASHA──そんな彼女は、インドで最も著名な音楽家であり、かのThe Beatlesにも影響を与えたシタール奏者・Ravi Shankarを父に持つアメリカのジャズピアニスト・Norah Jonesに強烈なインスピレーションを受けており、齢12にして既に単独で作詞・作曲を行っていたとのこと。そして10年の時を経て、弱冠22歳にしてこの日本の地にも名を轟かせつつある異才です(お、同い年……)。


 ちょっと劣等感を刺激されたような気がしますが、無視することにします……。そんなEASHAの音楽以外の趣味は、トライアスロンと英語だそう。英語は大学での専攻分野であるなど、語学知識はお手の物。そんな彼女の作詞センスは当然ながら素晴らしく、愛や苦悩をテーマにした内省的な歌詞から繰り出されるメッセージは、何処か人間的な成長を促してくれるような気すらします。また、スイス・ヴォー州の州都ローザンヌにて開催された2019年トライアスロン世界選手権では、18-19歳女性部門にて世界11位に入賞──棄権者を除くと同部門で最下位となる順位でしたが、Swim→Bike→Runのハードな道のりを4時間以内に踏破する彼女の持久力は、おそらくEASHAとしての美麗な歌唱力にも生かされているのではないかと思います。


 そんな強烈で個性的なキャラクターを持っている彼女が注目を集めるのに、時間は掛かりませんでした。転機が訪れたのは2020年──EASHAの実質的なデビュー・シングルとなる人気曲『Dying is a Beautiful Thing to Do』がTikTok上でバイラル現象を引き起こし、一躍大ヒット。続く1stEP『Fact of the Fiction』及び、シングル『Far Away』でも、高まるファンの期待を遥かに上回る名曲をリリースしたことで、当時およそ15万人を記録していたSpotify上のEASHAの月間リスナー数は、現時点(2023年7月21日)時点で379,170人と倍増しております……。


 今までも新進気鋭の若手アーティストを多数紹介してきた本作においても、二十歳そこそこにして、彼女ほど面白い経歴と成功者としてのカリスマ性を併せ持ったアーティストも珍しいです。


 当然、EASHA自身の音楽への拘りもまた興味深いです。前述の通り、両親の出身地であるインド音楽文化の影響を色濃く受けており、内省的でメランコリックなサウンドを好む彼女の音楽は、しばしばインディー・ポップと形容されますが、彼女はジャンルに囚われた音楽の解釈はあまりしたくないそう。まずはアコースティックを主軸に置き、ポップとソウルの融合を試みつつも「ジャンル」という概念は近年においてあまり機能していないと考えているようで、必要なものは書籍や映画など、他の創作物から何でも吸収し、良い曲を書くだけだと──その音楽性とは裏腹に、前向きで向上心溢れる心掛けで気持ち良いですね!


 そして、今回の題材となる『Manic Pixie Dream Girl』は、現時点で10万人以上のフォロワーを抱えるEASHAのTikTokアカウントにて、1日1曲という驚異的ペースでオリジナル曲を投稿していたところ、31日目を迎えた2020年11月30日に爆発的ヒットとなった、謂わば起爆剤のような名曲です。例えば、EASHAとしてのデビュー曲『I Can’t Breathe』は、"Black Lives Matter"と呼ばれる黒人人権運動が勢いを増すきっかけとなった故・George Floydへのトリビュートであるように、彼女の楽曲には時事問題が反映されていることでも知られています。新型コロナウイルスと共に大学へと入学することになり、自由を失い、家に閉じこもることを余儀なくされていた時期の鬱憤を詰め込んだヒットナンバーは、我々現代人も共感するところが多いのではないでしょうか。


 さて、そろそろ歌詞の和訳に入っていきたいと思うのですが、その前に。皆さん、曲の題でもある"Manic pixie dream girl"って、どういう意味かご存じでしょうか……?


 僕の拙い語彙力では分かりやすいように説明できる自信が無いので、一部Wikipediaの解説文を引用します。"Manic pixie dream girl"とは、それぞれ「躁病的な」「妖精」「夢」「女の子」映を意味する単語で構成された言葉で、映画のストック・キャラクターの一種で「悩める男性の前に現れ、そのエキセントリックさで男性を翻弄しながらも、人生を楽しむことを教える『夢の女の子』」だと定義されているようです。


 何となくイメージできましたか? 要は、日本のライトノベルやアニメ文化でいうところの、主人公の良き理解者となるヒロインポジションと解釈して頂くのが簡単かと思います。とはいえ、論者によって定義は分かれ、曖昧かつ広範に使用されている言葉なので「そういうもんか」と頭に入れておいてくださる程度で大丈夫です。それでは、行ってみましょう!


[Verse1(0:02~)]

「刹那的で、甘美な出会いでも、真実の愛と言うには勿体なさすぎる」

「でも私たちはそんな烙印だって上から取り繕ってしまうわ」

「貴方は私の演技が好きで、私は注目を浴びるのが好きなだけに過ぎない」

「そんなものをロマンスなどと勘違いしちゃって」


「張りぼてのキャプテン、私なら貴方を楽しませられる」

「貴方の人生を取り繕うのに、誰が命を捧げようというの」

「パーティー・シーンは華やかだけれど、掃除の時間は驚くほど白けてる」

「カメラはオフ、私たちもそう」


[Chorus(0:39~)]

「私を貴方好みに染めて貴方だけの『夢の女の子』みたいに愛してよ」

「たとえ別れてしまっても私は貴方の『夢の女の子』として貴方を愛する他ないの」

「ただ役を演じて私の男の子になってくれるだけでいい」

「私は『貴方の都合の良い女』になるだけ」


 "Manic pixie dream girl"について、主人公の男の子に優しく接してくれる明るく気さくな女の子を想像した方は多いのではないでしょうか。しかし、残念ながら"Manic pixie dream girl"は多くの場合、自分の幸せを追求せずに主人公の男の子を助けるだけで自らは成長せず、このため一緒にいる男性も全く成長しないという側面があるそう。要するに、内面的要素の欠如によりキャラクターの個性が失われ、大抵は主人公に重要な人生の教訓を提供するためだけに存在する舞台装置に過ぎない、所謂「負けヒロイン」的な感じであると。

 

 そんな"Manic pixie dream girl"の視点で綴られたこの歌詞の内容は、新型コロナの蔓延により家に引き籠り、映像作品に多く触れてきたEASHAが日常で体感した、まるで使い捨ての消耗品かの如く、個性が失われ、陳腐化されたキャラクターが世に氾濫していることへの風刺でしょうか。


 「張りぼてのキャプテン("Captain Cardboard")」に関しては、本当に意味が分からなかったので憶測ですが、そのようにして形骸化され、段ボールの如く生気の感じられない張りぼてのような主人公に対するヒロインは、まさに"Manic pixie dream girl"である私がお似合いなのだという皮肉にも聞こえましたね。そして映像の中に存在するパーティーは派手に行われるけれど、撮影が終わり、片付けになると一気に興醒めすることになる。創作物の中の登場人物には、近年確かにテンプレ化の傾向があり、物足りなさを感じることもしばしば。そのような傾向に一石を投じるかの如く、"Manic pixie dream girl"にはもううんざりという気持ちが込められているのでしょうか。僕はそのように解釈しましたが、正直自信はありません……。


[Verse2(1:01~)]

「貴方の決心には失望させられた」

「今のところ私の方がアイデアとして優れているわね」

「私が演技をやめると貴方は私がいつもと違うと言う」

「見栄を張るためかしら」


[Chorus(1:20~)]

繰り返し


[Bridge(1:39~)]

「貴方のプライムタイムを邪魔して悪かったわね」

「私も時間を無駄にしちゃってごめんね」

「自分の身体よりも大きな何者かになろうとして」

「嘘に頼ろうとしたの」


[Chorus(1:58~)]

繰り返し


 中々どうして、歌い手であるEASHAの心情が掴めませんね。"Manic pixie dream girl"としての演技をやめ、本来の自分を前面に出すと不満に思われる現状を憂うような言動が見受けられます。


 プライムタイムに放送されていたのか、彼女は自分の演技が人目に触れて「ごめんなさい("Sorry")」と謝罪します。時間の無駄だったと、自らを偽って"Manic pixie dream girl"としての仮面を被っていたことについて、自分に対して謝っているところからも、そのような演技はたくさんだという彼女の心境が窺えます。


 実際のところ、主人公に都合よく恋心を寄せ、人生の啓示を与えてくれる舞台装置としてのヒロインというものは、どうなのでしょうか。今なお国内外問わず、そのようなキャラクターに需要があることは揺るがぬ事実ですが、それ故に創作物全般の商業化傾向に歯止めが掛からず、全て似たり寄ったりの陳腐化された作品が世に氾濫する──このような懸念は確かに存在すると思います。でも、それはあくまで僕たち「表現者」側からの視点であって、作品の受け手である「消費者」側からしてみれば、どうでも良い事なのかもしれませんね。流行り廃りというものは、古今東西、一過性のものですから、"Manic pixie dream girl"もいずれ世間から飽きられてしまうのかもしれません……。


 なんて、この歌詞が実際に映像作品の中の登場人物の視点から書かれたものなのか、それともその登場人物を演じる演者側の視点からのものなのか、はたまたもっと違う目線からなのか、何も分からない時点で、これ以上の詮索は無意味ですね。僕の解釈は一切合切が的外れの可能性も否めませんので、違った視点から考察してみたという方は、是非独自の見解をご教授頂ければ幸いです!



 †††



 ※本作における改行後の連続する「」内は主に作品タイトルとなっている楽曲の歌詞の一部分又はその翻訳です。今回はEASHA - Manic Pixie Dream Girlから引用しております。


 ※本作品は、著作権法32条1項に依拠して公正な慣行のもと批評に必要な範囲で「引用」するという形で楽曲の歌詞を一部和訳しております。文化庁は引用における注意事項として、他人の著作物を引用する必然性があること、かぎ括弧をつけるなどして自分の著作物と引用部分とが区別されていること、自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること、出所の明示がなされていることの4要件を提示しておりますが、本作品はいずれの要件も充足していると執筆者は考えております。


 ※カクヨム運営様からも「カクヨム上で他者が権利を有する創作物の引用をすることは可能ですが、その場合は、著作権の引用の要件に従って行ってください。また、外国語の翻訳は書き方にもよりますが、引用にならないと存じます。」という旨の回答によってお墨付きを得たものと解釈しております。


 ※ただし、歌詞原文の全てを掲載することは引用の範疇を越えると思われますので、読者の皆様は紹介する楽曲の歌詞をお手元の端末などで表示しながら、執筆者による独自の解釈を楽しんでいただけると幸いです。

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