Bob Dylan - Knockin' On Heaven's Door

 本作も読者の皆様からの応援と評価によって、ありがたいことに第60回目を迎えることができました。心より嬉しく思っております……。そして、この節目に相応しいビッグネームを挙げさせて頂くという前回の公約に基づき、今回紹介致しますのは、アメリカ・ミネソタ州生まれにして、御年82歳の天才ミュージシャン・Bob Dylanより『Knockin' On Heaven's Door』になります!


 彼の愛称である"Bob"と、ウェールズ出身の作家にして詩人・Dylan Marlais Thomasにちなんで名付けられたというBob Dylanですが、出生名はRobert Allen Zimmermanです。しかし、後に法律上の公称もBob Dylanに統一しているそうで、1962年のレコードデビュー以来、半世紀以上にわたるキャリアの中で築き上げられてきた彼の名声は、今や世界中の音楽ファンの知るところとなっておりますね……!


 それではまず、Bob Dylanの生い立ちから振り返っていきましょう。彼の父方の祖父母は、1905年のユダヤ人に対するポグロム(ロシアにおけるユダヤ人迫害)の後、ロシア帝国(現ウクライナ)のオデッサからアメリカに移り住んだ移民でした。他方、母方の祖父母は1902年にアメリカへと移住したリトアニア系ユダヤ人で、そんな彼らのもとに誕生したBob Dylanの父母は、小規模で結束の固いユダヤ人コミュニティの一員でした。


 そんなユダヤ人・ユダヤ教徒として出生したBob Dylanですが、1970年代末には一度キリスト教・福音派に改宗しており『Are you Ready』などの賛美歌的な楽曲をもリリースしていたことから、The BeatlesのJohn Lennonに反対の意思を示すアンサー・ソングを書かれたり、コンサートでブーイングを浴びたりなど、一部のファンからは黒歴史的な扱いを受けています。なお、これを受けて彼は改めてユダヤ教に回帰しているそうです。


 幼少期からブルースやカントリー、ロックンロールなどを幅広く聴いて育ったBob Dylanは、高校在学中にいくつかのバンドを結成する中で、同国のミュージシャンであるLittle RichardやElvis Presleyの楽曲をカバーするなど、若くして才能の片鱗を見せつけていたのかと思いきや、高校でDanny & the Juniorsの『Rock and Roll Is Here to Stay』を演奏した際には、あまりの大音量に校長先生にマイクを切られるなど、破天荒な一面も。


 大学進学後は、キャンパスから程近いコーヒーハウスでフォーク・ソングを歌い始め、Bob Dylanの代名詞ともなっているトーキング・スタイルが確立──Dylan姓を名乗り始めたのも、まさにこの頃からです。その後大学を中退した彼は、敬愛するフォーク・ミュージシャンであるWoody Guthrieがハンチントン病を患って入院していた精神病院を訪れ、彼の弟子・Ramblin' Jack Elliottと親交を深め、Woodyの後継者としてミュージシャンのキャリアを歩むことを決意します。同時期、ボクサーとしても活躍していた詩人・Big BrownことWilliam Clifford Brownに強い影響を受け、1962年3月19日にリリースされた1stアルバム『Bob Dylan』は、お馴染みのフォーク、ブルース、ゴスペルで構成されていた一方、オリジナル曲はわずか2曲でした。そして、これまでに打ち立ててきた前人未到の功績からはとても信じられないことに、当該アルバムの初年度売上はおよそ5,000枚で、ちょうど採算が取れる程度だったということです。


 Bob Dylanの音楽家としての功績は、その数二桁にも上るグラミー賞受賞歴から、米・Rock and Roll Hall of Fame入りに至るまで、枚挙に暇がありません。しかし、特筆すべきは何と言っても、2016年に「米国歌謡の伝統の中に新しい詩の表現を創造した」功績が讃えられ、歌手として史上初のノーベル文学賞に輝いたということでしょう。それほどまでに、彼の音楽に掛ける熱意は凄まじく、またその歌詞に籠められている機知に富んだメッセージ性と、多岐にわたる文学作品にインスパイアされている叙情的で並外れた作詞センスは、世界中の人々に感銘を与え続けているということです……!


 米・Rolling Stone誌により「歴史上最も偉大な100人のシンガー」にて第7位、また「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」ではかのThe Beatlesに次ぐ第2位、そして「歴史上最も偉大な100人のソングライター」においては栄えある第1位に堂々選出されており、60年以上という途方もなく長い間米国大衆文化および、世界中の音楽文化の中心人物であり続けてきたBob Dylanの偉業は、改めて振り返ってみても脱帽あるのみですね。


 そんな彼の類まれなる美しいフォーク・ミュージックにのせて歌われている歌詞には『Blowin' in the Wind』や『The Times They Are a-Changin'』といった1960年代の楽曲で特に顕著に表れているように、当時隆盛を極めた米国黒人を中心に行われた人種差別解消を求める公民権運動や反戦運動の賛歌としての側面があったなど、政治的、社会的、哲学的、文学的、宗教的な要素が複雑に盛り込まれているのが特徴的で、ポップ・シーンの常識を根本から覆すものとして当時の人々に衝撃を与えました。そのようなBob Dylan独自の作風から、彼はプロテストソング・ライターのアイコンとして、業界の内外から大きな支持を受けます。一方で、Bob Dylan本人はこのような風潮にいささか懐疑的な態度を取っているようで、自らの歌詞が勝手な解釈によって政治運動の象徴とされることに辟易へきえきしていたそう。


 当エッセイのコンセプトは、僕が好きなアーティストの好きな曲の歌詞を勝手に解釈して、それを恥ずかしげもなく読者の方々に披露して楽しんで頂くこととしているので、本稿の内容について作詞者Bob Dylanに怒られなければ良いのですが……。


 まあ、彼ほどの偉大なアーティストが、僕のようなにわか音楽ファンがせこせこと書き連ねた駄文乱文を目にすることなどあり得ないでしょうし、その内容を何らかの運動に利用してやろうとする訳でもないので、何とかご容赦頂ければと思います(笑)。


 そして、今回僕が紹介する楽曲に選ばせて頂いたのは、1973年の米西部劇映画『Pat Garrett and Billy the Kid』にて実際に役を演じてもいるBob Dylanが、当該作品のために書き下ろした『Knockin' On Heaven's Door』です。


 当時のアメリカは、1955年に開戦したベトナム戦争の折、長期化する戦争の決着に向けてベトナム解放軍の隠れ家となっていたジャングルの消滅、さらに兵糧である農作物の汚染を目的として、1961年11月30日にケネディ大統領が正式承認して以降、約10年にわたって行われたアメリカ軍による通称"Ranch Hand"作戦により、環境中に多量の枯葉剤を散布するという大作戦を決行していました。


 この作戦は、ジクロロフェニキシ酸とトリクロロフェノキシ酢酸という農薬の混合物である「エージェント・オレンジ」と呼ばれる枯葉剤の製造過程において、催奇性の強いダイオキシンが含まれていたため、枯葉剤被曝者に遺伝子や染色体異常による先天的奇形児出産等の後遺症が見られるなど、当事者に多大な被害をもたらしたことで知られています。その他、科学技術の発達に伴い高性能化した地雷や爆弾、その不発弾、南ベトナム森林地帯の伐採等も併せて自然環境に深刻な影響を及ぼしたことに加え「米国の歴史上初の敗戦」と称されるほど、何等の成果も得られなかったベトナム戦争の模様は、戦場カメラマンの従軍によって事細やかに報道されました。


 結果として、戦争の帰還者は母国アメリカで壮絶なバッシングを受けることに。命を賭して戦ったはずの兵士たちが、守るべき故郷に帰ってきたにもかかわらず、それを喜ばれるどころか非難の的として矢面に立つことになろうとは。言わずもがな、筆舌に尽くしがたい地獄の体験をしてきたはずの多くの生還者たちは自国民からの顰蹙ひんしゅくに耐え切れず、精神病を患い、自死を選んでしまうなど──その惨憺さんたんたる結末は、戦後数十年にわたる今も詳細に語り継がれています。


 以上の時代背景の中で作詞された『Knockin' On Heaven's Door』は、西部開拓時代を生き抜いた無法者の半生と死がテーマに描かれている『Pat Garrett and Billy the Kid』とも重なって、物悲しくも考えさせられる内容となっております。どうぞ、歌詞の解説に入る前に、まずは改めて彼の語り掛けるような歌声に耳を傾けてみてください……。


[Verse1(0:29~)]

「ママ、このバッジを俺から外してください」

「もう使い道なんてないんだから」

「辺り一面が暗くなる、一寸先も見えないほどに」

「まるで天国の扉を叩いているかのような感覚だ」


[Chorus(0:56~)]

「ただひたすらに天国への扉を叩き続ける」(×4)


[Verse2(1:24~)]

「ママ、俺の手から銃を取り上げて地面に置いてください」

「もう誰も撃てやしないんだから」

「黒く大きな雲が迫り来るんだ」

「まるで天国の扉を叩いているかのような気になってくる」


[Chorus(1:51~)]

繰り返し


 歌詞はこれにて終了です。楽曲も全体で2分半に満たないなどシンプルでありながら、そこに籠められている意味内容には、得も言われぬ奥深さがあります……。


 先述した通り、Bob Dylanは自らの書いた歌詞が聴衆の都合の良い解釈によって独り歩きした結果、あらゆる運動に利用されるという現象を忌み嫌っていました。ですので、彼にとって『Knockin' On Heaven's Door』は、映像作品『Pat Garrett and Billy the Kid』の劇中歌として、それ以上の意味を持たないのかもしれません。それでも、ノーベル文学賞に輝いたほど巧みな彼の作詞技術と詩的な感性の豊かさを鑑みれば、そこに何か隠された意味があるのかもしれないと邪推してしまうのは、ファンとしてある種の宿命なのかもしれません……。


 まず、1番にて現れた"badge"という単語──これは、表向きは劇中に登場する保安官が身に着けているバッジを意味しているものと思われます。しかし、当時の時代背景を考えると、戦場に赴いた兵士たちを指揮する将校の軍服に縫い付けられた記章、あるいは長年の戦争によって多数の死傷者を出した上に、目ぼしい成果もなく帰還した兵士たちに国民から叩きつけられた「敗者」としてのレッテルを暗に示唆しており、そんな様々な「バッジ」を彼らから外してあげてほしいという思いの表れではないかと感じられます。


 2番にて現れた「銃を取り上げて地面に置いて」という言葉──これは、泥沼化の様相を呈していたベトナム戦争の終結を意味していると考えられます。ですが、その後には「黒く大きな雲が迫り来る」とある。これすなわち、戦争によってアメリカが負うことになった大きな代償はそれだけに止まらず、生還した兵士たちの自殺と国民の分断という、苦しくも悲惨な局面を迎えようとしていた当時の状況が端的に説明されているものかと。


 そして、サビで繰り返される一節──「天国の扉を叩く」とは、多くの人々を死に至らしめた戦争の片棒を担いだ全ての人々が罪の意識に苛まれ、懺悔し、それでも最期には救済を求めて、地獄ではなく天国に行きたいんだという切なる願いが綴られているものではないでしょうか。


 総括すると、この『Knockin' On Heaven's Door』という名曲には、数十年にわたり戦争の犠牲者や帰還者の命を奪い続けるきっかけとなった作戦を承認したケネディ大統領をはじめとする米政府、祖国のために命を賭して戦った若き兵士たちに心無い言葉を浴びせ掛ける米国民、そして戦争という残酷な武力衝突に対する強烈なアンチテーゼという側面があるのではないかと、そう考えずにはいられません。


 今回の歌詞紹介は、これにて以上です。図らずも戦争という重く悲しいテーマに結び付け、Bob Dylanというミュージシャンの偉大さを解説しようとするあまり、語り口調も今まで以上に堅苦しいものとなってしまいましたが、ここまでお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました……!


 では、最後に口直し代わりの余談をば。1960年代前半の風刺的なプロテストソングによるイメージと、彼が師と仰いだWoody Guthrieから受け継いだ作風からフォーク・ミュージシャンとしての印象が色濃いBob Dylanですが、彼はそのような世間の拡大解釈に嫌気が差していたことから、1964年以降は徐々にスタイルを変化させていました。決定的だったのは、The BeatlesやThe Rolling Stonesなどといった英ロックバンドの台頭によるブリティッシュ・インヴェイジョン期の影響を受け、エレクトリックの要素を多分に取り込んだロックンロールへの転向を図った1965年の米・Newport Folk Festivalです。その名の通り、フォーク・ミュージックによる音楽祭にもかかわらず、バック・バンドを従えてエレクトリック・ギターを携えたBob Dylanを目の前にしたファンたちは、これを「フォーク・キングによるフォークへの裏切り」と捉え、大ブーイングの嵐を巻き起こします。同年にリリースされた不朽の名作『Like a Rolling Stone』も、今でこそフォーク・ロックの先駆けとして重要な地位を占めていますが、当時のフォーク原理主義たちからは、商業主義への転身であると痛烈にき下ろされます。


 その後もドラッグに溺れたり、ユダヤ人・ユダヤ教徒としての出自により苦難に直面したり、流行り廃りに影響された作風の変化が賛否を呼んだり、歌詞や自伝における引用・盗用の疑惑に揺れたりなど、決して順風満帆とはいえないキャリアを歩んできたBob Dylan──しかし、そんな彼だからこそ、人情味に溢れた心に響く素敵な詩が書けるのかもしれませんね!


 また、今年(2023年)4月には初来日から45周年を記念する日本ツアーがあったとか。その他Never-Ending Tourとして知られる年間100公演ほどのライブ活動を中心に、今なお音楽界の第一線で精力的に活動している、まさに生ける伝説です。皆様も、本エッセイがきっかけで「Bob Dylanの歌声を生で聴いてみたい!」と思いましたら、決して遅くはありませんので、是非に……!


 長くなりましたので、次回予告は簡単に! 第61回は、そんなBob Dylanの『Knockin' On Heaven's Door』をカバーしていることでも知られる、あのロック・バンドから1曲お届けして参ります! あ、その前に邦楽紹介の番外編を挟むので、ご興味ありましたらそちらもよろしくお願いします!


 それでは……!



 †††



 ※本作における改行後の連続する「」内は主に作品タイトルとなっている楽曲の歌詞の一部分又はその翻訳です。今回はBob Dylan - Knockin' On Heaven's Doorから引用しております。


 ※本作品は、著作権法32条1項に依拠して公正な慣行のもと批評に必要な範囲で「引用」するという形で楽曲の歌詞を一部和訳しております。文化庁は引用における注意事項として、他人の著作物を引用する必然性があること、かぎ括弧をつけるなどして自分の著作物と引用部分とが区別されていること、自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること、出所の明示がなされていることの4要件を提示しておりますが、本作品はいずれの要件も充足していると執筆者は考えております。


 ※カクヨム運営様からも「カクヨム上で他者が権利を有する創作物の引用をすることは可能ですが、その場合は、著作権の引用の要件に従って行ってください。また、外国語の翻訳は書き方にもよりますが、引用にならないと存じます。」という旨の回答によってお墨付きを得たものと解釈しております。


 ※ただし、歌詞原文の全てを掲載することは引用の範疇を越えると思われますので、読者の皆様は紹介する楽曲の歌詞をお手元の端末などで表示しながら、執筆者による独自の解釈を楽しんでいただけると幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る