《四話:きみのいない、この街が》

 ――六月二十二日。

 波が学校に来なかった。


 確かに、妙な胸騒ぎがした。

 ラインは既読すら付かず、電話の呼びかけにも応じない。

 元々返信の早いやつではないとは言え……。

「豊四季は来ていないのか?」

 先生が怪訝な顔をする。学校側にも連絡がなかったようだ。

「づっくん……」

「そのうちひょっこり顔を出すかも知れない」

 動揺を悟られないように、努めて明るく見せた。

 実際に、同じ授業を何度も聞いている波は、度々遅刻することがあった。


「不真面目なのに一位な私、かっこいい」


 と、意味の分からない事を抜かしていた。

 だから、その可能性に賭けてみる。

 しかし、二限、三限と時間は過ぎていく。

 待てども待てども来やしない。

 結局、七限になっても姿を見せなかった。

 タイムリミットまで、そう長い時間は残されていない。

 波自身に、今日を越える力などないのだから。


 放課後。必死になって波を探す。

 学校中を隈なく、全ての教室をしらみ潰しに確認した。

 けれども、いない。見つからない。

 どこにいる?

 焦燥感だけが募っていく。


 何とも波らしいやり方でもあった。

 何も言わずに、ひっそりと消えていく。

 それはきっと、自分自身のためなどではなく、凪や僕の幸せを思ってのことだろう。

 自分よりも周りを、大切な人を優先するような人間だ。


 ……ふざけるなよ。

 人の幸せを勝手に決めつけやがって。

 せめて話を聞けよ……見透かしたように、斜に構えて格好をつけやがって。

 あっという間に日は暮れて、夜が迫る。

 凪の表情が不安に揺れる。

「大丈夫だ」

 手を握る。

 僕たち二人でなら、きっと見つけられると信じて。


 街中を探した。

 思い出の詰まったこの街に、波の姿を求める。

 夜の喧騒が包む。人で賑わうこの街は僕たちの誇りだが、今日だけは勘弁して欲しいと思った。

 波を見つける妨げになってしまうから。


 柏の葉公園、柏スタジアム、麺屋こうじ、珍来。

 三人で遊んだ場所を探す。

 しかし、いずれも空振りだった。

 楽しい思い出で溢れているからこそ、こんなに切羽詰まった状況で訪れるのがとにかく辛かった。

 この街の至るところに、三人の笑顔が溢れていた。

 諦めない。けれど、どうにもこうにも手詰まりだった。


 思い当たる節は全て…………全て……?

 本当に全て?

 考え直せ。

 夜……、喧騒……、街……、光……夜景……。


 夜景……?


「屋上だ…………」

「屋上……? 学校の……? でもあそこは、さっき……」

「あの時、言っていた……『最期の瞬間はここで迎えたいと思う』って」

 出会った日の会話が脳裏に浮かぶ。


『ここは夜景も綺麗よ。それはもう、最期の瞬間はここで迎えたいと思えるほどに』


「それって……」

「僕の憶測が正しければ――……」


 時計を見る。時刻は夜八時を回っていた。

 本当に時間がない。

 顔を見合わせ、無言で頷くと、揃って走り出す。

 これが最後の望みだ。

 この解答が間違っていたら――もう僕たちには、打つ手も、時間も残っていない。

 もはや願うことしかできない。握られた手は緊張と恐怖、焦燥で強張っている。


 走りながら、凪は言う。

「づっくん……、あたしたち、ほんとうに、正しいことを、しているのかなっ」

 息を切らしながら、凪は問う。

「あたしたちの、押し付け、じゃないかな……」

 懸命に駆けながら、凪は疑問を呈す。

「分からない……」

 それは、幾度も頭を過った問いだった。

 これは、僕たちの我儘ではないのか?

 波自身の信念を歪ませる僕たちのエゴに他ならないのではないか?


 さすがに呼吸が苦しい。

 息も絶え絶え、日頃から鍛えている僕ですらこの有様なのだから、凪はもっと苦しいはずだ。

 一度、立ち止まり呼吸を整える。

 お互いに肩で息をつく。失った酸素を体内に取り戻して、一息。

 いくらか冷静さを取り戻した。


 街から少し離れた森の中に浮かぶ僕たちの学校。

 入学前の見学の際、「御伽噺のお城みたい」だと凪は目を輝かせたものだった。

 繁華街から幾らか距離があることも、穏やかな学校生活を求めていた僕たちにとってはお誂え向きの環境だった。


 しかし、今だけは、その距離が忌まわしかった。

 まるで、僕たちと波との距離を表しているようにさえ思えたからだ。

「分からない」

 凪の言葉を反駁する。


 正しいと間違い。

 正解と不正解。

 真実と嘘。

 本音と建前。

 愛と恋。


 約束と契約――。


 何一つとして分からない。

 分からない事を列挙することは、これほどまでに容易いのに、知っていることは何一つとして浮かばない。

 無知であることこそが若さであり、知っていく過程こそが青春なのだとしたら。

 そんな僕たちにできることは、ただ一つだけ。


「――……僕も、分からない」

 凪の問いかけに、疑問に、迷いに、僕はこう答える。

 だから――と。

「だからこそ行くんだ。分からないからこそ、分かり合うために」


 正しいか正しくないか――ではなく、信じるか、信じないか。


 ふと天を仰ぐと、そこには満月が輝いていた。

 皮肉なものだ。こんなにも明るく照らされているのに、探しているものは見つからない。

 それでも間違いなく、道は照らされていた。


「行こう――!」


 凪の手を取り、もう一度――。

「うんっ!」

 吹っ切れたように笑顔を浮かべ手を握り返してくれる。あと少し。

 学校に近づくに連れて車通りはまばらになる。僕たちは道の真ん中を走っていた。月明かりが導いてくれる。

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